【京都】日本三景 天橋立駅の見どころと歴史(電車日本一周補完の旅9日目③)

京都府
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今回は海の京都、天橋立をご紹介します。
天橋立は、京都府北部の日本海の宮津湾に位置した観光名所で、
宮城県の松島広島県の宮島とともに、日本三景の特別名勝の一つです。

天橋立は、自然がつくりあげた神秘の地形が見どころと言われていますが、
あまり知られていない意外な歴史がある場所でもあります。

実は昔、天橋立の切断計画があった
天橋立の先にある神社に天照大神が祀られていた
天橋立と松島、宮島にはある共通点があった

そんな天橋立にまつわる話を、今回は旅の映像と共にお伝えしたいと思います。
皆さんの旅の参考になれば嬉しく思います。

旅をしたのは2022年の3月下旬です。

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天橋立の展望台 笠松公園

京都の伊根からバスで天橋立に向かいます。
この日は伊根を散策をしてから天橋立に向かいました。
伊根は天橋立駅からバスで1時間、天橋立ケーブル下から30分の距離なので、天橋立とセットで楽しむのがお勧めです。

天橋立ケーブル下のバス停で降りて、ケーブルカーとリフト乗場の府中駅に向かいます。

頂上にある笠松公園には、天橋立の展望台があります。

ケーブルカーもリフトも料金は同じで340円で、
ケーブルカーは15分おきに運転していて4分で着き、
リフトは6分かかりますがいつでも乗れます。

上りは数カ所、足が地面に当たりそうになる場所があり、その都度足を上げなければなりませんでした。
季節はまだ春が訪れる前でしたが、小さな虫が近くを飛んだり、ぶつかってきたりしたので、虫が苦手な方はケーブルカーの方がお勧めです。

笠松公園は天橋立を渡った所の高台にあります。

天橋立を観れる展望台は天橋立駅の方にもあり、そちらは天橋立ビューランドといいます。
ビューランドの方はリフトとモノレールで山頂に上り、運賃が往復850円で、
山頂には遊園地がありアーチェリーやゴーカートなどを楽しめ、家族連れにもお勧めです。
このような眺めを楽しめるようです。
笠松公園は一人旅やカップルにお勧めで、ビューランドはファミリー向けと、一般的には言われています。

リフトで山頂に着くと、早速天橋立が見えました。

山頂からは西国三十三所の第28番札所の、成相寺(なりあいじ)に向かうバスが出ています。
バスの本数が少ないので、参拝は止めました。

天橋立の成り立ち(伝承と自然)

天橋立の由来の説明板には、
神代(かみよ)の昔、天にあったイザナギが地上の籠宮(このみや)におられたイザナミの元に通うため、天から長い梯(かけはし)を懸けたがこれが一夜のうちに倒れてできたのが、天橋立と伝えられている、笠松公園から股のぞきをすることにより天橋立が天に懸かっているように見える、
と書かれています。

階段を上り、更に見晴らしのいい場所に向かいます。

こちらが、天橋立を北側から一望できる展望所です。

ここからの眺めは、天橋立が昇り龍のように見えることから「昇龍観(しょうりゅうかん)」と呼ばれています。

ちなみに、天橋立ビューランドから見える景色は飛龍観(ひりゅうかん)と呼ばれています。
天橋立を股の間からのぞくと天地が逆転したように見える「股のぞき」発祥の地として知られています。

天橋立は何千年もの歳月をかけて自然がつくりだした神秘の地形です。
幅が約20mから170m、全長約3.6kmの砂嘴で、約5000本の松が生い茂る珍しい地形です。
※散策動画では砂洲といいましたが、厳密には砂嘴です。府中駅の看板と京都府のHPでは砂嘴とあり、
Wikipediaでは砂洲と書かれています。松も6500本と説明しているものもありますが、少なく見積もって5000本とします。

右が内海の阿蘇海で、左が外海の宮津湾です。
阿蘇海に流れ込む野田川の運んできた土砂と、海流により宮津湾へ流れ込む砂とがぶつかり、体積して形成されたものです。

天橋立は自然の偶発により奇跡的に生まれた地形で、約4000年前にはほぼ現在の姿に近い形となったのだそうです。

天上のイザナギが地上のイザナミに会うために天橋立ができた伝承があることから、
天橋立を観れるここ笠松公園は、男女の仲を結ぶ良縁成就の地とされています。

リフトに乗って下に降りて、実際に天橋立を歩いてみたいと思います。

天橋立の切断計画と牡蠣の大量繫殖

意外にも、日本三景に選ばれているこの景観は、住民にとっては昔から必ずしも有難いものではなかったようです。
天橋立は漁をする際に船の運航に不便で、また漁が不振になるという理由で、
江戸時代に住民から天橋立を切ってくれと上訴がありました。

住民の意見は却下され現在までこの地形が維持されてますが、読んだ本には切断計画が記録に残るもので江戸時代に3回、明治時代、戦時中にあったと書かれていました。
神話に描かれたこの神秘の地形も、地元の住民にとっては実際の生活には不便なもので、必ずしもよく評価されていた訳ではなかったことが分かります。
※出典:『日本三景の謎 天橋立、宮島、松島―知られざる日本史の真実』

ユーチューブでは紹介できなかった内容です
『日本三景の謎 天橋立、宮島、松島―知られざる日本史の真実』によると、江戸時代の天橋立切断計画は、1716年、内海に面する溝尻(みぞじり)村が内外の海の不便さと漁業不振から宮津藩に天橋立切断の許可を求める書状を提出したとあります。
知恩寺が「不吉第一に奉存候」といったことで見送られ、その後も1739年1749年、明治以後も1868年、第二次大戦中の1937年と、都度村人から切断計画が持ち上がりました。

現在も地元の方にとって頭を悩ます問題があり、それが牡蠣の繁殖です。
海水の流れが少ない阿蘇海では、牡蠣にとって栄養価の高い生活用水が増え、牡蠣が大量に繁殖しているようです。
大量に発生した牡蠣は天橋立の景観を損ね、また海から出て死んだ牡蠣が悪臭を放つという問題が、現在はあるようです。

以前、2015年の夏に電車日本一周の旅をした時に、天橋立に行く予定でしたが、テレビで牡蠣が大量に繁殖して悪臭が酷いと取り上げているのを観て、天橋立に行くのを止めたことを覚えています。

観光客を集める日本三景のこの地形も、住民にとってはマイナス面もあることが分かります。

つるや食堂

天橋立でご当地の食を楽しむなら、府中駅の近くにあるつるや食堂がお勧めです。

旬のイカやブリ、バイ貝、アカモクを楽しめる丹後お宝丼が美味しかったです。

海鮮丼は散策動画で紹介しているのでそちらもよろしければご覧ください。

【京都】天橋立 つるや食堂の丹後お宝丼 | 四季を気ままに (shikikimama.com)

かつて天照大神を祀っていた籠神社

府中駅から天橋立に向かう途中に、元伊勢 籠(この)神社があります。

つるや食堂のある通りからもアクセスできます。

天照大神(あまてらすおおみかみ)が伊勢にお遷りになる前に4年間ここで祀られていたため、元伊勢神社と呼ばれています。

丹後の国の一宮となり、山陰道唯一の大社であり最高の社格と由緒を誇ってきた歴史ある神社です。
笠松公園の説明板に、天上のイザナギが地上の籠宮にいらしたイザナミに会いに来られたとあったことから、この地は古代から神聖な場所だったことが分かります。

ブログでは紹介できなかった内容です
本殿正面には伊勢神宮と籠神社にしか祀ることが許されていない五色の座玉(すえたま)が輝いているそうです。
また境内には地下を流れる水の音を聞くことができる水琴屈があり、ゆっくり参拝するのもよさそうな神社です。

天橋立を歩く

天橋立を渡って駅に向かいます。

フェリーだと12分で対岸の桟橋に着くようです。
2023年7月現在の運賃は、片道700円、往復1,200円です。

天橋立の海の幸は、11月に解禁される松葉ガニと12月~2月にかけて獲れるが有名です。
他にも4月~8月に水揚げされる白イカアサリ丹後とり貝が知られています。

さて、ここから実際に3.6kmの道を歩いてみましょう。

対岸まで約1時間かかります。

神聖な天橋立と太陽信仰

天上と地上を繋ぐ梯(かけはし)が倒れてできた伝承のある天橋立は、籠神社の参道にあたり、昔の人は天橋立を歩いて籠神社に参拝しました。
天橋立は人の住む世と神の住む神聖な場所とを結ぶものでした。

天照大神が4年間お祀りされていた籠神社では、太陽崇拝が行われ、自然暦(しぜんれき)による祭祀(さいし)が行われていたようです。
現代よりも遥かに自然信仰が篤かった古代、天橋立ではそれがより顕著であり、太陽の動きを重要視した祭祀が行われていたというのです。

天橋立と日本三景の2つの共通点

興味深いのが、日本三景が夏至の日の出と冬至の日没の方位を結んだ直線上にあることです。

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松島が一年で最も太陽の勢いが強い夏至の日の出が昇る所にあり、宮島が一年で最も太陽の勢いが弱い冬至の日が沈む所にあり、天橋立がそれを結んだ直線の間にあります

日本三景の括りは江戸時代初期につくられたもので、1643年に林羅山の子・春斎(しゅんさい)が松島・天橋立・宮島を「三処奇観」として本に記したのが始まりとされています。
そのときに三名所と括った(くくった)のが、現在は日本三景と呼ばれ残っています。
当時から日本各地には、景観の素晴らしい場所や珍しい場所は他にもあり、松島・天橋立・宮島が三名所に括られることに反対意見が少なくなかったといいます。

そのことから、松島・天橋立・宮島をセットにしたのには何かしらの理由があるという意見があり、それは太陽の動きに重きを置いた自然暦に深く関係しているという説があります。

日本三景のもう一つの共通点が、いずれも軍港だったことです。
天橋立のある丹後半島は対馬海流に乗って朝鮮半島から渡来人がやってくる場所でした。
そのため軍事集団があり、特に飛鳥時代の天智2年(663年)に白村江の戦(はくすきのえのたたかい)で負けた後はしばらく、新羅の攻撃を強く警戒し、丹後の国の防備が強化がされたといいます。

宮島が軍港というのは知られていると思いますが、松島の方は古代に多賀城の軍港でした。蝦夷征討は遅くとも7世紀前半には始まっていたとみられ、当時は水上交通が主流だったため、松島は軍港として機能しました。

※丹後半島と朝鮮半島の渡来人との関係は、伊根の所で書いています↓

【京都】舟屋が並ぶ魅力の港町 伊根 後半(電車日本一周補完の旅9日目②) | 綴る旅 (tsuzuritabi.com)

目次の3.新井崎神社へ 丹後の歴史からどうぞ

※出典:『日本三景の謎 天橋立、宮島、松島―知られざる日本史の真実』

旅の後で本を一冊読んだだけなので詳しいことは知りませんが、太陽の動きを重要視した自然暦と軍港が日本三景と大きく関係しているのは、非常に興味深いものがあります。

羽衣伝説・金樽イワシ・砂嘴の消滅危機・黒松・天橋立神社

丹後半島には大陸からもたらされた伝承が少なくなく、天橋立には有名なものでは羽衣伝説があります。

羽衣伝説は大まかに分けると、丹後型近江型があり、丹後型ではお爺さんとお婆さんが天女の羽衣を隠し、帰れなくなった天女がお酒を造りお爺さんとお婆さんが豊かになる話です。近江型は男が羽衣を隠して帰れなくなった天女と結婚する話です。

地方によっては天女は機織りが上手いというパターンもあり、酒造りや機織り、さらには養蚕、農業が上手いことが物語に描かれており、これは秦氏をはじめとする渡来人が優れた技術をもち、それを丹後地方の住民に伝えたことを表していると考えられます。

YouTubeでは紹介できなかった内容です。
七夕の「ばた」は秦氏の「はた」を意味しているといいます。また羽衣伝説で別れた天女と男はその一年に一度7月7日の日だけ会えるという七夕の話に繋がり、羽衣伝説は現代のイベントにも大きく関係しています。

途中、金樽イワシの説明板がありました。
天橋立の内海ではかつて大量に金樽イワシ、別名金太郎イワシが獲れ、美味で、一千以上も昔から丹後の名産として名高く、イワシに因む伝承が多いとあります。

内海の阿蘇海はプランクトンが豊富で、これを食べたマイワシが丸々と太り脂がのり美味しくなるのだそうです。近年では獲れる数が減り、ほとんどが高級料亭や地元で流通しているようです。

ついでに、こちらはおそらくマイワシではなく片口イワシですが、上品で美味しかったので、お土産にお勧めです。天橋立駅のお土産に売っていました。

イワシのオイルサーディンはこちらの記事をどうぞ↓

【京都】天橋立のイワシのオイルサーディン | 四季を気ままに (shikikimama.com)

歩いていて気になったのが、こちらのコンクリートです。
天橋立はてっきり自然の景観だと思っていましたが、近年では護岸工事をしないと天橋立の砂嘴を保てなくなっているようです。

天橋立は野田川の運んできた土砂が宮津湾へ流れ込む海流とぶつかり体積してできましたが、戦後にダムが造られ山から海へ流れる土砂が激減すると、海からの浸食により砂嘴が縮小しているのだそうです。
このままでは消滅の危機にあるということで、サンドバイパスと呼ばれる小型の堤を設置して、土砂の流失を食い止めているようです。

砂嘴を小さくすれば観光客が減り、維持すれば牡蛎の繁殖に悩まされるといったジレンマに、地元の方が陥っていると言うと、それは言い過ぎになるのでしょうが、住民の悩みが少し垣間見れる気がします。

松並木を歩いていて不思議な感覚を覚えました。ここ天橋立では黒松が自然に生えていますが、よく見ると変わったものがあります。

枝の曲がったものや枝が幹の下から生えているものがたくさん観られます。

一見いびつに思えますが、これが手入れされていない、本来の松の姿なのでしょう。
日本庭園などで見られる松がいかに手入れされたものか、この松をみるとわかります。

ちなみにクロマツは、砂地で育ち、塩の害に強く、劣悪な環境でも生育できる植物なので、海岸に防風林として植えられることが多い植物です。

正直、1時間の道のりは長いですが、天橋立の歴史や地理、黒松のことを考えて歩くと、この道のりも退屈には思えません。

それに海の中を歩いていると思うと、貴重な体験に思えます。

天橋立神社

こちらの天橋立神社は、真水が湧くことから磯清水と呼ばれる井戸があり、磯清水神社ともいわれてきました。

江戸時代は天橋立は知恩寺の寺領で、天橋立神社は知恩寺に属する神社でした。

天橋立の切断計画が江戸時代に出た時は、知恩寺が天橋立を切るのは不吉だから駄目だと住民の上訴を却下したそうです。

磯清水は湧き水なので飲むのは避け、手水として利用するよう書かれています。

所々見どころがあります。

こちらは剣豪の岩見重太郎が父の仇を討つ際に試し切りをしたと伝わる石です。

岩見重太郎は講談などで語られる空想の人物とも、豊臣家の家臣で大坂夏の陣で戦死した薄田兼相(すすきだかねすけ)とも言われています。

日本三文殊第一の霊場 知恩寺

そして天橋立を渡ると、駅の近くに知恩寺があります。
日本三文殊第一の霊場と言われてきた歴史があります。
日本三文殊とは、大和の安倍文殊(奈良県桜井市)と、ここ丹後の切戸(きれと)文殊(京都府宮津市智恩寺)、そして出羽の亀岡文殊(山形県高畠町)の3ヶ所です。

『黄金閣』と称される山門をくぐり参拝します。
知恩寺は『三人寄れば文殊の智恵』でおなじみの文殊菩薩を祀る寺院で、学問の神様として信仰を集めてきた寺院です。

寺院のホームページによると、文殊菩薩は正式には文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)とお呼びするようです。
ご本尊をお祀りする文殊堂には、学問をはじめ和歌や武芸の向上を願った多くの絵馬や額(がく)が掲げられています。一般的な絵馬だけでなく、俳諧や和歌、算額(さんがく)、書跡(しょせき)など、多様な絵馬や額を観ることができました。
※算額:絵馬や額に和算の問題や解法を記して神社や寺院に奉納したもの

宝篋印塔五輪塔多宝塔を観れたのも印象的でした。

多宝塔は真言宗の寺院に多いようですが、知恩寺は臨済宗妙心寺派(りんざいしゅうみょうしんじは)に属する禅寺です。
宝篋印塔や五輪の塔、多宝塔の説明は石山寺の音声解説動画で紹介しているので、興味のある方はそちらをご覧ください。

五輪塔

近くには知恵の輪と呼ばれる、かつて船の灯籠だった石塔があります。
江戸時代、航海の安全のために建てられたもののようです。

下調べ不足で素通りしてしまいましたが、知恩寺の門前では江戸時代から売られている知恵の餅が名物です。

そして天橋立駅に戻り、宿泊地の福知山に戻りました。

今回は海の京都、天橋立の歴史を紹介しました。以前は天橋立に興味を持てませんでしたが、調べてみると歴史があり見どころのある場所です。
歴史に興味がなくても伊根とセットで観光すると楽しめる場所です。
皆さんの旅の参考にしていただけたらと思います。

ご覧いただきありがとうございました。

YouTube

動画でも紹介しています。是非ご覧ください。

参考文献

宮元健次『日本三景の謎 天橋立、宮島、松島―知られざる日本史の真実』祥伝社黄金文庫(2010年)

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