【日本一周補完の旅】4日目①世界遺産東大寺を簡単に紹介

奈良県

サイトをご覧いただきありがとうございます。

今回は奈良の大仏で知られる有名な観光名所・東大寺を紹介します。

このブログでは旅の様子や訪れた場所を簡単に紹介していますが、別館サイトやYouTubeではより詳しく解説しています。よろしければそちらも是非ご覧ください(後日公開)。

スポンサーリンク

ならまちから東大寺へ

2022年の3月、29日間の電車の旅をしました。

日本各地にある、いろいろな魅力的な場所を訪れましたが、旅の4日目は奈良公園エリアを歩き、東大寺・春日大社・興福寺を参拝しました。

朝、ならまちにあるゲストハウスから東大寺に向かいます。

奈良時代、この辺りは元興寺の境内でしたが、江戸時代には町人が住む町となり、現在もいくつか町家が残っています。

ならまちから東大寺までは歩いて大体30分くらい、近鉄奈良駅からだと15分くらいです。

近鉄奈良駅を過ぎた辺りから坂道を上ります。

昔修学旅行で東大寺に行った時はバスに乗っていたので気づませんでしたが、東大寺は高台にあります。

東大寺南大門

東大寺の入口にやってきました。

南大門から参拝したいと思います。

東大寺は南都六宗の一つ、華厳宗の大本山です。

宇宙論とも言える壮大な仏の世界を教義とする観念的な仏教の宗派です。

東大寺の起源ですが、

聖武天皇が、若くして亡くなった皇太子を弔うために建立したお寺が始まりとされています。

その後、大和の国の国分寺となり、743年に大仏建立の詔が出されその4年後に大仏が造られるようになると、その頃から東大寺と呼ばれるようになりました。

※728年:金鐘山寺(きんしょうさんじ)→741年:近光明寺(こんこうみょうじ)→749年頃:東大寺

こちらの南大門は鎌倉時代に造られたものです。

少ない木材で短期間に組み立てる大仏様という宋の技術で造られた門です。

南大門は平安時代に大風により倒壊しましたが、大仏殿が平重衡(しげひら)の南都焼討によって焼かれ、鎌倉時代に再建された際に一緒に再建されました。

非常に効率の良い大仏様で建てたため、焼討から20年足らずで再建されたといわれています。

そして東大寺の南大門といえば、こちらの巨大な金剛力士像が有名です。

高さが約8.4メートルもあり、運慶・快慶を含む4人の大仏師とその配下にいる大工や彫り師が分担制でパーツを造り、それぞれの部品を組み合わせて造りました。

その期間は僅か69日間と言われています。

細かい部分も含めると3千点近くの部材があり、すべて檜を使っているのだそうです。

南大門をくぐってまっすぐ進むと、大仏殿を囲む中門が見えてきます。

回廊の中に入って大仏殿を見てみましょう。

拝観料は大仏殿のみで600円、東大寺ミュージアムとの共通券で1000円になります。

東大寺大仏殿

そしてこちらが大仏殿です。

現在の大仏殿は、江戸時代の1709年に再建されたものです。

鎌倉時代に再建された大仏殿は、安土桃山時代に松永久秀と筒井順慶が戦った際に焼けてしまい、その後、江戸時代中期にようやく再建されました。

再建の際に大きな木を集めることができず3分の2の大きさになりましたが、それでも今では世界最大の木造建築とされています。

奈良時代の創建時や鎌倉時代の再建時はもっと大きく、横幅が現在よりも一回り大きかったようです。

大仏殿の上にある窓は一年に2回、大晦日から元旦にかけてと、8月15日の万燈供養会の夜に開けられ、その時に大仏様のお顔を外から拝めるようになっています。

そして大仏殿の中に入る前に見ておきたいのが、こちらの八角燈籠(はっかくとうろう)です。

素通りしてしまいがちですが、こちらは何と、東大寺創建当初のものと言われています。

幾度もの兵火を免れてきた、奈良時代の貴重な遺産なので、こちらの燈籠も是非、ゆっくり見てもらたいものです。

そして大仏殿の中に入ると、奈良の大仏で知られる盧舎那仏像を拝むことができます。

高さは約15メートルあります。

なぜこれほど大きい仏像が造られたのかと言うと、華厳宗の仏である盧舎那仏は、宇宙のような広大な仏の世界を隅々まで照らしそして包み込む大きな存在で、それを表わしているからです。

また、大仏を造った当時は疫病や飢饉、大地震が起こり社会が非常に不安定だったので、多くの人を救うために大きな仏像を造ったと言われています。

現在の大仏の頭部は江戸時代に造られたもので、体の大部分は鎌倉時代に補修されたものですが、台座や右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖や太腿の部分に、一部建立当時の天平時代の部分も残っているようです。

台座の蓮弁はその多くが天平時代のものなので、こちらも観ておきたいところです。

蓮弁には広大な華厳経の世界観が彫られています。

盧舎那仏の向かって左には、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)という、人々に知恵を与える菩薩が安置されています。

向かって右には如意輪観音(にょいりんかんのん)という人々のあらゆる願いを叶える菩薩が安置されています。

どちらとも江戸時代の再建時に造られたものですが、奈良時代の創建当初も同じ配置だったようです。

向かって廬舎那仏の左斜め後ろには、広目天(こうもくてん)の像が、右斜め後ろには多聞天の像があります。

広目天
多聞天

江戸時代の再建の際に東西南北のそれぞれの方角を護る四天王が安置されましたが、現在、持国天(じこくてん)・増長天(ぞうちょうてん)は頭部のみが残っています。

ついでに、四天王像は御本尊の右手前から時計回りに持国天(東を守護)、増長天(南を守護)、広目天(西を守護)、多聞天(北を守護)という配置が一般的なのだそうです。

大仏殿の中は広く、大仏様の周りをぐるっと一周することができます。

廬舎那仏像の背後

現在よりももっと大きかった大仏殿の模型や再建の際の苦労などを解説したパネルもあるので、ゆっくり参拝するのがおすすめです。

(詳しいは見どころは別館の記事で紹介します)

東大寺の見どころは金剛力士像のある南大門と大仏様のいる大仏殿だけではありません。

お水取りで知られる修二会(しゅにえ)が行われる二月堂や、

東大寺最古の建物の法華堂、

奈良時代に建てられた転害門、

そして有名な正倉院があります。

そちらの方も別館やYouTubeで紹介しているので、是非ともご覧ください。

YouTubeのチャンネル登録と高評価も是非ともよろしくお願いいたします。

しききまチャンネル – YouTube

コメント

タイトルとURLをコピーしました