【旅8日目】前半 奈良1日観光 法隆寺と興福寺と春日大社へ

日本一周

大阪難波のネットカフェで朝を迎えます。旅8日目は奈良観光の1日となります。難波から法隆寺に行き、興福寺、春日大社、東大寺といった奈良を代表する観光地に行き、京都に移動します。昨日に続き今日も青春18きっぷは使わずに旅をします。長くなるので記事は前編と後編と2つに分けています。

それでは本日の行程です。

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8日目の行程

6:11JR難波駅発
6:51法隆寺駅着
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7:50法隆寺
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9:26法隆寺駅発
9:37奈良駅着
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10:00興福寺
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11:00春日大社
※ここまでが前半の記事
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11:50東大寺
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12:56近鉄奈良駅発
13:09西ノ京駅着
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13:15薬師寺
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13:55唐招提寺
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14:13西ノ京駅発
14:30近鉄奈良駅着
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15:36近鉄奈良駅発
16:37京都駅着

5:30にネットカフェを出てJR難波駅に向かいます。料金はシャワー代込みで1780円といい値段で泊まれました。ネットカフェは都心の方が料金が安く、田舎の方が高い傾向になります。

6:11の電車に乗り法隆寺へ。40分くらい電車に乗り7時前に法隆寺駅に着きます。

法隆寺の参観は8時からでまだ時間があるので、途中コンビニでパンと水を飲み、朝食を済ませます。駅そばでもあればよかったのですが、法隆寺駅にはありませんでした。

ゆっくり歩いても駅から20分で法隆寺に着いてしまい、近くの休憩所で30分くらい休憩します。

奈良を歩いて早くも感じたことは、「暑い」ということです。風がないのです。蒸しています。無風なので朝でも暑く、陽が昇ると更に暑くなります。「夏の京都には行くものではないよ」と、旅の前に何人かに言われていたので、京都の旅は大変そうだと覚悟していましたが、奈良も暑かったです。

奈良や京都の関西圏を旅した後に、中国地方や四国、九州にも行きましたが、奈良や京都ほど暑い所はありませんでした。他の地域は風がありますし朝は涼しかったです。奈良と京都は、空気がもわっとしていて、朝から汗が出る暑さでした。夏の時期は旅をするものではないなと思わずにはいられないほどでした。奈良や京都は盆地なので、四方を山で囲まれていて風が無く夏は温かい空気が停滞し、冬は冷気が停滞し、夏は暑く冬は寒くなります。

法隆寺

さて、8時になり法隆寺に入ります。教科書でおなじみの、聖徳太子ゆかりのお寺です。

南大門

旅の後から知ったので写真が無いのですが、門の前には鯛石(たいいし)という、法隆寺を水害から守るとされる石があります。大雨が降ってそばの大和川が氾濫しても、この石より上には水は来ませんよ、ということを表しているといわれています。

南大門をくぐり中に入ります。法隆寺の玄関にあたる南大門は室町時代の建造ですが、これより先は室町以降の建物がなく、それより前に造られたものになります。

境内は広くて美しいです。土壁がこれまたいい雰囲気を出しています。

法隆寺
境内は東京ドーム4個分の広さで、日本初の世界遺産として知られている、外国人観光客にも大人気の観光名所です。190以上もの国宝・重要文化財があり、指定文化財以外を含むとその数は2300点に及びます。それほどの国宝や重要文化財が残っているのは、700年代から災害や戦火を免れてきたからです。

法隆寺は670年に火事のため建物がすべて焼け落ちましたが、711年までには再建されたと言われています。それ以降は、現在まで、飛鳥時代当時の姿を留めているので、とても文化的価値のある場所なのです。

中門

左右に立つ巨大な金剛力士像は奈良時代に造られたもので、日本最古の仁王像といわれています。寄った写真が無いのですが、向かって左の仁王像は、よく見ると体の半分が色が違います。これは、長い歴史の中で身体の半分が木材によって補修されているからです。塑像という粘土をこねた像なのですが、塑像は繊細で風化していきます。欠けて崩れた所を、木材で補修している訳ですが、ぴったりと繋ぎ合わせていて、補修技術の高さがうかがえます。

中門より先は、拝観料1500円を払って中に入ります。中は撮影禁止でした。

お寺にしては高額です。見応えやお寺の維持費を考えれば仕方がないとも思えますが、仏像や絵や建物に関する説明が書かれているパネルがないのが残念です。一部は東京の上野国立博物館に置いているものもあり、残念にも感じました。

像の素材は書かれていて、飛鳥時代のものは塑像(粘土と漆をこねたもので非常に繊細)、奈良時代は檜や桐で作られているという、流れは分かりました。事前に調べていなかったので、展示物のことがよく分かりません。価値が分からないので1500円は高く感じます。

外からの五重塔

法隆寺のシンボルともいえる五重塔は31.5mもの高さがあります。宮大工や建築業を生業としている人の本によく法隆寺の凄さが書かれていますが、その凄さは約1300年以上も前に造られたのに歴史上地震で倒壊した例がないことです。五重塔の中心には「心柱」と呼ばれる一本の柱が通っており、これが振子となって地震による倒壊を防いでいるといわれています。また心柱と塔体の振動が牽制し合っているから地震に強いともいわれています。

五重塔に使われている「心柱」という建築技法は、東京スカイツリーの地震対策にも用いられています。まともな道具のない時代にこういった建築物を造ったということが、五重塔の凄さなのだと建築に携わる人は口を揃えて言います。

そんな法隆寺を観れた訳ですが、正直感動できませんでしたし、わざわざ法隆寺まで来た甲斐があったと思えませんでした。いまいちよく分からないというのが、正直な感想です。もっと見所をきちんと調べてから行けばよかったと思いました。

夢殿

堂内には、聖徳太子の等身像とされる救世観音像が安置されています。見れるのは年に2回のみで、春と秋のご本尊特別開帳の日だけです。

9時過ぎには法隆寺を出て、駅に戻ります。

法隆寺の隣の敷地の道。色といい高さといい狭さといい、土壁がとてもいい雰囲気を出しています。

法隆寺駅からは10分ほど電車に乗り、奈良駅に向かいます。奈良駅に着いてからは、コインロッカーにリュックを預けて、興福寺へ向かいます。

きちんと見ませんでしたが、駅の近くには面白そうなお店が何軒もありました。

JR奈良駅から15分ほど歩いくと興福寺に着きます。最寄り駅は私鉄の近鉄奈良駅になります。近鉄奈良駅の近くにある奈良公園には、奈良国立博物館や春日大社、興福寺、東大寺、正倉院があり、一度に多くの歴史的価値のある文化財を楽しむことができます。まずは興福寺に寄ります。

興福寺

興福寺
法相宗の大本山で、阿修羅像や五重塔が有名な奈良を代表する寺院です。皇族ともつながりの深い藤原氏が建てた寺で、藤原氏一族だけでなく皇室からも手厚い保護を受けました。そのため、平安時代には春日大社の実権も握り、大和国(奈良県)にある荘園のほとんどを所有するようになります。鎌倉時代から室町時代には強力な僧兵が武装し、興福寺は実質的に大和国の盟主でした。

比叡山延暦寺と並び、僧兵による強訴の常連としても知れられています。寺社の荘園を国司が侵害したり、競合する寺社が今までより優遇措置を得ることなどが起こると、春日大社の神木をかざして朝廷や幕府に対し自らの要求を通そうとしました。

興福寺は、長い歴史の中で焼失と再建を繰り返してきましたが、明治時代の廃仏毀釈の影響は大きく、現在は創建当時の面影はほとんどなくなっています。しかし、仏像をはじめとする多くの寺の宝は健在であり、国宝館に保存されています。

興福寺の五重塔。730年に建立されましたが、その後5回の焼失・再建を経て、現在の塔は1426年頃に再建されました。日本で2番目に高い塔です。

興福寺の五重の塔には、廃仏毀釈の時には売りに出されて燃やされるところだったという話があります。売値は諸説ありますが、5円、15円、25円、250円といわれていて、買主によって金になる金具を取り出すために塔を燃やされようとした経緯があり、近隣住民の猛反対に遭い取りやめられたそうです。明治初期の1円は現在の3800円にあたるといわれ、5円なら5700円、250円なら950,000円となりますが、いずれにしても今では考えられない金額なのは確かです。

東金堂と国宝館の共通券を800円で購入して中に入ります。

東金堂

国宝館
教科書でおなじみの阿修羅像だけでなく、見応えのある仏像が多くあります。戦後にお坊さんが集団で食事をする食堂(じきどう)のあった場所に建てられたので、食堂の名残を感じさせる形をしています。

迦楼羅像(かるらぞう)という、鶏の顔をした仏像は印象的でした。インド神話上の巨鳥で、口から火を吹き龍を食べる鳥類の王らしいです。神様の乗り物とされ、日本では天狗のモデルとなっているようです。雨風を起こす龍を食い尽くすことから、雨乞いや雨を止ませるご利益があるとされたり、龍という悪いものを食べることから一切の悪を食い尽くす鳥と信仰されてきたようです。ちなみに不動明王像の背後の光背は炎の形をしていますが、これは迦楼羅の吐く炎を表しているのだとか。龍よりも強い生き物が存在するとは。さすがインド、スケールが違いすぎます。

板彫十二神将立像も見応えがありました。十二神将とは、菩薩様を守る12の武将のことで、一体に7,000人の眷属を率いているといわれます。12の方角を守っていることから、干支の守護神としても信仰されています。武器をとり身構え、全身で生き生きとした動きのある彫刻です。表情や姿勢が一種の独特なユーモア感があり、必見です。天燈鬼・龍燈鬼立像という、鬼が灯篭を頭の上に乗せている像や、灯篭を肩に担いでいる像も、独特の造形で見応えのあるものでした。

興福寺の次は、春日大社へ向かいます。

春日大社

春日大社に到着です。興福寺から歩いて15分ほどです。

明治時代になり神仏分離令が出ると、興福寺は春日大社と分離され寺院のすべてが廃寺になり、興福寺の僧侶たちは春日大社の神職になったと伝えられています。

鹿の像

鹿は神の使いとして境内では大事にされてきた歴史があります。

参道は石燈籠がずらりとら並んいて、なんともいい雰囲気です。

春日大社

おそよ1300年前に奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って建てられた神社です。遠い地の茨城の鹿島の神様と千葉の香取の神様、そして大阪の二つの神様をお迎えして、お祀りしている神社です。

地理的に大阪はまだしも、茨城や千葉から神様をお迎えしたというのは不思議に感じます。奈良よりも東方の鹿島の方が文化が進んでいたということでしょうか。

南門を入って左に見えるのが、砂ずりの藤という銘木です。

樹齢700年以上のもので、4~5月の見頃の時期には地面の砂に触れるくらいに垂れ下がるということで、砂ずりの藤と呼ばれています。

御本殿を囲む回廊の横には、奉納された多数の灯籠が並べられています。

圧巻です。

春日大社は燈籠が多い神社としても知られていますが、日本に現存する室町時代以前の灯籠の約6割以上が、春日大社にあるといわれているそうです。

北回廊の端に「藤波之屋」という重要文化財があるのですが、そこには平安時代から現在までに奉納された釣灯籠がおよそ3,000基あるようです。2月の節分と、8月14日・15日の年3回には、すべての灯籠に浄化をともす「春日万燈籠」が行われるようで、その時には明かりの灯された灯籠を観ることができるみたいです。ここも行きそびれました。下調べ不足で素通りしてしまいました。

朱塗りの回廊を歩き、拝殿で参拝します。

通常参拝ですと幣殿までで、その先には進めません。初穂料(参観料500円)を払うと、特別参拝といって拝殿まで行くことができます。

拝殿には、有名な武将が寄進した灯籠があります。宇喜多秀家や直江兼続、藤堂高虎、そして徳川綱吉が奉納した釣燈籠を観ることができます。

朱塗りといえば、春日大社の本殿の朱色は本朱が100%使用されています。本殿ですので拝殿からは見えませんが、通常神社で使用される朱は鉛丹というオレンジのような朱色ですが、ここでは深い濃い朱の色を塗ります。本朱は経年劣化すると黒ずむため現在では使用されなくなっていますが、ここ春日大社本では使用されており、全国でもかなり珍しいようです。値段も本朱のほうが橙色の鉛丹よりも高価なものになります。

春日大社では20年に一度、社殿の修復や塗り替えが行われ、その時に塗り替えられます。20年前の古い朱を一旦落としてから新しいものを、しかも技術が途絶えないように手作業で行われるというのですから、非常に手間がかかるもののようです。朱塗りは本殿のみなので、実際に観るには「お砂待ち行事」があるだけで、それは10月のどこかで非公開で実施されているようです。これも後から調べて知りましたが、知れば知るほど見所のある場所です。

春日大社を参拝した後は、東大寺に向かいます。

後半に続く

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