今回は大阪市の中津と梅田を紹介します。紹介すると言っても、どこか有名な観光地に行った訳ではなく、ただ歩いただけですが、旅をしたおかげでいろいろなことを知れたのでそれを書いてみたいと思います。旅をしたのは2022年3月15日です。
阪急中津駅周辺
2022年の3月に29日間の電車の旅をしました。その2日目は大阪市の主要な観光エリアを1日歩いてみました。中津にあるビジホに泊まったので、中津から出発します。
ホテルのすぐ近くに中津商店街という、昭和の雰囲気が残る場所がありました。
懐かしさと新鮮さを覚えますが、同時に寂しさと哀しさを感じます。こういう狭い道も、そのうち都市開発でなくなってしまうと思われます。
通りを歩くと富島神社がありました。
朝から熱心に参拝している人がいて、地元の信仰を集めている神社です。
淀川を見に行ったのですが、残念ながら河川工事をしていました。
どこか入れる場所がないか10分くらい歩きましたが、フェンスが続いていたので淀川を見るのを断念して梅田に向かいます。早くも予定が崩れてしまいました…、旅ではよくあることです。
この辺りは大阪梅田駅から1駅しか離れていないのですが、とても静かな場所です。大阪市の北区になります。阪急線の大阪梅田駅から徒歩20分の距離があります。
昨夜高架下を歩きましたが、薄暗く人通りが全くなく、かなり怖い場所でした。治安が悪い訳ではなく人口が少ないため寂しい場所になっているらしいです。
阪急の中津駅に行き、隣の大阪梅田駅に向かいます。朝は難なく電車に乗れましたが、昨晩大阪梅田駅に行く時、電車に乗れませんでした。何番線にどこ行の電車が来るのかアナウンスもホームの掲示板への書き込みもなく、警報だけが鳴るという状況で、電車を何本も逃しました。
大阪梅田駅に向かう電車は曲がり角から急に現れるので、電車が隣のホームに停まると走っても間に合いません。結局階段のすぐそばで電車を待って、隣のホームに停まった電車にダッシュして階段を下りて上って駆け込み乗車しました。令和の時代に、しかも大都会大阪梅田駅の隣の駅で、そんなことを昨晩はしました。
Wikipediaによると、1日の利用者は5,000人いるかどうからしいです。近くにある地下鉄大阪メトロの中津駅の方を利用する人が多いようで、ご覧の通り平日の朝でもこの少なさです。そしてホームの幅が狭く、黄色い線の内側のスペースが全然なく、都会にしては珍しい駅でした。
大阪梅田駅とその周辺
中津駅から電車に乗り、阪急の大阪梅田駅で降ります。
広い構内に同じ色の電車がたくさん並んでいて、いい光景です。
ここから宝塚、神戸三宮、京都河原町に向かう電車が出発しています。
改札を出て外に出ます。エスカレーターは立ち位置が東京とは逆です。
外に出ました。歩いて日本一長い商店街で知られる天神橋筋商店街に向かいます。
梅田は元々は埋田と表記されていました。江戸時代の前は低湿地の泥田が広がる場所でしたが、秀吉の頃から徐々に埋め立てられ、江戸時代に田畑がつくられたので埋田と呼ばれていました。それが埋めるという漢字は字面が良くないということで、梅の漢字が使われるようになったのだそうです。
梅田の辺りは大昔は海だったので、埋め立てても3mも掘れば水脈に当たるというほど湧き水が多い土地です。大阪の土地は上町台地以外は元々地盤が軟弱な土地です。そんな場所に現在は地下鉄が走っていますが、その工事は大変なものだったのだそうです。川を堰き止めて行う河底トンネル工事は想像以上に難航し、浸水や崩落などが起こり、3年4ヶ月の歳月をかけて、昭和8年にようやく梅田と心斎橋の間に約3kmの地下鉄が開通しました。そしてその後、心斎橋と難波間が開通し、徐々に地下鉄が広がっていきます。
地盤の弱い所に地下鉄を通すのは普通考えられないと思うのですが、大正時代に関東大震災が起こると、鉄道は地下の方が安全だということになり、地下鉄を通すことにしたのだそうです。そんなことを旅の前に本で読みました。時間に余裕があれば地下鉄工事やトンネル工事の本も読んでみたいものです。その土地の地理的特徴や困難を克服してきた技術について、いろいろと知れそうです。
難波・心斎橋をミナミというのに対して、梅田辺りはキタと呼ばれています。梅田の名所といえば、梅田スカイビルの空中庭園が有名ですが、入場料が1,500円なので行くのはやめました。
ここから20分ほど歩いて、日本一長い商店街・天神橋筋商店街に向かいます。
駅から離れるにつれて少しずつ都会らしさがなくなってきます。もっと都会だと思っていましたが、オフィス街を外れるとそうでもないです。
この辺りも大都会といった感じのない町並みです。
次回(天神橋筋エリア散策)に続く
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