柴又散策①彫刻の寺 柴又帝釈天へ

東京都

2018年9月、東京の柴又に行きました。柴又帝釈天に参拝して境内にある彫刻を鑑賞して、近くにある、海外でも有名な山本亭を散策をして、京成立石駅にある立石仲見世に行きました。写真が多いので前半の記事では柴又帝釈天を、後半では山本亭を紹介します。立石の散策も別の記事に分けています。

それでは本日の行程です。

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散策の行程

11:10柴又駅着

11:20柴又帝釈天

12:05山本亭

12:55柴又駅発
13:09京成立石駅着

13:15立石仲見世

都内のいろいろな場所に出かけてみようと思ってから3回目の散策。今回も天気に恵まれず、あいにくの曇り空です。

11時過ぎに柴又駅に降り、参道を歩いて柴又帝釈天に向かいます。

帝釈天参道

柴又といえば、「生まれも育ちも葛飾柴又」のセリフでお馴染み寅さん、映画「男はつらいよ」の聖地です。

参道に向かう道にはお土産屋や食事処が点在しています。

かなん亭。もつ煮込みのお店。※2019年3月に閉店

ハイカラ横丁

この時は全く興味がなくスルーしてしまいましたが、昭和のレトロな空間には駄菓子や雑貨が売られていたり、おもちゃの博物館があり、昔のゲーム機で遊ぶこともできます。

葛飾区にはおもちゃを作る工場やその下請けの町工場が沢山あったようで、おもちゃの町としても知らていたそうです。柴又周辺には多くの駄菓子屋があり、そこで売られていたおもちゃも、周辺の工場や町工場で作られてていたらしいです。

信号を渡って参道に入ります。

個人的には柴又はお年寄りが行く観光地というイメージがありますが、若い人も結構いました。中国や東南アジア辺りの若い人もいたのは意外でした。

帝釈天参道には川魚料理やお団子のお店があります。江戸時代後期頃から、柴又帝釈天に参詣する人が増えたため、参拝客をもてなすためにお店が増えたとされています。

江戸時代中期に天明の大飢饉が起こると、柴又で病気の人や衰弱した人が巷にあふれました。帝釈天の当時の住職がご本尊を背負って市中を歩き回り、病気の人に拝ませたところ、病気が治った人が多かったらしく、その話が江戸に広まって帝釈天信仰が人気となり、多くの参拝客が訪れるようになったといわれています。

草団子が有名な髙木屋

看板にあるこがね餅は、キビ粉と白玉粉と合わせて練り上げたものに、きなこをまぶしたお菓子のようです。もち米の王様「こがねもち」で作った団子という訳ではないようです。

お煎餅のお店、立花屋

葛飾は古来よりお米の産地だったため、おせんべいや団子のお店があるのだとか。

参道唯一の飴屋、松屋の飴(左手前)

川魚料理の店、川千家(左)

鰻やドジョウ、鯉が食べられる川魚のお店は、川千家や駅寄りの参道にあるゑびす家が有名です。鯉の切り身を一度温水に通してから氷水にくぐらせて冷やして身を引き締めた「鯉のあらい」や輪切りにした鯉の味噌煮込み「鯉こく」を味わえるようです。

川千家のホームページには柴又の歴史が詳しく書かれていて参考になります。鰻や鯉の話だけでなく、参道のお土産や柴又帝釈天の見所なども知ることができます。

さて、柴又帝釈天に到着しました。

柴又帝釈天

正しくは、題経寺(だいきょうじ)といいます。

経栄山 題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)
日蓮宗のお寺で、江戸時代創建の比較的新しいお寺。元は法華経寺の住職だった日忠上人によって1629年に築かれたおで、その後弟子の日栄上人が開山。帝釈堂には日蓮上人が彫ったとされる帝釈天像が安置されており、ご本尊とされている。

二天門の上には立派な彫刻が

このお寺には多くの彫刻があり、「彫刻の寺」ともいわれています。

青銅でできたと思われる像

雨受けでしょうか。

帝釈堂

こちらで参拝します。

帝釈堂に上がって右に彫刻ギャラリーがあります。右の渡り廊下の先には庭園を囲む回廊があり、400円の拝観料を払うとギャラリーと庭園を見ることができます。

彫刻ギャラリーを見てみましょう。中はこんな感じです。

柴又帝釈天の彫刻

目の前の精巧な彫刻に圧倒されます。

お釈迦様の指や守護神の髪の掘りが凄い…

雲や草や木も、細部まで精巧に彫られています。木目がまたいいですね。

この彫刻ギャラリーは、10枚の欅の板から構成されています。

日蓮宗の経典である法華経の説話の中から10の場面を選び、それぞれ1枚の板に掘っています。

名だたる彫刻師が一人一枚分担しており、10人の彫刻師による合作となっています。

作られたのは、大正11年(1922年)から昭和9(1934年)年にかけて

よく吟味して選別した欅の板が各彫刻師に届けられましたが、大正12年に関東大震災で彫刻材が焼失してしまいます。

新ためて欅の彫刻材を全国に求め、 昭和初年ようやく巨大な欅材を得て、本格的な彫刻工事が始められました。

そうした紆余曲折を経て、十数年かけこうした壮大な彫刻を完成した訳です。

完成したのが昭和9年ということですから、戦災を免れたということです。

観に行った当初はこうした歴史を知りませんでした。

後になってから、記事を書く時に調べて知ったのですが、そうした事情を知ると一段と価値が分かります。

軒下も細かく丁寧に彫られています。

10枚の板は、3面、4面、3面と分かれています。

ギャラリーを一周すると、1階に降り、下部を見ることができます。

ここもぐるっと彫刻を観ながら1周します。

階段の下にも絵柄が彫られています。

昔の工法で組まれた柱と現在のコンクリートとのコントラスト

広くはありませんが、見応えのある空間です。

階段を上って帝釈堂を一周したら、渡り廊下を歩いて、庭園を囲む回廊に向かいます。

なかなか雰囲気のいい廊下です。

板を踏む感触や床が軋む音を感じます

歩いてきた回廊を振り返ったところ。

柴又帝釈天の日本庭園

庭園の入口。邃渓園(すいけいえん)といいます。

畳と障子のある廊下

これまたいい雰囲気の造りです。

縁側の椅子に腰かけて庭を眺めることもできます。

庭には降りられませんが、縁側から眺めるだけでも十分に楽しめます。

晴れた日よりも雨や雪の降る日に眺めると、より一層楽しめそうです。

ご覧の通り平日の昼間はあまり人がいません。

天気の良くない日は特に穴場のようです。

手入れされた庭園を独り占めできるのも、贅沢なものです。

考え事をしたり、逆に何も考えずにぼんやりするのもいいですね。

回廊を歩いてぐるっと一周します。

振り返ったところ

竹垣

回廊をくねくねと歩きます。

回廊にも造り方によっていくつか種類があるのでしょうか。

角度や高さなど、意味がありそうです。そういったことを知っていればもっと散策を楽しめるのでしょう。本やサイトで調べてみてみたいものです。

奥に見えるのが、先ほどの長椅子のある縁側

幼稚園が隣接しているようで、子供たちの元気な声が聞こえてきます。静かな場所ではありません。

御神水

「この水は手を清める水です」と書かれています。

ぐるっと一周して、庭園を出ます。

予想以上に見所のある素晴らしいお寺でした。

映画の印象からか、名前が有名なだけで特に観る所のないお寺だと思っていましたが、十分に楽しめました。彫刻ギャラリーだけでなく、境内の各所に彫刻があり、それらを観ながらゆっくり過ごすのもいいのではないかと思います。

ついでに、門に提げられた提灯の「庚申」という字は、「庚申待(こうしんまち)」を意味しています。60日毎にめぐってくる庚申の日に、夜通し起きて飲食をしながら朝を迎える行事のことを指します。

柴又帝釈天では、ご本尊が庚申の日に見つかったことから、庚申の日を縁日とし、前日から庚申待ちをする習慣(「宵庚申」ともいわれています)が江戸時代中期~後期から始まったといわれています。地元の者が参道にあるお店で朝まで飲み食いして過ごし、明け方になるとお寺にお参りして、解散するといった風習がありました。庚申待ちについては別館に書いているので、興味のある方は見てみてください。

【柴又帝釈天】庚申待 帝釈天信仰や庚申信仰、暦、講、縁日などについて | 見知らぬ暮らしの一齣を (tabitsuzuri.com)

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