【奈良】金魚のまち大和郡山散策(日本一周補完の旅3日目②)

奈良県

今回は奈良の大和郡山をご紹介します。大和郡山は江戸時代から金魚の養殖が盛んに行われ、現在は金魚の日本三大産地の一つに数えられており、また海外に金魚を輸出している金魚の養殖地です。今回はそんな金魚のまち大和郡山について、旅をして知ったことを書いていきたいと思います。旅をしたのは2022年の3月です。

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法隆寺から郡山駅へ

前回の続きです。JR法隆寺駅から電車に乗り、2つ先の郡山駅に向かいます。

車窓からは長閑な風景が見えます。

郡山駅に着きました。乗車時間は約7分です。

金魚のまち大和郡山

JR郡山駅の改札を出るとこんなものがありました。

郡山駅は金魚の町として知られています。JRの郡山駅から近鉄線の郡山駅まで歩きますが、その途中に金魚ストリートがあります(左の近鉄郡山駅の右辺り)。

近鉄郡山駅から徒歩10分の所には、金魚の資料館もあります(駅の南側)。

時間が押して歩くのを断念しましたが、金魚資料館の近くには金魚の養殖場がいくつもあり、金魚のまち郡山を代表する景観となっています。時間があればこの辺りをのんびりと歩いてみるのもいいのかと思います。

金魚ストリートに向かう道は、神社や寺院、町家があり、結構いい雰囲気の道を歩けます。

たまに見かける石柱と注連縄?の鳥居

薬園八幡神社(やくおんはちまん)

地元では「やこうさん」と呼ばれている神社で、奈良時代に平城京の南にあった薬草園に建立されたといわれている神社です。現在の社殿は桃山時代に再建されたものと伝えられ、県指定の文化財になっています。旅の後から知りましたが、境内には50種余りの薬草見本園があるようです。

この辺りは郡山城の城下町だった場所です。

郡山城は戦国時代に、筒井順慶が織田信長からこの地に城を与えられ築城されました。春日大社から大石が切り出され、寺院の礎石や石の地蔵も石垣に使われたといいます。秀吉の時代になると、その弟の羽柴秀長が城主となり、城下町がさらに整備されました。

郡山城の外堀から流れる水路が残っている

欄町通りを中心とする街には、古い姿の町家がいくつか残っています。地図を見ると、豆腐町、塩町、魚町、雑穀町、茶町、車町、材木町、鍛治町といった面白い名前がついていて、その歴史が気になります。

ついでに、郡山の歴史上人物を調べてみたら、『古事記』に出てくる稗田阿礼(ひえだのあれ)が郡山市の出身でした。

欄町通りの一つ東隣の細い道には、「修羅と石」の展示があります。大石を運ぶ木ゾリを「修羅」といい、石を引くことを「修羅引き」と呼んでいたようです。

これは、古代インドの正義を司る神・阿修羅が、力を司る神・帝釈天に何度も戦いを挑み、何事にも動じることのなかった帝釈天を動揺させた逸話 から名づけられているのだそうです。「たいしゃく」、つまり「大石」を動かすことを「修羅」と称しています。

郡山城の天守台建築当時の苦労を知れる展示です。

欄町通りに出て曲がると、江戸時代に藍染を営んでいた紺屋があり、その前には水路があります。

この水は郡山城の堀から流れていて、江戸時代は染めた布や糸をこの水路で晒していたのだそうです。

こうしたものが観れるので歩いていて楽しい場所でした。時間が無くてほんの一部しか歩けず残念でした。

水路の通りには、こちくやという金魚のグッズが売っているお土産屋があります。こちらは金魚すくいの道場をしていて、400人以上の門下生がいるそうです。こちらも金魚のまち郡山らしい光景です。

そして箱本館「紺屋」では、金魚について知れる展示がありました。

箱本館「紺屋」

こちらの箱本館「紺屋」は、観光案内所のような所で、外から金魚の水槽が見えたので中に入ってみると、金魚のパネルがありました。

金魚を説明したパネルがけっこうあり、いろいろなことを知れます。

簡単にまとめると、金魚は室町時代に中国から伝わり、江戸時代に甲州(山梨県)から移住した武士が、郡山に持って来たのをきっかけに飼育されるようになり、幕末には武士の内職となり、郡山で金魚が生産されるようになりました。

詳しくは別館に書いているので、興味のある方はこちらをご覧ください。

箱本館「紺屋」には、金魚が描かれた陶磁器がありました。

陶器や時期には縁起の良いものが描かれるので、金魚も縁起物ということになります。少し調べてみると、金魚は「金」がついていることから分かるように、飼うと金運が上がるといわれていました。また、一度にたくさんの卵を産むことから子宝に恵まれるといわれ、また朱色の金魚は魔除けの色があることから無病息災に過ごせるといわれたようです。

日本のマルチタレントと言われた徳川夢声(むせい)が戦時中の生活を記した『夢声戦争日記』には、金魚を飼っている家には爆弾が落ちないという流言が東京中に広がり、金魚が売れ、生きた金魚が手に入らなくなると、陶器で作られたおもちゃの金魚が飛ぶように売れたことが書かれているようです。

金魚の養殖産地はここ大和郡山市の他に、愛知の弥富(やとみ)市、東京の江戸川、熊本の長洲町(ながすまち)が有名ですが、山形や埼玉、茨城でも養殖されているようで、日本のいろいろな場所で養殖されています。それだけ日本人に馴染みのある生き物とも言えます。金魚について調べてみるのも面白いのかもしれません。

こちらの建物は、元々江戸時代より藍染めをしていた商家を修復した建物で、藍染め体験ができる施設のようです。

館内には藍染に使われていた甕もありました。

無料で中を観ることができるので、時間のある方は見学するのがお勧めです。

金魚ストリート

そして近鉄郡山駅の近くにある柳町商店街に入ると、金魚をあしらったオブジェや金魚の水槽が置かれている金魚ストリートがあります。

自動改札の水槽や自動販売機の水槽があり、見ていて楽しめます。ただ、道が狭く車の通りが多いので、撮影するのに注意がかなり必要です。

約600mの通りにある呉服店や飲食店などには、いろいろな形をした水槽があり、その中に金魚が泳いでいます。28店舗のお店に30個の水槽があり、30種類の金魚が泳いでいるようです。

奈良の旅では法隆寺から薬師寺や唐招提寺に移動する人が多いと思います。その際は、途中にある郡山駅に降りて、金魚を楽しんでみるものいいのではないかと思います。

旅の後で数冊本を読んでみましたが、金魚は日本人に馴染みのある生き物だったことが分かり、興味深いものがありました。武士の内職から郡山で養殖が広まったことや縁起物として扱われてきたことを先ほどご紹介しましたが、日本の文化や歴史が好きな人は金魚に関する本を読んでみるのもいいのではないかと思いました(読んだ本の紹介は別館のこちらで紹介しています)。

近鉄郡山駅から電車に乗り、二つ先の西ノ京駅に向かいます。西ノ京駅には世界遺産に登録されている薬師寺と唐招提寺があります。

近鉄郡山駅は西ノ京駅からアクセスできますし、JR郡山駅は奈良駅からアクセスできます。大和郡山はそれほど知られていない場所ですが、奈良を旅行する際は訪れてみるのもいいのかと思います。

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【旅の拾いもの】大和郡山の金魚の歴史 | 見知らぬ暮らしの一齣を (tabitsuzuri.com)

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