【滋賀】石山寺 日本有数の観音霊場を参拝(電車日本一周補完の旅8日目②)

滋賀県
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今回は滋賀県の観光名所、石山寺をご紹介します。2022年の3月に滋賀県を旅する機会があり、石山寺に参拝してみました。石山寺についてはほどんど知りませんでしたが、境内には見どころが多く、知識がなくても楽しめました。

今回は石山寺について、見どころと旅を終えてから調べて知ったことを紹介したいと思います。
皆さんの旅の参考になれば嬉しく思います。

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石山寺の場所・アクセス

石山寺は滋賀県大津市に建つ古寺で、京阪石山坂本線の終点、石山寺駅から徒歩10分の距離です。

三井寺駅から20分なので、三井寺とセットで参拝するのがお勧めです。石山寺は西国三十三所の第13番札所で、三井寺は14番札所で、どちらも古来より観音霊場として信仰を集めてきた寺院です。

瀬田川沿いを歩きます。
瀬田川は琵琶湖から唯一流れる川で京都の宇治を通過し大阪湾へ流れています。

仁王門

仁王門にやってきました。

慶長年間に豊臣秀吉の正室・淀殿により修復された門で、桃山時代の特色を色濃く残しています。
※慶長年間:1596~1615年

石山寺は天平19年(747年)創建と伝わる寺院で、京都の清水寺と奈良の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場です。

平安時代に貴族のあいだで観音信仰が広まると、
京都に程よく近い石山寺は、多くの貴族に好まれ参拝されました。特に女性の参拝が多く、『蜻蛉日記』や『更級日記』『枕草子』に登場します。

その後も鎌倉幕府と室町幕府の保護を受け栄えましたが、戦国時代に室町幕府最後の将軍・足利義昭が石山寺を陣地として織田信長と敵対したため攻撃を受け、寺領五千石が没収され、衰退しました。
その後、秀吉により寺領が回復し淀殿の寄進により堂宇の修復・再建が行われます。

そういえば石山寺に参拝した時、JR大津駅の観光案内所でもらった地図が観やすかったです。

こちらは石山寺でいただいたパンフレット

石山寺の石

さて、石段を上ると、岩山の上に建つ多宝塔が見えます。

この石は珪灰石(けいかいせき)といい、国の天然記念物です。
石の上に立つ寺であるため、古来より石山寺と呼ばれてきました。

珪灰石(けいかいせき)は、石灰岩が地中から突き出した花崗岩とぶつかり、その熱作用のために変質したものです。珪灰石自体は珍しいものではないとも、また普通は石灰岩と花崗岩がぶつかると大理石になるため珪灰石は珍しいとも言われ、どちらが正しいのかは分かりませんが、いずれにしても、これほどの広範囲に渡り形成しているものは珍しいようです。

石山寺の創建は、奈良時代に東大寺の大仏に塗る金が不足していた時、聖武天皇に命じられた良弁が、金が産出されるようにこの地で祈ったところ陸奥国で金が見つかったため、寺院が建てられたと伝えられています。

そのため創建当初は東大寺と同じ華厳宗の寺院でした
※現在は東寺真言宗の大本山

その後、平安時代になり密教が流行すると、真言密教の道場となり観音霊場となりました。
動画では見えませんが、本堂は懸造りでできていて、33年に一度開帳されるご本尊の如意輪観音像が祀られています。

その隣には源氏の間があり、紫式部が7日間参籠して『源氏物語』の着想を得て、物語を執筆した場所とされています。
その時に使用した硯や読誦(どくじゅ)した大般若経の経巻が残されているそうです。

平安時代の貴族の女性たちは、本堂の如意輪観音像の前で静かに座り、夜もすがら読経して過ごすのが石山詣の習わしでした。

多宝塔

そしてこちらが石山寺のもう一つの見どころの多宝塔です。
下の層が方形で上の層が円形の、平面に宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根をのせた二重の塔です。
建久5年(1194年)に源頼朝が建立した現存する最古の多宝塔と書かれていますが、
建物自体は江戸時代の慶長年間に修理されているので、鎌倉時代の様式を知れる文化財ということになります。

多宝塔といえば高野山が有名ですが、真言宗の寺院で見られることが多いようです。
その形は密教の教えを表しており、一説には、万物の構成要素である地・水・火・風・空を、
方形・円形・三角形・半月(はんげつ)形、宝珠形で(ほうじゅけい)で象徴しているといいます。
塔の下層部が地を、上層部が水を、方形造(ほうぎょうづくり)の屋根が火を、四方に垂らす鎖が風を、相輪の宝珠が空を表現しているのだそうです。
※(8-234)

ついでに、同様の説明がされるものとして、石塔の一種の五輪塔があります。
五輪塔の方が一般的に知られているかと思います。

それぞれ色を持ち、木造の五輪塔は内部に色が塗られているものがあるそうです。
(地輪は黄、水輪は白、火輪は赤、風輪は黒、そして空輪は全ての色を含む)

多宝塔はその起源が、密教の経典に描かれている宝塔の画像であり、
形が先にありそれを基に造らています。
木造建築で円形を造るのは難しいのと同時に、構造上かなりの無理をしている建物なのです。
※出典:玉井哲雄『日本の建築の歴史 寺院・神社と住宅』河出書房新社(2008)

宝篋印塔

宝篋印塔を見れるのも、石山寺の魅力です。宝篋印塔とは「宝篋印陀羅尼」という呪文を内部に収めた供養塔で、 鎌倉中期以降、各地に建てられました。
様式からして南北朝時代のものらしいです。

死者を供養するためだけではなく、滅罪や延命といった現世利益、死後に供養する追善、生前にあらかじめ供養を済ませる逆修を目的として建てられたそうです。

石山寺のパンフレットより

旅の後から知ったので動画を撮れませんでしたが、石山寺の宝篋印塔には周りに四国八十八カ所の砂が敷かれており、お砂踏みができるようになっています。
八十八ケ所霊場の各札所の砂を集め、砂を踏みながらお詣りすることで、実際にお遍路したのと同じご利益があるとされるものです。

多宝塔や宝篋印塔の近くには、紫式部の供養塔があります。
宝篋印塔の笠を三つ重ねた珍しい塔で、一段目には仏像が彫られています。鎌倉時代に造られたもののようです。

知識が無くても楽しめる石山寺の境内

石山寺は豪快な石を観れるだけでなく、綺麗な苔を観ながら歩くことができ、参拝を楽しめます。

こうした高低差のある道が多く、寺院建築の鑑賞をしなくてものんびり、楽しく散歩することができます。

旅をした3月中旬はまだ寂しい季節でしたが、それでも歩くのが楽しい寺院で、新緑の季節や紅葉の季節はもっと参拝を楽しめるかと思います。

菅原道真ゆかりの東風の苑では、梅を観ることができました。

懸造りのお堂 光堂

そして境内の奥の方に行くと光堂という懸造りのお堂があります。
かつて鎌倉時代にあったお堂を再建したもので、本堂と同様に懸造りとなっています。観音霊場では懸造りのお堂が多く、懸造りは観音霊場の特徴を表すものといわれています。

補陀落山は観音菩薩のおわす場所で、この奥に進むと西国三十三所霊場の観音像が順番に祀られており、気軽に西国巡礼を体験できるようになっているようです。

この場所はかつて、天智天皇の時代に石切場だった場所で、ここで切り出された石が瀬田川から淀川へ運ばれ、大和川を上って飛鳥の地へと運ばれ、寺院の礎石などに使われたのだそうです。

高台から下りて入口の方に戻る途中にも、豪快な岩肌を観ることができます。

そうえいば、入口の仁王門の手前には、石山寺の中興の祖の朗澄(ろうちょう)律師の徳を偲んで造られた庭園がありました。

石山寺屈指の名僧だった朗澄が死後、万民の降魔招福(ごうましょうふく)のために鬼の姿となることを誓った伝承があったことが書かれています。

仁王門の近くにあるこちらの石は、比良(ひら)明神というこの地の神様が、良弁と出会った時に座っていたと伝えられている石です。比良明神が良弁に東大寺の大仏に塗る金が見つかるようにここで祈ると良いと伝えたのだそうです。

仁王門を出た所には名物の石餅を食べられる和菓子のお店があります。

また琵琶湖の魚を楽しめる食事処の湖舟もあり、良さそうなお店でした。

感想

さて、今回は滋賀県大津の名所、石山寺をご紹介しました。
大津市を旅する機会に恵まれたのでとりあえず行ってみようと思い、予備知識もなく参拝しましたが、いい寺院でした。
歴史や仏教の知識がなくても自然を間近に感じながら境内を楽しく歩くことができ、参拝を楽しめました。
特に新緑の季節や晴れた日はより参拝を楽しめるのではないかと思います。

YouTube

動画でも紹介しているので、是非ご覧ください。

7月5日に公開します:しききまチャンネル – YouTube

参考文献

玉井哲雄『日本の建築の歴史 寺院・神社と住宅』河出書房新社(2008)

『古寺巡礼近江 2 石山寺』

『週刊古寺をゆく 27 (石山寺と湖東三山) 』

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