今回は福井県の西部に位置する小浜と、その隣の三方上中郡(みかたかみなかぐん)若狭町にある熊川宿をご紹介します。
小浜は古代から大陸との窓口となり、中世に日本海側屈指の湊町として栄え、近世に町人の町として賑わった、昔の町並みが残る町です。
熊川宿は近世に、若狭の海の幸を京都に運ぶ鯖街道の中継地として栄えた宿場町です。
今回はこれら二つの観光地を旅して、若狭の国の文化や歴史にふれたいと思います。
皆さんの旅の参考になれば嬉しく思います(熊川宿は別の記事になります)。
京都福知山駅から小浜駅へ
2022年の3月下旬に、京都の福知山駅から福井の小浜駅に向かいました。
青春18きっぷを使って移動し、東舞鶴駅で乗り換えます。
以前、2015年の夏に電車日本一周をした時に、東舞鶴駅から福井駅までの区間は台風で電車が止まり進めませんでした。
この区間をいつか通りたいと思い、7年越しに念願叶い通過することができました。
福井の観光地と言えば、永平寺や東尋坊が有名ですが、今回は個人的に思い入れのある小浜の周辺を歴史散策したいと思います。
永平寺と東尋坊の記事はこちら↓
【旅32日目】福井県養浩館と永平寺と東尋坊へ | 綴る旅 (tsuzuritabi.com)
東舞鶴駅
敦賀行の電車
若狭本郷駅を過ぎると、車窓から日本海の若狭湾が見えます。
小浜を含めたこの辺りは、大島半島と内外海半島(うちとみはんとう)に囲まれた土地です。
若狭湾は狭い湾が複雑に入り組んだリアス式海岸で、暖流と寒流の混ざる海域でプランクトンの豊富な、さまざまな魚介類が獲れる場所です。
波が穏やかで水深が深いため漁に適しており、昔から海の幸に恵まれてきた場所です。
古代、若狭国は海のない都に海産物を納める御食国(みけつくに)とされ、
若狭湾で獲れた魚介類が若狭の地から奈良や京都に運ばれました。
街道ができ都と繋がることで都からも人やモノが移動し、そして文化が若狭に伝わりました。
小浜散策 小浜西組へ
東舞鶴駅から電車に乗ること45分、小浜駅に着きました。
小浜は中世、日本海側屈指の湊町として繁栄した町です。
恐らく昼もシャッターは閉まったままの店が多いと思われます。
15分ほど歩き昔の町並みの残る、小浜西組重要伝統的建造物群保存地区を観てみます。
途中、八幡(はちまん)神社がありました。
創建年代は不明ですが、神護景雲(じんごけいうん)年間、奈良時代の767年から770年までの称徳(しょうとく)天皇の代と伝わる神社のようです。
小浜西組
駅から15分ほど歩き、小浜西組重要伝統的建造物群保存地区にやってきました。
中世、日本海側屈指の湊町として栄えた小浜は、武士や町民、社寺が混在していましたが、江戸時代に町人の町として整備され、東組・中組・西組に分けられました。
西組は丹後街道を含む東西の道と、海岸に直交する南北の道によって区画され、町場、寺町、茶屋町などの町並みが広がっています。
奥行きが長い平入りの、二階建ての浅瓦葺の建物と、火災の時の延焼を防ぐ袖壁という、うだつがあるのが特徴です。
下調べ不足で旅の後で知りましたが、大正時代に井戸のある家には、消火活動を行えることを示した井戸の印が軒先に付けられています。
この西組には、江戸末期から昭和30年頃までに建てられた伝統的な家屋が約280棟現存しているようです。
戦時中、小浜は空襲の被害を受けなったので、昔ながらの建物や道が残っています。
戦災に遭っていないのも、小浜西組の大きな魅力です。
電柱が景観を損なわないように立っています。
保存地区というだけあり、電柱がほとんどなく、綺麗な景観です。
写真で見るよりも実際に歩いてみると、素晴らしい景観で、日中ゆっくり歩きたいと思う場所でした。
軒先には身代わり申が吊るされています。
災いを代わりに引き受けてくれる申を丸めた、庚申信仰に基づく一種の御守り、厄除けです。
鳥居の奥には庚申堂があります。
庚申信仰についてはこちらの記事をどうぞ↓
【柴又帝釈天】庚申待 帝釈天信仰や庚申信仰、暦、講、縁日などについて | 見知らぬ暮らしの一齣を (tabitsuzuri.com)
海に行ってみましたが、港はなく公園になっていました。
小浜駅から北に15分ほど歩いた所には、鯖街道の起点があります。
若狭湾で獲れた魚介類がここから人や馬の背により京都に運ばれ、特に鯖が多ったため戦後にこの道が鯖街道と呼ばれるようになりました。
そのすぐ近くには鯖街道ミュージアムがあります。
説明板には、
小浜は各地とつながる海の道と都へつながる陸の道の結び目として様々な人・モノ・文化が集まる港湾都市だったことや、
室町時代に南蛮船が来航し日本で初めてゾウが上陸して京都まで運ばれたこと、
小浜湊で陸揚げされた海産物や物資が集積され、物流の拠点として江戸時代初期に小浜市場が整備され、海産物の集荷(しゅうか)業者や廻船問屋(かいせんどいや)などの商人が軒を連ねていたこと
などが書かれています。
ここ小浜は、古代から近世まで、国内外との盛んな交易を行ってきた土地であることが分かります。
近くには旭座があります。小浜西組から鯖街道の起点に向かう途中にありました。
明治後半の芝居小屋で、昭和初期から戦後に映画館として使用され、戦後は自動車修理工場や酒造店倉庫として使われた建物です。
平成に建物を調査したところ、芝居小屋だった頃の部材が多く残されていたため、復原し小浜市の有形文化財に指定されています。
鯖街道の起点の近くには、朽木(くつき)屋があります。
鯖を丸々一本串焼きにした鯖の浜焼きが有名な
創業260年以上の老舗で、焼き鯖やへしこ、缶詰などを扱う鯖専門店です。
駅に戻り隣の東小浜駅に向かいます。
東小浜駅の福井県立若狭歴史博物館
小浜を散策した後は、隣の東小浜駅に行き、福井県立若狭歴史博物館に寄りました。
常設展では、
若狭のみほとけ、若狭の祭りと芸能、若狭のなりたち、若狭から都への道、若狭への海の道の展示があり、
若狭についていろいろなことを知れます。
入館料は310円と良心的な金額で、個人で楽しむ範囲での写真撮影もできます。
※2022年3月時点
奈良や京都といった海がない都に住まわれた天皇にとって海産物は貴重であり、志摩国(しまのくに)や淡路国(あわじのくに)と並ぶ御食国(みけつくに)の若狭国は重要な国でした。
若狭国はタイやイワシ、アワビ、イガイなどを納め、また古代は塩づくりが盛んだったため土器で作った塩も都に運びました。
※志摩国は現在の三重県、淡路国は兵庫県
御食国:みけつくにと読む
都への道は一つではなく幾つかあり、都と結ばれることで都からの文化が伝わり、祭りや芸能、仏像に特にその影響がみられます。
陸路で都と繋がる一方で、海路で他の地域と繋がり、東は北海道、西は対馬や朝鮮半島、あるいは肥前へ繋がっていました。
※博物館の隣にある若狭の里公園
博物館の近くの河原
博物館の展示
若狭の祭りと芸能
都の文化、祇園祭や朝廷で行われていた文化の影響を強く受けていることが分かります。
塩の説明
古代は製塩が盛んで都に塩を運んでいたことが解説されています。
史料はさほどありませんが、敦賀でも古代は同様に製塩が盛んだったようです。
都と若狭を結ぶ道
一つでなく幾つかの道があり、街道沿いに都の文化や宗教などが伝播しました。
若狭には古い仏像が残されており、仏像からも都や大陸からの文化の影響を知ることができます。
博物館の後は東小浜駅から上中(かみなか)駅に行き、バスに乗り熊川宿に向かいます。
バスの乗場が分かるが不安でしたが、駅を出ると分かりやすい案内があったので問題なくバスに乗れました。
※乗車時間約10分 運賃は390円(2022年3月時点)
続く
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