【奈良】世界最古の木造建築・世界遺産法隆寺(日本一周補完の旅3日目①)

奈良県

今回は日本人であれば誰でも知っているであろう、有名な法隆寺をご紹介します。法隆寺の拝観料は1,500円という一見、高く感じる値段ですが、拝観してみると見ごたえのある場所が多く、十分に楽しめる寺院です。今回はそんな法隆寺の見どころを紹介していきます。

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法隆寺へ

2022年の春に29日間の電車の旅をしました。その3日目は世界遺産に登録されている奈良の文化遺産を観て回りました。法隆寺・薬師寺・唐招提寺・平城宮跡(へいじょうきゅうせき)を歩き、翌日に東大寺・春日大社・興福寺に行きました。まずは法隆寺に参拝します。

旅の3日目は大阪から奈良へ向かいます。6:30の電車で大阪駅を出発して、1時間かけて法隆寺駅に向かいます。大阪駅から電車に20分ほど乗り新今宮駅で乗り換えて、更に40分乗ります。

この時間は快速がありませんでしたが、奈良行の快速に乗れれば乗換なしで40分で大阪駅から法隆寺駅に移動できます。

残念ながら窓が汚れていて、車窓の景色を楽しめませんでした。

法隆寺駅に着きました。

エスカレーターの立ち位置は関西圏の右側です。

ここから20分ほど歩いて法隆寺に向かいます。

この時間はまだバスがありません。

反対の道には法起寺(ほうきじ)という、法隆寺と同時代に創建され、創建当初の三重塔が残る古寺があります。

ごく普通の道ですが、仏教が伝来した6世紀中頃から7世紀前半まで、政治の中心だった飛鳥を歩いていると思うと、不思議な感じがします。

参道に入ると観光案内所とバス停があります。

日中は、法隆寺駅に向かうバスは1時間に3本あります。

柿の葉寿司の名店、平宗(ひらそう)もあります。

法隆寺に着きました。

世界遺産法隆寺

南大門と鯛石

法隆寺の入口にあたる南大門は、室町時代に造られた門です。これより先にある古い建物は、全て室町時代よりも前の時代に造られたものになります。

これから観る法隆寺の五重塔や金堂は、建物の柱が礎石という自然石の上に乗っています。柱の底を石の表面に合わせて削ることで、柱と石がピタッと重なり、一度建てたらびくともせず、重い瓦を支え、地震がきても倒壊しないようになっています。

こちらの門は室町時代に造られた門ですが、屋根の柱を支える組物も立派です。

南大門の前には、鯛石と呼ばれる石があります。

法隆寺を水害から守る石と云われ、大雨が降り近くを流れる大和川が氾濫しても、この石より上に水が来ることはないのだそうです。

後ろを見てみると、確かに周りよりも高くなっています。

南大門をくぐって先に進みましょう。

土壁(築地塀)が何ともいい雰囲気です。

法隆寺の宝物

法隆寺は平成5年(1993年)に日本で最初の世界文化遺産になりました。その時、姫路城も一緒に登録されました。境内は東京ドーム4個分の広さがあります。

7世紀初め、607年に創建された法隆寺には、190以上もの国宝・重要文化財があり、指定文化財以外を含むとその数は2300点に及びます。創建当初から現在に至るまで、災害や戦火を免れてきたため、それほどの国宝や重要文化財が残っています。

法隆寺は670年に火事のため建物がすべて焼け落ちましたが、711年までには再建されたと言われており、それ以降は現在まで、飛鳥時代当時の姿を留めている、とても文化的価値のある場所です。

法隆寺に保管されてきた宝物類は、東京の国立博物館にも保管されています。国立博物館の法隆寺宝物館で観ることのできる宝物類は、明治時代の廃仏毀釈で法隆寺が経済的に困難な状況になった際、その危機を免れるために皇室に献納したものです。

明治11年(1878年)に、聖徳太子の肖像画や隋唐からもたらされた金銅仏など300余りの宝物を皇室に献納し、一万円を下賜され、それを伽藍の修理や維持に充てたのだそうです。物価の上昇が激しかった明治時代の1万円の価値が現在の幾らに相当するのか表すのは難しいところですが、一つの目安としては、明治初年は1万円が1億円、明治40年は1,000万円の価値があったとされています。

中門

先に進むと、奈良時代に造られた日本最古の仁王像が立つ中門があります。中門の左右に立つ巨大な金剛力士像は奈良時代に造られたもので、日本最古の仁王像といわれています。

向かって右に位置するのが阿像。向かって左に位置するのが吽像。阿吽の呼吸で門を護っている。

普通、お寺の門は出入り口が一つか三つなのですが、こちらの門は二つです。門の真ん中に柱が立っている不思議な造りは謎とされています。

右の阿像は、粘土を自然乾燥させて造った塑像なのですが、長い間風雨にさらされながら今もなお当時の面影を残しています。

左の吽像は、おそらく木像かと思われます。

7年前に来た時は顔の一部が塑像で、修理の際にくっつけられた木像との色の違いが素晴らしく、今回はそれを動画に撮りたかったのですが、その後の改修により同じ素材になっていました。しかし、右の阿像と同様に風化した様子となっており、これはこれで改修技術の高さがうかがえます。もしかしたら、削げ落ちた塑像の部分に別の木を組み込んで繋ぎ目が分からないように改修しているのかもしれません。

改修の前の吽像(2015年7月撮影)。顔の左側が塑像(粘土)、右側が木像だった。

拝観料を払い中に入ります。1,500円かかりますが、3カ所の共通券となっています。五重塔と金堂のある西院伽藍(さいいんがらん)と宝物殿の大宝蔵院(だいほうぞういん)、そして聖徳太子を偲んで建てられた夢殿を観ることができます。

五重塔(西院伽藍)

拝観料を払い回廊の中に入ると、まずは五重塔が目に入ります。高さは約32.5mあります。五重塔は地・水・火・風・空の五大をかたどっているといわれています。

記録に残るだけでも、畿内には大地震が40回以上あったといいますが、1300年以上も地震によって倒壊しなかったことは、凄いとしか言いようがありません。法隆寺の耐震技術が東京スカイツリーに使われていることは、よく知られています。

塔の中心に「心柱(しんばしら)」と呼ばれる一本の柱が通っていて、それが振子となることで倒壊を防いでいるといわれていますが、建物全体が揺れの際に塔を支えるように造られているから地震に強いともいわれています。柱をぎちぎちに組まず、地震で揺れたら建物が揺れ、揺れている間に複雑な組物で揺れを吸収する造りのようで、「柔構造」というそうです。

また壁の役割が大きく、仕切りとしての機能ではなく、地震や風から塔を守り、塔に架かる負荷を和らげているともいわれています。

そして地震だけでなく、雷から被害を免れてきたのは、まさに奇跡としか思えません。五重塔に避雷針が付けられたのは大正になってからのことで、明治時代までは五重塔には避雷針がありませんでした。

相輪は金属なので、かなりの確率で雷が落ちます。現に鎌倉時代に雷が落ちて二重目から火が噴き出し、大工の懸命な消火により鎮火されています。ついでに、その後、雷除けとして五重塔の法輪に4本の鎌が付けられ、その2本が現在も残っています。

塔の一番上にある相輪は3トンの重さがあるそうですが、重い屋根を支えるにはそれくらいの重さが必要なのだそうです。塔の上部の屋根は上からの負荷がないと風で弱く飛ばされてしまうので、長くて重い相輪を立てています。

柵の部分の卍くずしと呼ばれる高欄(勾欄・欄干とも)と、雲の形をした雲斗(くもと)や雲肘木(くもひじき)が五重塔の特徴です。金堂でも見られますが、いずれも法隆寺周辺にある古寺でしか見ることができないものです。

もう一つ、五重塔が地震や風の被害を免れてきたのは、しっかりとした土台があるからです。地盤のしっかりした所まで土を掘り、そこに良質の粘土を一寸(約3センチ)ぐらいつき固め、その上に砂を置き、それを繰り返して頑丈な土台を造っています(『木に学べ』)。ですので重くても崩れず、また地震や大風で建物が揺れても崩れることがないのです。

五重塔と金堂の基壇は二重基壇となっている

五重塔は、外から塔の中を観ることができ、中にはお釈迦様の説話の場面を表した塑像があります。

金堂(西院伽藍)

五重塔の隣には、聖徳太子のために造られた釈迦三尊像が安置されている金堂があります。
軒が深く出ているのが見どころです。

寺院建築は中国大陸から伝えられましたが、大陸にはこのような深い軒はありません。他のお寺の金堂や講堂・五重塔もそうですが、軒が深いのは、雨が多く湿気の多い日本の風土に合わせて、日本人が独自に工夫したものです。

ついでに、寺院建築に関して本場中国大陸と日本との違いは、組物にもあります。日本の家には組物がありませんが、朝鮮や中国大陸、台湾では組物が軒を支えるために、家の建築に積極的に用いられました。

日本では寺院が権力の象徴だったため、朝鮮半島からもたらされた組物を使う仏教建築を、従来の日本の住居建築とはっきり区別し、住居に使うのを禁止したからとされています。

組物

金堂の柵の高欄(勾欄・欄干とも)は飛鳥建築の特徴である卍くずしと呼ばれていますが、その下の人の字をした柱の支えも法隆寺の特徴です。

2階の軒下の柱には龍が巻き付いていますが、これは創建当初のものではなく、江戸時代の修復の際に取り付けられたものです。異質なので取り除こうと試みたものの、今となっては屋根を支えるには太い木が必要で、柱を削れないのだそうです。

法隆寺は飛鳥時代を象徴する代表的な飛鳥様式の建物と語られることがありますが、飛鳥時代の建物は多彩だったといわれています。現存していたのが法隆寺だけなので、あたかも飛鳥時代の寺院は法隆寺のような造りだと思われてきましたが、その後、飛鳥寺や四天王寺が発掘され、その構造が特異だったことが分かり、現在では飛鳥時代の寺院建築は多彩であることが分かっています。

雲肘木を支える柱に鬼や象が刻まれている

奥に見える大講堂は平安時代に再建された建物です。

法隆寺の見どころといえば、回廊の柱の下の方が膨らんでいるエンタシスが有名ですが、膨らんでいる柱はあまりありませんでした。金堂の柱にも膨らみが見られるようです。

右手前の柱にエンタシスが見られる

回廊にあるこの檜の樹齢は何年くらいなのでしょうか。

金堂や五重塔に使われている檜は樹齢千年といわれています。千年もの間生存競争に勝ち抜いてきた檜は頑丈で、建築材として千年持つといわれています。法隆寺が地震や台風で倒壊せずに現存しているのは、建築技術だけでなく、樹齢千年の檜という素晴らしい素材を使っているからです。

回廊の上の曲がった梁(はり)や格子も見どころの一つです。

大宝蔵院

法隆寺の拝観料は1,500円と決して安くはありませんが、金堂と五重塔がある西院伽藍の他に、大宝蔵院と夢殿を観ることができます。

宝物殿の大宝蔵院の展示は素晴らしく、時間を忘れて数々の名宝を見てしまうほどです。夢違観音(ゆめちがいかんのん)像や百済観音像、玉虫厨子(たまむしのずし)といった、日本史の資料集で一度は見たことのある有名な国宝を間近で観ることができます。

写真が撮れないのが残念ですが、解説が分かりやすく、仏像であれば木像・銅像・塑像・乾漆像・石造と全ての種類が揃っていて、飛鳥時代から近代にいたるまで様々な時代の仏像を観ることができます。白檀造りの九面観音像や百万塔も印象的でした。

白鳳時代のもので、この像に祈ると悪夢が吉夢に変わるとの伝説から、夢違観音と呼ばれ親しまれている。
飛鳥時代のもので、側面に描かれた釈迦の前世説話「捨身飼虎図」「施身聞偈」が有名だが、その上には錣葺(しころぶき)の屋根と精緻に造られた組み物の仏殿があり、金堂より古い建築様式がみられる。
飛鳥彫刻を代表する像で像高が209.4㎝。すらりと伸びた体躯に、優しく微笑みかける柔和な尊顔が特徴。

時間がなくてほとんど見れませんでしたが、西院伽藍にはいろいろと見どころのある建物があります。

五重塔のある回廊の右(東)には聖霊院という鎌倉時代に造られた建物があり、

その隣(向かい)には、東室(ひがしむろ)と妻室(つまむろ)という法隆寺に住んでいた僧が住んでいた建物があります。

飛鳥時代に造られた古い建物です。

その隣(東)には綱封蔵(こうふうぞう)という、平安時代に造られたお寺の宝物を保管している蔵があります。

修理の跡でしょうか、それとも他の木が差し込まれていたのでしょうか。いずれにしても、柱も礎石も立派です。

その近くには馬屋がありました。

聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのおうじ)が本来の名前で、それは母親が馬官の厩戸の前で聖徳太子を産んだからとされていますが、これはキリストが馬小屋で生まれたという話と似ています。唐の時代にキリスト教の一派である景教(ネストリウス教)が流行していたことと関係あるのではないかと、いわれています。

夢殿

そして離れた東院伽藍には夢殿があります。

奈良時代に造られた東大門をくぐります。三棟造りの奈良時代を代表する建物のようです。

桃山時代から江戸時代に造られた築地塀も見どころの一つです。

粘土を棒で一層ずつ何層にも突き固めて造るのだそうです。

風雨にさらされ劣化しているのがまた時間を感じさせるというか、風情があるというか、うまく表現できませんが、いい光景です。

瓦を間近で観れるのもいいです。

夢殿の入口です。

奥には鎌倉時代に造られた東院鐘楼という、奈良時代の梵鐘(ぼんしょう)が吊るされている建物があります。

夢殿は聖徳太子の徳を偲んで造られたと伝わる建物ですが、実際この地に、晩年でしょうか、政治から距離を置いた聖徳太子が住んでいたのだそうです。

夢殿は奈良時代の天平11年(739)年の建立とされていますが、鎌倉時代に改修をして、屋根を高く、軒を深くしたので、現在の形は鎌倉時代ののものになるようです。

見どころの一つは、八角形の形ですが、八角形というのは屋根を抑えるのに難しい構造なのだそうです。一般的な四角形の屋根なら四隅を抑えればいいのですが、これが八つとなるとバランスが非常に難しいのです。難しいということは建築技術が高いということでしょう。

てっぺんに重みのある宝珠を乗せて屋根を抑えていますが、蓮の蕾(つぼみ)をデザインしたもので当時の極楽思想を知ることができます。

八角形をしているのは、お釈迦様が一生のうちに経過した八種の相、降兜率(ごうとそつ)・入胎(にったい)・出胎・出家・降魔(または住胎)・成道・転法輪・入滅
を表しているといわれているそうです。

※降兜率(ごうとそつ)は兜率天から下ったこと、降魔(ごうま)は悪魔の誘惑に打ち勝つこと、成道は悟りを開いて仏になること、転法輪は説法・教化したこと

基壇が高いのも特徴です。

こちらの絵殿・舎利殿は鎌倉時代の建物です。

さて、時間が大分押してしまったので法隆寺駅に向かいます。法隆寺の土壁は外から見ても楽しめます。時間があれば、外から塀の周りを歩いてみるのも楽しそうです。

宝物殿で仏像を見ていたら、時間がかなり押してしまいました。
静かな空間で飛鳥時代に造られた仏像の前に立つと、時間を忘れていろいろなことを考えてしまいます。

法隆寺は拝観料が高いと思っていましたが、千年以上も多くの人の手で護られてきた世界最古の木造建築と、国宝の仏像を観れると思うと、1,500円という拝観料はそれほど高いものではない、と思えます。もっと、半日くらいかけて、ゆっくり境内を観たい場所です。

法隆寺iセンター

帰りに観光案内所の法隆寺iセンターに立ち寄ります。時間の都合上、法隆寺の後に寄りましたが、こちらは法隆寺の見どころを紹介しているので、まず先にここを見てから法隆寺に参拝するのがおすすめです。

無料の施設で、ここでは飛鳥時代、法隆寺をどのように造ったのか知ることができます。

法隆寺の改修の際に使った道具も展示しています。

改修の際に宮大工が使った道具

旅をする前に読んだ本には、奈良時代の建物は平安時代に比べて多く残されていることが書かれていました。74年間続いた奈良時代の仏教建築は28棟あるのに対して、約400年続いた平安時代の仏教建築はわずか29棟らしいです。数字が正しいのかは分かりませんが、これは奈良の魅力を伝えているものとも考えられます。奈良の古寺を訪れた際は、奈良時代に建築された遺構を楽しむのがお勧めです。

感想(総評)

法隆寺の見どころをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。法隆寺の何が凄いのかといえば、1,300年以上も創建当初の姿を残していることです。五重塔・金堂・中門・回廊の四つが現存する世界最古の木造建築物です。

法隆寺の創建は推古15年(607)頃と伝えられていますが、670年に火災で一屋余すことなく焼失してしまいました。しかし、7世紀後半に再建されてから地震・雷・台風・火事から焼失を免れ、現在まで残っています。

日本に現存する古くからある古寺は、多くの人の多大なる努力により守られてきましたが、地震などの天災には抗えないものです。しかし法隆寺はそれらの危機を幾度も乗り越え、倒壊・焼失することなく、現在までその姿をとどめています。これはもの凄いことで、これだけで法隆寺を参拝する価値があると言えます。

そして法隆寺には多くの宝物が残されています。190以上もの国宝・重要文化財があり、指定文化財以外を含むとその数は3,000点に及びます。それほどの国宝や重要文化財が残っており、金堂や宝物殿で飛鳥時代を代表する仏像をはじめとした有名な国宝を観ることができます。

ここに法隆寺の凄さがあり、是非参拝していただきたいと思う所以です。

YouTube

法隆寺の詳しい見どころは音声解説動画でも紹介しています。よろしければこちらも是非ご覧ください。

参考文献

記事を書くにあたり参考にした本を紹介しておきます。興味のある方は是非ご覧ください。

島田裕巳『浄土宗はなぜ日本でいちばん多いのか』幻冬舎新書(2012)

https://amzn.to/3KQ3wen

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか 仏教宗派の謎 (幻冬舎新書)

https://amzn.to/3J2HOT0

西岡常一『木に学べ』小学館文庫(2003年)

https://amzn.to/3KItErH

玉井哲雄『日本の建築の歴史 寺院・神社と住宅』河出書房新社(2008)

https://amzn.to/3Y59jje

図説 日本建築の歴史: 寺院・神社と住宅 (ふくろうの本/日本の文化)

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