【富山県】前田利長を弔う壮大な伽藍 瑞龍寺(旅12日目③)

富山県
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今回は富山県第二の都市、高岡の観光名所である瑞龍寺を紹介します。

高岡駅を出て南口に進みます。

北口には前回の記事で紹介した高岡大仏や高岡銅器発祥の地の金屋町があります。

瑞龍寺は高岡駅から徒歩12分です。

八丁道を歩きますが、反対側には前田利長の菩提寺があります。

瑞龍寺に着きました。高岡の地を開いた前田利長の菩提寺です。禅宗の曹洞宗の寺院です。

山門、仏殿、法堂と主要伽藍が一直線に並ぶのは禅宗の特徴ですが、これは人体の構造と関連しているようです。

堂内の建物が左右対称に並び、また回廊で主要伽藍を囲んでいる造りは昔の中国の寺院建築の影響を受けていると思われます。
以前ご紹介した京都の宇治にある黄檗宗の萬福寺がこの造りですが、瑞龍寺には萬福寺との共通点が幾つか見られます。

山門は文政3年(1820年)に建てられたもので、当時としては珍しく和算により設計されています。
瑞龍寺の創建は慶長19年(1614年)ですが、山門は後に建て替えられたり火災で焼失し再建され、現在のものは文政の頃に造られたものが残されています。

仏殿の屋根は瓦葺きで、鉛の瓦が葺かれているのはここと金沢城の石川門だけで珍しいものなのだそうです。
高岡城が廃城したあと、瑞龍寺はいざという時に城として使えるように、鉄砲の玉にする鉛を瓦に仕込んでいたといい、あながち嘘ではなさそうですが、現在ではどちらかというと、冬季の雪対策だと言われてます。

内部は総欅造りとなっており、重い鉛瓦の屋根を支える木組みが見どころなのだそうです。

法堂

堂内には萬福寺で見れた巡照板(じゅんしょうばん)があります。

あくまで萬福寺の名称なので正しい名称は分かりませんが、
巡照板は朝夕にこの板を木槌(きづち)で叩き書いてあるお経を唱え皆に時間を知らせるものかと思われます。

雲版(うんぱん)は青銅製で、朝と昼の食事と朝課の時に打つものかと。
開梆(かいぱん)は日常の行事や儀式の刻限を知らせるもので、木魚の原型とも言われています。
※あくまで萬福寺の名称で正しいものは分かりません

口の玉は煩悩にたとえた「あぶく」で、魚の丹田部分を叩きあぶくを吐かせることで煩悩から解放されよと説いており、
また、魚は目を閉じないため、常日頃から目を開け、心の目も開け、修行に努めよと説いているものだと、萬福寺を調べた時に知りました。

回廊の端には東寺、今でいうトイレがあり、以前は烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られており、この神様はトイレの神様として信仰を集めているようです。
現在は法堂に祀られています。

回廊の外には石廟があり右から前田利長、利家、織田信長、側室の正覚院、織田信忠の分骨廟が並びます。

大庫裏(おおくり)は調理配膳などを行う場所で天井が漆喰で結露に配慮した曲線となっています。

大茶堂(だいさどう)は珍しい防火建造物で、外壁や軒下を土蔵と同じ大壁とし、内部を土天井とした、全国的に類例の少ない珍しいものと書かれています。

禅宗ならではの柱と白い壁の簡素に見える造りにも、いろいろな工夫があることが、境内の説明板で知れます。

禅堂は夏は涼しく冬は暖かく留意された造りとなっており、たそがれ時の明るさを保つよう光をとり入れていると書かれています。

こうした回廊は独特の雰囲気があり、参拝を楽しめました。

時間の都合上行けませんでしたが、瑞龍寺の近くには前田利長の墓所があります。

高岡城の延長線上にありますが、そのずっと先には家康の岡崎城があります。
案内板には故郷への厚い想いと当時の複雑な情勢の中で生き残り、お家安泰を確立した利長・利常の想いが垣間見れるようでもあります、と書かれています。
金沢城の動画で、前田利常が大火で焼けた金沢城を改修する時に、徳川に謀反の疑いをかけられひどく苦労したことをお伝えしましたが、そうした徳川に対する大藩ゆえの苦悩が、墓所を造る際にあったことがうかがえます。

利長の墓所は八丁通りを真っすぐ進むと着き、瑞龍寺から駅前大通りを挟んで反対側、瑞龍寺から歩いて約15分、高岡駅から12分の所にあります。

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