文京区の樋口一葉旧居と文京シビックセンターと小石川後楽園

東京都

2018年11月、東京都文京区を散策しました。樋口一葉の旧居跡に行き、展望台のある文京シビックセンターという施設に行き、そして日本庭園の小石川後楽園に行きました。散策時間は約2時間と短い時間でしたが、いろいろと見所があり充実した散策となりました。今回は散策にはうってつけの場所だと感じが、文京区について紹介していきます。

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散策コース

10:40春日駅着

10:45樋口一葉旧居

11:10文京シビックセンター展望台

11:50小石川後楽園

12:55後楽園駅着

樋口一葉旧居

地下鉄都営三田線の春日駅に降り、樋口一葉の旧居跡に向かいます。駅から5分もかからない距離です。

坂を上ると一軒だけ昔ながらの木造住居が見えます。この時は知らずに写真を撮らなかったのですが、後から言語学者の金田一京助・晴彦の旧居跡だと知りました。

この坂は「鐙(あぶみ)坂」というのですが、この坂を下りる途中に昔ながらの住居が残されているエリアがあります。

坂を下りる途中、右に住居の入口があります。

入口には木の枠があります。昔はたまにこういうものを見たような記憶がありますが、最近ではほとんど見かけなくなりました。通り抜けはできないようなので途中引き返すことになりますが、少し中に入ってみます。

木造の家と石垣に挟まれた、狭い通路

木の板を横に打ち付けられているこの造りは、下見板張り(鎧張りとも)というようです。板に段差があるので水の切れが良く、雨水が内部に侵入しにくい造りになっているのだそうです。

独特の空間です。

工事中で通り抜けできませんが、こちら(左の建物)が樋口一葉の旧居です。樋口一葉の旧居は台東区の方にもあります(住居はなく碑があるだけです)が、こちらは樋口一葉が3年ほど住んでいた旧居の跡として知られています。

樋口一葉は明治時代に活躍した小説家・歌人ですが、その生涯は24年間という短いものでした。そのうちの3年ほどを過ごした場所とされています。

この辺りの東京・本郷界隈は、関東大震災や東京大空襲を免れた建物が多く残っています。樋口一葉旧居は当時のまま残されているわけではありませんが、旧居跡界隈はかつての路地風景がそのまま残っています。

路地が狭いので陽が当たらず暗いのですが、この暗さが何だか落ち着く気もします。

樋口一葉の旧居は階段の下からも見れるので、迂回してそちらからも写真を撮ることにします。

通り抜けできないので、鐙坂に戻って下から回ってみることにします。

生活感のある路地裏

鎧坂に出て坂を少し降りると、また右に民家への入口があります。

先ほどの道よりも更に狭い道です。

少しだけ中に入り、住宅の家の前引き返します。

正に路地といった感じがして、歩いていて新鮮な気分になります。

都市開発をする前は東京にも他の都市部にも、こうした場所が沢山あったのでしょうか。

鐙坂に戻り坂を下り、右に曲がり迂回して階段を降りると、こうした場所に着きます。写真の下の道を少し先に進み右に行くと、樋口一葉の旧居があります。

しかし住民以外の出入り禁止の表示があり、今回入れるのはここまででした。真っ直ぐ歩くと、階段の上にある樋口一葉旧居を見ることができます。

鐙坂の辺りで散策していたら近所の方に声をかけられ、この辺りには戦前からある井戸が残っていると教えてくれました。少しくらいなら通り抜けしてしてもいい、と言ってもらえましたが、今回はご厚意だけありがたくいただいて遠慮しておきます。

この辺りの本郷界隈には昔から使われている井戸が今でも幾つか残されていて、飲料には適していませんが植木の水用に今でも使われているといいます。東京にこうした場所があるのも、不思議な感じがします。

さて、来た道を引き返して、鐙坂を上ります。鐙坂の由来は、鎧を造る技術者の子孫が住んでいたからとか、その形が鎧に似ているからといわれています。

坂の下には、菊水湯という明治中期創業の銭湯があったのですが、2015年に廃業しています。100年以上の歴史を持つ銭湯として知られていましたが、残念ながら現在は見ることができなくなってしまいました。

樋口一葉の旧居の後は、文京シビックセンターという所に行ってみます。写真に見える高いビルです。

文京シビックセンター

文京シビックセンターにやって来ました。ここは文京区の区役所です。

25階に展望台があり、ここは無料で開放されています。

中はこんな感じで、周辺の街並みを見渡せます。

25階の東・西・北側が展望ラウンジとなっていて、南側以外はぐるっと都内の景色を楽しめます。

地上約105mの高さから、文京区内の東京大学や小石川植物園、東京スカイツリーや新宿副都心の高層ビル群が見渡せます。天気の良い日は富士山や筑波山なども見えるようです。

肘を乗せられるので、リラックスして景色を楽しめます。この窓は特殊な作りになっていて、室内光が反射しないようになっています。そのため夜景も綺麗に見ることができます。

外の景色

素晴らしい景色でした。夕暮れ時や夜景も見てみたいものです。開館時間は9時00分~20時30分となっています(2021年現在)。

南側でしょうか、展望ラウンジのない場所には椿山荘グループのレストランがあったのですが、2021年2月末で閉店してしまったようです。この時も昼時はたくさんの人が利用していて繁盛していて、機会があれば行きたいと思っていたのですが、残念です。

小石川後楽園

さて、展望台からの景色を楽しんだ後は、小石川後楽園に向かいます。

文京シビックセンターから歩いて7分くらいの距離です。東京ドームの隣にあります。

小石川後楽園
江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が造り始め、二代藩主の光圀の代に完成した庭園。後楽園という名前の由来は、光圀が中国の教えにある「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名付けたとされている。六義園・浜離宮恩寵賜庭園と並び「東京三名園」として知られている。

入場料は300円

中を見てみましょう。

この場所は小石川台地の先端にあり、神田上水を引入れて築庭されているそうです。

庭園は池を中心とした回遊式築山泉水庭園です。

先ほどの文京シビックセンターと東京ドームが見えます。

江戸時代初期にできた庭園ということで、江戸期において最も早く完成した大名庭園となり、日本各地の大名庭園に影響を与えたといわれています。

青空と緑の庭園が何とも綺麗です。

晴れた日はいいですね。

先客を真似てベンチに腰掛けて寛ぎます。池の水面のさざ波がまたいい感じです。

休日にこうしてのんびりするのも、贅沢なものです。

正面に見える島は紅葉の木のある場所は蓬莱島という島らしいです。

延段

左の立て札には、中国風の素朴な石畳で切石と玉石を巧みに組み合わせたものと書かれています。

丸い石が自然の石で四角の直線的な石が人工的に切られた石で、それらを芸術的に組み合わせているといったところでしょうか。

気にも留めたことがありませんが、石畳にもこうした技巧が施されているのですね。

もちろん歩いている時にはそんなこと知る由もありませんでした。

こうして記事を書くにあたり、もらったパンフレットを見て初めて知りました。

苔の綺麗な道

これも人工的なものでしょうか

穴の中にドングリの実が置かれています。

内庭

大泉水

琵琶湖を見立てて造られているようで、昔はこの池で舟遊びをしていたそうです。

大泉水の中には蓬莱島と竹生島がありますが、これは先ほどベンチに座り正面から見た蓬莱島です。

異形灯篭

灯台として使われていたようです。

夜に舟で池に出て、月明かりや水面の移る月影を楽しむといった風流なことも行われていたようです。

園内の各所にベンチがあります。お弁当を食べていた人も数人見かけましたが、定期的に散歩に来るのもよさそうです。

九八屋

江戸時代の酒亭を再現した建物で、「酒を飲むに昼は九分、夜は八分にすべし」と言われたことに由来しているのだとか。銀杏が落ちていて秋を感じさせます。

小高い丘に登ります。

建物が見えてしまうのが残念ですが、天気がいいとそれなりに景観を楽しめます。

まぁ、ビルも見方によってはいい景観になるのかもしれません。

海を擬した大泉水の景観を中心に、山・川・田園・里といった景観を楽しめるのも、この庭園の特徴です。

八つ橋

三河の国の名所・八つ橋を模したもの

『伊勢物語』には三河の八つ橋が在原業平の有名な歌と共に書かれています。

「からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」のこの有名は歌は、各句の頭文字が「かきつばた」の語から始まります。それは三河の八つ橋がカキツバタの花が綺麗に咲く名所だったからでした。

日本庭園にはこうした和歌、更には漢詩の世界が反映されたものがあります。自分は全く分かりませんが、そうしたことを知っていれば、さらに庭園を楽しむことができるのでしょう。

稲田を過ぎると、円月橋のある名所に着きます。

円月橋

技術的にかなりの高度なもののようです。

「橋が水面に写る形が満月になることからこの名がつけられた。後に八代将軍吉宗が江戸城吹上の庭に造ろうとしたが遂に果たせなかったといわれている」と書かれています。写真でも少し光の円が見えますが、これを造るのは当時としてはかなり難しかったということでしょう。

駒橋嘉兵衛という名工が造ったとされていますが、石橋は当時では最先端の技術だったのではないでしょうか。日本で初めて石橋が造られたのは長崎の出島というのを、長崎歴史文化博物館に行った時に知りました。

この円月橋をはじめとして、園内の随所に中国の名所の名前をつけた景観があります。これは光圀が造園にあたり、明の遺臣朱舜水(しゅしゅんすい)に設計・指導を任せ、中国趣味豊かな庭園にしたとされています。

時間が無くて散策を途中で切り上げてしまったのですが、他にも通天橋や西湖の堤といった名所があります。

パンフレットより

小石川後楽園は国の特別史跡と特別名勝にしてされていますが、重複指定を受けている場所は全国でもごくわずからしいのです。都内ではここと浜離宮だけ、全国でも金閣寺や銀閣寺を含め十数か所らしいです。

何の予備知識もなく散策してみても十分に楽しめましたが、事前に予習していくと一層のこと楽しめると思います。

園内を歩いて見て個人的に感じたことは、有料の日本庭園はいいなということです。無料で開放している所よりも明らかに静かです。人が少なく、座れる場所もさほど困りません。寛ぎたい時、リフレッシュしたい時、考え事をしたい時、脳を休めたい時などにいい場所です。

年間パスを買って定期的に散歩したりお弁当を持ってきて休むのもいいのかと思います。近くで働いていたら、昼休みにこういう場所で頭をすっきりさせたいものです。年間パスポートは1200円と安いです。ちなみに、9園共通のパスポート4000円というのもあります(六義園、向島百花園、小石川後楽園、旧古河庭園、旧岩崎邸庭園、旧芝離宮恩賜庭園、殿ヶ谷戸庭園、浜離宮恩賜庭園、清澄庭園)。

以上、小石川後楽園と文京シビックセンターの展望ラウンジ、樋口一葉の旧居の紹介でした。

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