2022年4月に北海道フリーパス7日間の旅をしました。
その3日目は釧路散策をしました。
時間の都合上、博物館に行きご当地グルメを楽しんだだけでしたが、釧路についていろいろと知ることができました。
今回は釧路市立博物館と釧路の食をご紹介します。
札幌から釧路へ

朝の9時頃に札幌駅からおおぞら3号に乗り釧路駅に向かいました。


乗車時間は約4時間半です。

移動時間は長いですが、車窓の景色はよく退屈しませんでした。









昼の1時半前に釧路駅に到着です。

駅から40分ほど歩き釧路市立博物館に行きました。

近くには春採公園というロックガーデンがありました。



釧路市立博物館

受付の方の愛想が悪く、というか愛想の欠片のない応対に触れ、随分な田舎に来たなと実感しました。

エントランスで正社員と思われる男性の職員の方がいましたが、「こんにちは」と挨拶をしてくれ、田舎とか関係ないと思い直しました。

1階の展示は釧路の生物や生態系、自然がメイン





地下資源の石炭の展示

近代化に大きく貢献した北海道の石炭への理解が深められます。

2階は近代の釧路の歴史が解説されています。

釧路と言えば、釧路湿原・タンチョウ、漁業で有名、くらいしか思い浮かびませんでしたが、展示をみるといろいろな産業が栄えたことが分かります。

釧路は明治時代、馬産地として栄えました。
各地から来た旧士族や農村からの団体移住者らが、雑穀や馬鈴薯などを作る傍ら軍馬や開墾馬を育て、馬産地として知られるようになりました。
昭和6、7年に大冷害が起ると乳牛が飼育されるようになり、やがて酪農地帯に変わります。

大正時代は木材を出荷する場所としても栄え、明治後半、十勝や北見の木材が釧路に集まり釧路港から海外に輸出されました。
特に大正時代は鉄道に使われる枕木が中国やアメリカに送られ、枕木の生産地としても知られるようになりました。

釧路は明治時代中期に石炭の町として栄えました。
明治21年に安田炭鉱ができ釧路炭田の石炭が本格的に採掘されると、道内で石狩に次ぐ炭田となりました。石炭は硫黄を輸送する汽車や汽船、精錬用の燃料に使われ、京浜・阪神地方に送られました。

戦後も石油燃料への転換がされるまでは石炭を京浜工業地帯はじめ東日本を中心とする各地の工業地帯へ供給し続けました。

釧路の北にあるアトサヌプリで硫黄が採れたのが、釧路で石炭産業が栄えるきっかけでした。


そして戦後は港町として栄えます。
北洋漁業に出港する船の基地として、また漁期ごとに移動しながら釧路近海に集まる外来船が水揚げする漁業基地として発展しました。
北洋漁場の基地となった昭和30年頃から釧路港の水揚量は増加し、水揚げ量日本一を連続で記録するなど、日本有数の漁港となっています。

このように釧路は様々な分野で栄えた歴史がある町です。
釧路市のHPによると、釧路には杉と檜がないのでその花粉がなく、夏は涼しく、冬は雪が少なく晴れの日が多いとのことで、過ごしやすい場所のようです


上の階には民族・文化の展示があります。




持ち帰れる資料もあり、勉強になりました。展示の充実した博物館です。

博物館から駅に戻る途中、

釧路川の近くに釧路フィッシャーマンズワーフMOOという建物があり、

1階にある魚政で

さんまんまを買いました。

釧路サンマを一尾まるまる使った贅沢な一品です。
さんまんまはこちら↓
【北海道】釧路名物 さんまんま | 四季を気ままに (shikikimama.com)
YouTubeでも紹介しています。是非ご覧ください。
コメント