【石川県】辰巳用水を巡る金沢散策②金沢城と石川県立歴史博物館(電車日本一周補完の旅11日目②)

石川県
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金沢城

前回の続きです。

橋を渡って隣の金沢城を歩いてみましょう。

金沢城は兼六園と橋で繋がっているので、訪れる際に両方ご覧になるのがお勧めです。

金沢城と兼六園の間には道路があり橋で結ばれています。

江戸時代はこの道路に百閒堀(ひゃくけんほり)と呼ばれる水深2.4mある水堀がありました。

辰巳用水はこの堀の下を通って金沢城に繋がっていました。
ご覧の通り兼六園から一旦下がって、それから金沢城内の高い所に水が送られる造りになっています。これは逆サイフォンの原理、または伏越(ふせごし)と呼ばれるもので造られています。

兼六園側

水堀跡(この下に辰巳用水の水道管が敷かれていた)

金沢城側

辰巳用水は防火用水として造られましたが、それは表向きで実は城の防御機能を高めるのが目的だったと言われています。

寛永の大火で城内が焼けたため、三代藩主利常は防火用水の建設を幕府に願い出ましたが、謀反の疑いをかけられます。
必死の弁明をし疑いを晴らし、工事が認められましたが、疑われた利常の危機感は相当のものだったと思われます。

前田家は以前、秀吉の死後は家康に唯一対抗できる人物と言われた前田利家が亡くなった時に、家康に加賀征伐をされそうになった経緯があります。
またこの時期は他藩の大名が改易される前後で、利常は徳川との決戦を想定し、城に水を入れ、それまでは空堀だった三の丸、二の丸の堀を水で埋めたといいます。

また城内の飲み水を確保する目的もありました。
百閒堀の内側にあるこの地は水の便が悪く、生活用水を深い井戸に頼っていました。
籠城の際に水を確保するためにも、辰巳用水は重要なものだったのです。

辰巳用水が尋常でない速さで造られたのは、そうした理由があると言われています。

旅の後で読んだ本で知りましたが、城内には辰巳用水の説明板があります。
※出典:『辰巳用水を守る』

辰巳用水を抜きにしても、金沢城は歩いていて楽しい城です。

旅の後で知ったので写真を撮れませんでしたが、金沢城の石川門の瓦は鉛でできていて、これは珍しいものらしいです。日本でも瑞龍寺の仏殿と石川門だけなのだそうです。

入口から見た石川門

狭間が随分と長くて印象的です。

五十間長屋は二ノ丸を守るために石落しや鉄砲狭間となる格子窓があり、武器庫でもあり、外壁は白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造となっています。

大きな城は歩くと単調で疲れるものですが、金沢城は所々に見どころがあるので楽しめます。

金沢城の石垣

金沢城の周りの石垣もまた、見どころです。石垣の隣を歩くことができます。

兼六園から見える石垣は特に迫力があります。

こちらは百閒堀付近から見た石垣です。

説明板には長い年月をかけて修築したため、3種類の石垣を観れると書かれています。

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