【石川県】辰巳用水を巡る金沢散策①尾山神社と兼六園(電車日本一周補完の旅11日目①)

石川県

今回は石川県金沢の見どころと歴史をご紹介します。金沢の城下町らしさを感じられるスポットを1日歩き、その歴史にふれたいと思います。観ていくのは、辰巳用水(尾山神社・兼六園・金沢城)、武家屋敷跡、足軽資料館、茶屋街です。

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金沢の特徴

「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるくらい冬は雨や雪の多い金沢は、
本州のほぼ中心に位置し、石川県の県庁所在地として交通や商工業が発展している北陸有数の都市です。

江戸時代、加賀藩前田家の城下町として栄え、学問が推奨され、伝統工芸や伝統芸能が受け継がれ、
戦災や大きな災害を免れたため藩政時代からの美しい町並みが多く残り、観光地としても人気のある町です。
※工芸は加賀友禅や金沢箔、九谷焼など、芸能は能楽や加賀万歳などがある

尾山神社

まずは金沢城の近くにある尾山神社に参拝します。

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金沢駅から歩いて約25分の場所です。

尾山神社は、加賀藩の初代藩主前田利家を祀る神社で、明治6年(1873年)に元々は加賀藩主の別邸だったこの地に建立されました。

この神社の見どころは、和漢洋の3つの建築様式が用いられている神門です。

ギヤマンという色ガラスがはめ込まれ、異国情緒漂う造りは全国的にも珍しいもので、金沢市の代表的な観光スポットとして知られています。
避雷針は日本で最古のものなのだそうです。

御祭神の前田利家は、織田信長の家臣から出世し、信長の死後は秀吉の天下統一を助け、豊臣政権で五大老の一人となった人物です。

利家から始まった加賀藩は江戸時代に加賀百万石となり、徳川家を除く日本で一番石高の大きい大名となりました。

境内には辰巳用水の石管(せきかん)があります。

これは江戸時代の初期、1632年三代藩主利常の頃に、犀川上流から金沢城に導水した辰巳用水に使われていた水道管です。辰巳用水は藩主の別邸だったこの地にも引き込まれました。
当初水路は木の管でつくられていましたが、江戸時代の後期、天保15年(1884年)に金谷石の導水管に取り替えられたと、書かれています。

この辰巳用水の遺構が金沢には幾つかあるので観ていきたいと思います。
地図で尾山神社の上にある辰巳用水を観てみます。

ここ金沢は、江戸時代に城下町として栄えた町です。

元々は、中世は一向宗で知られる浄土真宗の寺内町として栄えた土地です。
織田信長の北陸支配で柴田勝家が一向宗を滅ぼしこの地を平定し、甥の佐久間盛政が金沢城に入り、勝家の死後は前田利家が城下町として治めました。

三十三間堂を模した的場はかつて江戸にもあった。城下町らしさを感じさせるものに思える。

ここに辰巳用水があるのですが、地下に流れていて見えません。

どこか見える所がないか水路沿いを歩いていくうちに、兼六園に来てしまいました。

兼六園の辰巳用水を観てみますが、兼六園はこちらの真弓坂よりも桂坂から出入りする人が多いのでそちらから向かいます。

坂を上ると右には金沢城の入口があります。
金沢城は兼六園の後に紹介します。

兼六園

兼六園水戸の偕楽園岡山の後楽園とならぶ日本三名園の一つで、歴代加賀藩主により長い歳月をかけてつくられてきた池泉回遊式庭園です。

場所はこちら

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江戸時代の代表的な大名庭園で、池や築山を観ながら茶屋などに立ち寄り遊覧する造りです。
かつてここは金沢城内であり、客人の接待や宴会に活用されました。

兼六園の名前は優れた景観の代名詞である六勝(ろくしょう)を兼ね備えていることから名付けられています。
六勝とは、宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)、蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)で、相反するものを対にしています。

宏大は広々として明るく開放的であるさまで、
幽邃は静寂と奥深さのあるさまです。

人力は人の手が加わり自然が失われていることで、
蒼古は苔がむした古びて深みがあることです。

水泉は池や滝などの水で、水が流れるのは低い所で遠望を楽しむことはできませんが、兼六園では高い眺望を楽しめ、相反する景観が調和されています。

こうした二つの相反する対照の美を演出している点が、他の庭園にはない兼六園の特徴です。

桂坂口から入って真っすぐ進むと眺望台があり、六勝の一つを楽しめます。

高台ですが、ここよりも更に高い所から犀川の水を引き入れています。

そして江戸時代は、ここから金沢城へ水を送りました。
※現在は金沢城へは水を送っていません

こちらは兼六園の見どころの一つの霞ヶ池です。

神仙思想を表した造りで、池を海に見立ててそのなかに不老不死の仙人が住む島、蓬莱島を置くことで、藩主たちが長寿と永く続く繁栄を庭園に投影したとされています。
※兼六園のHPより

大きな石を一枚使っている腰掛や橋が立派です。

こちらは雁行橋で、11枚の石を使って雁(かり)が列をなして飛んでいる形になっています。

こちらの立派な赤松は京都の本願寺から移されたもので、その先には日本武尊の像があります。

明治13年(1880年)に日本で最初に建てられた銅像で、隣には西南戦争の戦死者の慰霊碑があります。

こちらの御室の塔は京都の御室寺(おむろじ)、仁和寺の五重塔を模した石塔です。

訪れた4月の始めは梅が綺麗でした。

曲水

辰巳用水が造られたのは、寛永8年(1630年)に寛永の大火が起きたのがきっかけでした。城内が延焼するほどの被害で、城の防火用水を確保するために急いで造られました。

板谷平四郎によりたった1年で造られ、それは「加賀の四度飯」といわれる突貫工事で、昼夜休みなく2交代制で1日に4回飯を食わせて作業を進めるものだったといいます。

兼六園の有名な見どころの一つに、噴水があります。

先ほどの霞ヶ池の水を落差を利用して約3.5mまで吹き上がらせている噴水で、日本庭園では珍しく、19世紀中頃につくられた日本で最古のものと書かれています。

この噴水は金沢城内に水を引くために試作したものとも言われています。
後ほど紹介しますが辰巳用水は、水の落差で水を噴き上げるようにして高い所の金沢城に水を送る造りとなっていました。

先ほどの真弓坂口と桂坂口の間にある蓮池門口の辺りには、兼六園から出てきた辰巳用水の水が流れています。

現在は金沢城に水が送られることはなく、水路を下りて地下に潜っています。

橋を渡って隣の金沢城を歩いてみましょう。

続く

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