【日本一周補完の旅】4日目③世界遺産興福寺を簡単に紹介

奈良県

春日大社から歩いて興福寺にやってきました。

いつの間にか境内に入ってしまいましたが、興福寺には壁や塀がありません。

これは明治時代に神仏分離と廃仏毀釈が行われた際に、寺院の敷地が没収され、塀が壊されたからです。

興福寺は669年に、藤原鎌足の妻が夫の病気の回復を祈り、現在の京都市山科に創建したお寺が起源とされています。

藤原京の遷都にともない飛鳥に移り、その後和銅3年(710年)の平城京遷都にともない現在の地に移り、鎌足の子・不比等が興福寺と名付けました。

※669年山階寺→672年厩坂寺(うまやさかでら)→710年興福寺

東金堂

現在は法相宗の大本山で、法相宗は南都六宗で一番栄えた宗派で、前回紹介した薬師寺も法相宗の大本山になります。

興福寺といえば、日本史では長刀を持って強訴した僧兵が有名で、中世までは強い力を持っていました。先程歩いた奈良公園も春日大社も、元々は興福寺の敷地で、大きな力があった寺社でした。

平重衡の南都焼討で興福寺も焼かれましたが、皇族との繋がりが深かった藤原氏の氏寺だった興福寺には経済力があったので、直ぐに伽藍の復興に着手されました。

火災で建物が焼けてもその度に再建され、五重塔も730年に建立された後、5回も焼失しましたが、その度に再建されました。現在の塔は1426年頃に再建されたものです。

京都の東寺(とうじ・当時とは違う発音)に次いで日本で2番目に高い五重塔で、高さが約50メートルもあります。

法隆寺の五重塔が30メートルちょっとなので、法隆寺に参拝してからこの塔を見ると、その大きさを実感します。

そんな興福寺も明治期の神仏分離で大きな被害を受け、廃仏毀釈の際にはこの五重塔が安い金額で売られそうになったほど、酷く荒廃したといいます。

寺院の中心的建物となる中金堂は2018年(平成30年)に再建されたもので、これは間近で観たかったのですが、残念ながら柵があり近寄れませんでした。

コロナの蔓延防止対策のようです。

興福寺と言えば阿修羅像が有名ですが、こちらの国宝館に展示されています。

明治時代に興福寺は沢山の宝物類が散財してしまいましたが、それでも今日、名宝と言われるだけの、観る価値のある仏像が多く残されています。

興福寺から奈良町の方に進むと、猿沢池があります。

小さい池ですが、周りに柳が植えられていて風情があります。

この池の水面に映る五重塔を撮った写真はよく旅行サイトなどで見かけ、奈良公園の欠かせない景観の一つになっています。

池の周りのベンチに地元の人や観光客が腰かけていて、憩いの場になっています。

宿に向かう途中、ならまちを歩きました。

町家をイメージした外観の奈良市立史料保存館には、奈良奉行所の模型がありました。

こちらのからくりおもちゃ館には、木で作られた昔のからくりおもちゃがあるようです。

夕食は前の日の晩と同じ、JR奈良駅の近くにあるまついしにお邪魔しました。

この日もゲストハウスのスタッフにおすすめのお店を聞こうと思っていたのですが、コロナ禍で宿にスタッフがいませんでした。

まついしはスタッフの方の接客がいいので、一人でも一見さんでも気軽に飲み食いできるお店です。

値段も安いです。

JR奈良駅東口には気軽に飲めそうな居酒屋か何件かありました。

今回は奈良公園周辺の観光名所を紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

奈良公園のエリアはいろいろな魅力的な場所が多く、東大寺や奈良国立博物館はじっくり観れば一つの場所で1日、興福寺や春日大社、依水園は半日はかかります。

依水園の近くには吉城園(よしきえん)や氷室神社もあります。

また、ならまちで食べ歩きをしたり、日本酒やクラフトビールを飲むのも楽しそうです。

旅や観光をする際はできるだけたくさんの場所に行きたいと思うものですが、場所を絞ってじっくり観た方が楽しめますし、後になってからも記憶に残ると思います。

皆さんの旅の参考になれば嬉しく思います。

次回は奈良の元興寺と京都の宇治を紹介します。

ご覧いただきありがとうございました。

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