【上野原散策】上野原名物 酒饅頭と甲州街道、宿場町の歴史

山梨県

今回は山梨県上野原市を紹介します。東京のJR高尾駅から3つ目の駅(乗車時間約17分・運賃330円)とアクセスはそれほど悪くない場所です。かつて甲州街道の宿場町として栄え、明治時代以降に酒饅頭が名物として知られるようになった場所です。

旅をしたのは2022年2月2日、世間ではコロナのオミクロン株が流行し、東京では蔓延防止の措置が取られている時期でした。

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地形・気候

JR上野原駅北口。上のサムネも駅の北口。

上野原駅周辺は河岸段丘が発達した土地で、相模川に沿って階段状の地形が広がります。駅はその階段状の間に建てられており、駅の北側は高く、駅の南側は低くなっています。南口から駅の改札に行くにはエレベーターで4階まで上がります。

上野原駅南口

この辺りは夏や冬の昼夜の温度差が大きく、雨が少ない土地で、市の約8割が山林です。

甲州街道へ

JR中央本線の上野原駅の北口を出て、甲州街道に向かいます。市街地は北口の更に高台にあります。歩いていてもアップダウンがあり適度な運動になり、散歩・散策にもおすすめの場所です。

歩道橋で県道を渡り中央自動車道を渡り、駅から20分ほど歩くと、甲州街道に出ます。

上野原宿

甲州街道沿いの様子

現在の上野原市、旧上野原町は、甲斐に入って最初の宿場町でした。昔は甲斐には25の宿場町があり、西の端は教来石(きょうらいししゅく)宿(現在の白州町)、東の端は上野原宿(しゅく)でした。上野原宿は江戸から来る際の甲斐の玄関でもありました。

郡内地方の一部である上野原では、古くから絹織物が盛んで、江戸時代の寛保年間には市が開かれ、江戸をはじめ各地から商人がやって来ました。郡内織の買い付けに商人が訪れただけでなく、相模の津久井商人が地元で産出する川和縞(かわわじま)を売ったようで、それぞれの地域の品が集まり交易の場として賑わったといいます。

郡内織は滑らかで光沢のある生地で、座布団や布団など寝具や羽織の裏地として用いられ、甲斐絹(かいきぬ・かいき)、甲斐織ともいわれました。

甲州街道は昔の蔵の名残がある建物や、昭和の頃によく見かけた八百屋や雑貨やがあり、歩いていて面白い場所です。

上野原名物酒饅頭

上野原では酒饅頭が有名です。郡内織の買い付けに江戸をはじめ各地から多くの商人が訪れた上野原では、明治時代から酒饅頭が売られるようになり、商人たちの目に留まるようになり、味の良さが評判となり酒饅頭が名物となりました。

現在、甲州街道の辺りには酒饅頭のお店が4店舗あります。

東山酒まんじゅう。14時過ぎの時点で営業が終了していました。

高嶋酒饅頭店。訪れた水曜は定休日でした。

高城菓子店。14時までの営業で、この日はお店が終わっていました(山梨中央銀行を右に曲がり、甲州街道から少しそれます)。

お店によって定休日が違っていたり、14時までの営業であったり、なくなり次第終了のお店があり、午後は後に紹介するお店を除き閉まっていました。

上野原に酒饅頭を買いに行くなら、事前に営業時間や定休日を調べたうえで午前に行くのがおすすめです。

そんな中、永井酒饅頭店が唯一営業していました。

永井酒饅頭店は創業百有余年、明治から続くお店で、上野原宿で初めて酒饅頭を販売したお店です。現在のご主人で4代目になるお店で、合成保存料や合成甘味料、膨張剤といった添加物を一切使っておらず、また必要以上に砂糖や塩を使わないように、昔ながらの製法を守り酒饅頭を作っています。

ありがたいことに、ご主人からお話を聞くことができました。元々、上野原宿周辺では小麦が穫れたそうで、水も綺麗だったので酒饅頭を作るのにいい環境だったそうです。水は棡原(ゆずりはら)を源流とする水で、棡原は昭和40年代に長寿の村として全国に知られた場所です。

昔はどこの家でも酒饅頭を作っていたようで、お祭りの時やお盆などの人が集まる時に、各家庭で酒まんじゅうを作ったといいます。米と米麹でどぶろくを作り、小麦粉を混ぜて生地をこねて、発酵させて蒸して作っていたのだそうです。

先代が明治時代に上野原宿で酒饅頭を売るようになると、この地を訪れた商人たちから評判になり、口伝えに広まり、行列ができたほどといいます。酒饅頭を売るお店も現在よりも多くあったようです。

個人的には塩マスの切り身の入った「魚(とと)まん」を食べたかったのですが、残念ながらこの日は午前に売り切れてしまっていました。

変わり種も含め5種類の酒饅頭を買ってみましたが、素朴で素材の味を楽しめる酒饅頭でした。生地も小麦や酒の風味が感じられる香ばしい生地で、また食べごたえがありました。

別館で詳しく紹介しています↓

上野原名物酒饅頭 創業百有余年 永井の酒饅頭 | 四季を気ままに (shikikimama.com)

上野原駅の南側・観光地上野原の歴史

上野原駅に戻ると、改札の辺りから反対側の南口の桂川が見えたので、少し歩いてみました。

以前紹介しましたが、こちらからは秋山温泉の送迎バスが出ています。

桂川は相模湖に繋がっている川です。

訪れた2月は風が強く肌寒い場所でしたが、過ごしやすい季節に河川敷を散歩するのもおすすめの場所です。

桂川流域は江戸時代以降、舟運が栄え、近隣の村々から伐りだした木材を筏流しで運んだり、また薪や炭を高瀬舟で運んでいました。相模川を下り現在の平塚の辺りまで運んでいたようです。

桂川では鮎がよく獲れ、網打ちや鵜飼の漁師がおり、鉄道ができると大正~昭和初期にかけて桂川の鵜飼を観に多くの観光客が訪れました。遊覧船で河岸段丘の広がるこの地の風景を楽しんだようです。現在でも桂川は鮎釣りのスポットして知られています。

YouTube

YouTubeでも上野原宿と酒饅頭の歴史を紹介しています。音声が遅いので1.25倍速か1.5倍速で観ていただければと思います。

よろしければご覧ください↓

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