前回(大阪の新世界 ジャンジャン横丁・通天閣を散策-日本一周補完の旅⑤)の続きです。
法善寺横丁
日本橋駅で降りて、法善寺横丁に向かいます。
途中、ジビエのお店でしょうか、面白い看板がありました。
人通りの賑やかな通りを一本脇に反れると、法善寺横丁があります。
80mほどの石畳の小道には和風建築のお店があり、老舗の割烹やお好み焼き、串カツ、バー、甘味処のお店があり、名店が多いようです。
その一角に法善寺があります。
下調べ不足で知りませんでしたが、こちらには水掛不動尊という、苔の生した像があり、たくさんの地元の人からの信仰を集めている場所でした。
境内には金毘羅堂があり海上交通の守り神が祀られていますが、これは昔難波が港町だった名残とされています。
法善寺は江戸時代の初期の寛永年間に京都の宇治から移転してきたお寺でなのですが、当時難波は葬送が行われる場所でした。調べてみると、刑場と焼き場と大規模な墓地があったようです。移転の際に法善寺の住職が千日間お経を唱え死者の供養をしたことから、法善寺が千日寺と呼ばれ、今日の大阪ミナミの法善寺一帯が千日前と呼ばれるようになったといわれています。
浮世小路
小路を歩いて道頓堀商店街に向かいます。
ここも偶然通りかかりましたが、浮世小路(こうじ)という通りです。
大正から昭和初期の町並みを再現した絵地図やおみくじなどがあるようです。
ここも道頓堀商店街に向かう途中、偶然通りかかりました。
大正から昭和初期の町並みを再現した絵地図やおみくじなどがあるようです。
浮世小路の隣には、うどんの老舗今井があります。
大阪の食文化の一つに出汁の文化があり、それを手軽に味わえるうどんの老舗にお邪魔することにしました。
大阪は出汁文化も有名なのできつねうどんをいただきました(詳しくはこちら)。
大阪で出汁の文化が広まった理由は、江戸時代に北海道から昆布が運ばれるようになったことがあります。当時それまで敦賀や小浜に陸揚げされていた昆布が、北前船の大型化により下関経由で大阪まで運ばれるようになり、大阪は昆布の集積地となりました。
もともと加工業が盛んだった大坂では、昆布の加工が発展し、出汁用の昆布にとろろ昆布、おぼろ昆布と加工が盛んになり、大正から昭和初期には昆布の加工業者が150軒余り集まるほどの盛況だったそうです。
昆布の加工を支えたのは堺の包丁でした。火縄銃を量産していた堺では包丁をはじめとした刃物業も栄え、それが昆布の加工に大きく貢献したのです。
そんな歴史のある昆布出汁を手軽に食べてみようと思いきつねうどんを注文しましたが、味はかなり繊細でした。昼に居酒屋で一杯やったせいか、残念なことに味がよく分かりませんでした。評判がいいので、上品で洗練された味なのでしょう。機会があればまた訪れてみたいと思います。
道頓堀商店街と道頓堀
うどんを食べた後は、道頓堀商店街を歩き道頓堀に向かいます。
コロナのマン防が再延長されている3月15日は、かなり人通りが少ないです。
7年前の夏の平日の夕方はこんな感じでした。
椅子も空いていなくて食べ歩きを断念したほどです。当時は中国人をはじめ外国からの観光客が大勢いました。
道頓堀に出ました。
これも旅の後から知りましたが、道頓堀は安井道頓という江戸時代の商人の名前に由来していることが広く知られています。多額の私財をはたいて運河の開削した道頓は、大阪の陣で戦死してしまいますが、その年に運河が完成し、その功績を称えて道頓堀と名付けられたといいます。
正式には道頓は安井氏ではなく成安氏なのだそうです。成安道頓が正しいのですが、一旦定説ができてしまうと訂正が難しく、安井姓で広まっていることを『近世大坂の町と人』で知りました。
道頓堀を歩いていると橋が多いですが、これも大阪が水運の栄えた水都の名残でしょう。江戸が八百八町(はっぴゃくやちょう)と言われたのに対し、大阪は八百八橋(はっぴゃくやばし)と言われました。約200の橋があり、そのうち幕府直轄の公儀橋は12に過ぎず、残りの橋は町人たちが自らの生活や商売のために架けたものだといいます。
橋の建築・維持には多額の費用がかかり、財産を失うものがいたとか、大坂は地盤沈下が激しくよく杭が倒れたとかで、「杭倒れ」の町と呼ばれ、それが「食い倒れ」になった説があるなんてことも本には書かれていました(『地図と地形で楽しむ大阪淀川歴史散策』)。
大阪の地名では、心斎橋や淀屋橋といった人名に由来している橋も多いですが、これも橋を架けた町人の名前から命名されているといいます。
旅をするまで大阪に関してほとんど知識がありませんでしたが、今回の旅で大阪くらしの今昔館と大阪歴史博物館の2つの博物館に行ったおかげでいろいろなことを知れ、興味をもち調べるきっかけになりました。
この辺りは遊歩道として整備されているようです。もう少し時間が経ち日が暮れると、川に映るネオンが大阪ミナミらしさを伝えてくれるのだと思います。
道頓堀川は公共の船の道なので、船が行きかうようです。
ある橋の下では若い2人組の男の子が漫才の練習をしていて、大阪らしい光景を見ることができました。
以上、大阪ミナミ散策でした。駆け足での散策でしたが、楽しめました。
散策を終えて地下鉄に乗り、一旦梅田駅の近くのホテルにチェックインします。昨晩と同じホテルですが、中は全然違いました。店舗によって設備が大分違いました。
ホテルの戻ってから、スマホで撮った写真や動画のデータを移動するためにネットカフェに行き、その後に阪神梅田本店のスナックパークに行きました。
阪神梅田本店のスナックパーク(梅田)
手軽に美味しいものが食べられる立ち食いのイートインコーナーです(スナックパークの記事はこちら)。
普段よりも空いているのでしょうか。
定番のいか焼きとデラバンという卵の入ったいか焼きを頼みました。値段はいか焼きが150円ちょっと、デラバンが200円ちょっとでした。
出汁の効いた小麦粉とイカを混ぜて焼いてソースで味付けしたシンプルな食べ物ですが、普通に美味しいです。デラバンはたまごでふっくらしてこれまた美味しかったです。テイクアウトで5枚、10枚と買っている人が結構いたのが印象的でした。夕飯の一品なのでしょうか。
こういう気軽に立ち寄れる場所はいいです。スナックパークでは他にも、麺ものや海鮮系のお店もありました。
阪神名物いか焼きでは、コロナのマン防延長期間ということでビールを販売していなかったので、隣のお店でビールを頼みました。
阪神セットという、ビールにちょぼ焼きとたこ焼きがついているセットで700円くらいでした。
ちょぼ焼きは一説にはたこ焼きの元祖といわれており、大正時代に駄菓子屋で子供用のおやつとして売られた粉ものの食べ物です。こんにゃく、ねぎ、しょうが、天かすが入っていて、味は特に特徴はないのですが、こんにゃくの触感とショウガのアクセントがいい、お酒のつまみにもなる食べものでした。
そしてホテルに戻り、この日の行程は終了です。
次回は奈良県に移動し、奈良の都を案内します。
参考文献
都市研究会 (編集)『地図と地形で楽しむ大阪淀川歴史散歩』洋泉社 (2018)
脇田修『近世大坂の町と人』吉川弘文館 (2015)
西野 由紀・鈴木康久『大阪 淀川探訪―絵図でよみとく文化と景観』人文書院 (2012)
宗政五十緒・西野由紀『なにわ大阪 今と昔―絵解き案内』 小学館 (1999)
地図と地形で楽しむ大阪淀川歴史散歩 (歴史新書) | 都市研究会 |本 | 通販 | Amazon
コメント