再開発の迫る立石仲見世商店街と吞んべ横丁へ

東京都

柴又を散策した日の帰りに、昔ながらの商店街と飲み屋街を見に立石駅に立ち寄りました。本来であれば柴又の散策の記事と一緒に投稿したいところですが、内容上柴又と性格が異なるので、別にすることにしました。短い記事ですが、再開発の迫る立石の街並みを紹介したいと思います。

京成立石駅の南口を降りると、すぐに立石仲見世商店街が見えます。

お惣菜や魚の売っている昭和の商店街が残されている場所です。アーケードは1960年に作られたもので、60年近く前のものになります。

少し歩くと、昼間から行列ができる店で有名な、もつ焼屋の宇ち多゛(うちだ)があります。後ほど紹介します。

先に進むと、餃子やおでんの店や居酒屋があります。

商店街の隙間(横道)からはこうした景色も見れます。

偶然写真に収めた羊羹舟和のお店。浅草の舟和本店で唯一暖簾分けされた、飲食のできる店です。しかもお酒も飲めるようです。のんべえの聖地立石仕様の「呑める和菓子屋」なのだとか…。知っていれば飲んでいたのですが、後になって知りました。羊羹と抹茶ハイやビールが合うのだとか。

シートがかぶせた所が多いです。個人的にはあまり見ることのない光景なので、新鮮です。引戸やドアがあったりと、生活感があります。

賑やかなのは先ほどの一角で、閉店しているお店が多く、寂しさがあります。もっと活気のある商店街かと思っていましたが、静かな場所でした。

後日調べてみると、立石が賑わったのは、昭和40年代のようです。

関東大震災の後、昭和期にかけて工場が増えた立石は、戦後昭和30~40年に高度経済成長の波に乗り更に工場が増えます。工場が増えれば当然その地に住む人や消費活動をする人が増え、街は活性化します。

立石駅前の商店街には映画館や演芸場もあったようで、また、空き地ではサーカスなどの見世物が催されたようです。

毎月7のつく日には喜多向地蔵の縁日が開かれ、立石の町は身動きが取れないほど賑わったようです。お店も商店街の端から端まであり、今では想像もできないほど多くの人が歩いていたというのです。

参考サイト:葛飾区史|トップ (katsushika.lg.jp)トップページ >葛飾区史>5章暮らしの移り変わり>第4節地域の移り変わり、葛飾区公式サイト (katsushika.lg.jp)トップページ > 観光・産業情報 > 産業 > 製造業 > 葛飾区工業の歴史2

来た道を戻り、先ほどの通りへ。こちらも持つ焼のお店、ミツワ。

宇ち多゛(うちだ)は更に行列が増えています。写真と撮ったのは13:20。14時からの営業ですが、開店前から既にこの人数です。

安くて味が良いだけでなく、独自のルールがある店としても有名です。店内のメニューに「もつ焼き」としか書かれておらず、レバーなのかハツなのかシロなのか、8種類の部位を自分で言わないといけないようです。味付け(塩・タレ・味噌・素焼き)や焼き加減もその時に自分で言って注文するらしく、またお酒は数杯までと決まっているようです。他にもルールがあるようで、敷居の高い気がしますが、それがいいという人もいて連日客が絶えないようです。

さて、線路を渡り逆にある北口にやってきました。

こちらには吞んべ横丁があります。

地元でお店をやっている方でしょう。いい光景に巡り会えました。

入口

なんとも入りずらい雰囲気です。

人気がなく薄暗い通り

高架化により建物が半分に減ったようで、昔はもっとこうした建物があったようです。

飲み屋とスナックが軒を連ねる場所ですが、かつてはこの一帯は「赤線街(公的に黙認された売春地域)」だったようです。

もちろんそんなことは知らずに行きました。知っていたら多分近寄っていなかったと思います。

Home | のんべえの聖地を守る会 (wixsite.com)というサイトの「どんな街?」に書かれているのですが、この場所は「赤線街」という公的に黙認された売春地域だったようです。

元々は「立石デパート」という洋品店や飲食店が集まった建物だったようで、大正期から工場が増えるとスナックやバーができ、工場で働く人が集まるようになったのだとか。

それが戦争が始まり工場が軍需工場になると、1945年に工員向けの「産業戦士慰安所」ができ、赤線地帯とされたのです。

軍需工場で働く人のための慰安所なのですが、戦時中にそういうものがあったとは知りませんでした。

終戦後は占領軍向けの性的慰安施設となり、1946年に形式上公娼制度が廃止されるも赤線地帯として存続し、1958年の売春防止法施行に伴って赤線は廃止されたようです。

そしてその跡地にキャバレーやスナックができたという歴史があります。

何も知らずに気軽に行きましたが、歴史を知るとかなりディープな場所です。

観に行ったきっかけは、再開発でゆくゆくは建物が無くなると知ったからです。

2019年から再開発が始まり、今ある風景は取り壊されるとあったので、昭和の雰囲気の残る飲み屋街を一目見ておきたいと思いました。

この記事を書いている2021年の3月現在、まだ再開発は行われおらず、周辺住民との折り合いがついていないようです。

再開発といえば、防災上必要だという意見が広く認識されています。震災を例に、いかに昔の建物が危険かと説明されることが多いかと。

しかし再開発で建てられるのがタワーマンションとなれば話は当然スムーズにはいきません。2019年の台風19号によって武蔵小杉のタワーマンションの欠陥が露呈されましたし。

武蔵小杉はもともと冠水しやすい地形だった訳で、もちろん必ずしも「タワーマンション=危険・欠陥住宅」ということにはなりませんが、台風19号の被害によって、いろいろな問題が露呈された気がします。

文化財として保護されない以上、古いものはいずれは新しく建て替えられていくものです。しかしそれがイコール、マンションを建てるということにはつながりません。

最近読んだ本の中に、過去に近畿地方で行われた再開発がことごとく古墳を破壊した話がありました。散策に興味を持ち始めたばかりの自分には、まだまだ知らないことばかりで自分の意見を書くまでに至っていませんが、散策をする以上、再開発と昔の景観の保護の問題は切り離せないものだと思います。

そろそろいい年の大人になる訳ですし、その辺りのことも少しずつ調べてみたいものです。

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