【旅20日目】広島観光 尾道と呉と広島へ

日本一周

広島県東部にある福山駅に近くにあるネットカフェで朝を迎えます。旅20日目は尾道の千光寺に参拝して呉の大和ミュージアムを観て、広島駅に行き縮景園と広島城を観て、広島駅近くのネットカフェに一泊します。今回は千光寺、大和ミュージアム、てつのくじら館、縮景園、広島城を紹介します。

それでは本日の行程です。

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20日目の行程

8:14福山駅発
8:33尾道駅着

9:00千光寺へ

10:37尾道駅発
12:31呉駅着  

14:40呉駅発
15:20広島駅着

縮景園、広島城

20:00広島駅のネットカフェで一泊

朝の8時、いつもより遅めにネットカフェを出て福山駅に向かいます。

今日は天気の良い1日となりそうです。

福山駅にある像は、岡倉天心をモデルにした五浦釣人(いづらちょうじん)像」。何でも有名な彫刻家が造った銅像らしく、地元の人の待ち合わせの定番になってのだとか。岡倉天心は近代日本美術の発展に大きな功績を残した美術運動家で、東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介した人です。一度、岡倉天心に関する本を読んでみようと思うのですが、なかなか読めずにいます。『茶の本』が代表作として知られています。

8時過ぎの電車で尾道に向かいます。この福山駅からは、鞆の浦という場所にも行くことができます。鞆の浦は瀬戸内海にある港町で、海沿いに並ぶ鞆の浦の家並みは高台から眺めると美しいといわれ、広島でも人気の観光地の一つとなっています。

アクセスも大変ではなく、福山駅からバスで約30分500円くらいで行けます。本数も日中は1時間に3~5本あるようで、土日祝は尾道駅からフェリーも出ているようです。旅の候補地に入っていたのですが、スケジュールに収まらず行くのを辞めてしまいました。いつかは行ってみたい場所です。

さて、福山駅から電車に乗り、8時半過ぎに尾道駅に到着です。

尾道

駅の後ろに城が見えますが、これは尾道城と言って現在閉館している博物館です。実際のお城ではなく、お城を模した博物館です。2020年以降に解体される予定だそうです。

改札を出るとすぐに海が見えます。帰りに寄ることにします。ここから15分ほど歩き、千光寺に向かうロープウェイ駅に向かいます。

歩いていると尾道らしい道に出会います。尾道と言えば坂ですが、階段の多さが目につきます。階段を上ると線路に出て、線路を渡ると更に階段が続く。これも尾道独特の街並みなのでしょう。

お寺も多いです。

線路の下に階段を挟んだ道も。

ロープウェイで山頂に行きます。往復500円、5分ほどで山頂に着きます。

尾道にはお寺が多いのですが、海沿いに25の寺が点在しています。鎌倉時代から室町時代の間に将軍家や大名家が寄進したお寺と、江戸時代以降に開運貿易により財をなした行商や商人により寄進されたお寺との、二つの時代の異なるお寺が点在しているらしいです。

尾道は港町として栄えてきたのですが、1169年(平安時代)に公認の港となり、荘園で収穫された穀物を出荷する港町となりました。尾道から30kmほど北に離れた場所に太田荘という日本有数の大荘園がありましたが、そこは高野山領でした。太田荘で獲れたお米やゴマなどの年貢が、尾道の港から高野山に運ばれていたのです。

平安時代後期から急速に発展した尾道は、鎌倉時代に港町として発展し、江戸時代には大型商船である北前船の寄港地となって黄金時代を迎えます。日明貿易や朱印船貿易では海外とも交易があったようです。「高野山領」「外国との貿易」ということからも、寺社が多い理由が何となく分かります。

山頂駅に着きました。

千光寺

ロープウェイ山頂駅のすぐ近くに展望台があります。ここ千光寺公園は尾道の定番の観光地で、桜と夜景の名所でもあります。

やはり晴れていると、素晴らしい景色です。

向島と瀬戸内海の島々が見渡せます。

展望台から石段の坂を下りて千光寺に向かいます。

「文学のこみち」と呼ばれる道を歩いていくのですが、尾道ゆかりの作家や詩人の石碑が所々置いてあります。徳富蘇峰や正岡子規、十返舎一九や松尾芭蕉など尾道に滞在した25名の作家や詩人の、小説や詩歌の断片が石碑に書かれています。

他のお寺では見られない独特のものがあります。

千光寺に到着です。

海光台からの眺めもいいです

千光寺からの眺めを楽しんでロープウェイで下に戻ります。

ロープウェイで降りてから、ぶらぶらしながら駅に戻ります。尾道ラーメンを食べるのもいいのですが、時間がまだ10時前で尾道ラーメンのお店が開いていません。大体どこのお店も開店が11時です。

駅の方に戻ってきました。海があるので、見てみます。

尾道浪漫海道は300m先の向島への定期便です。看板に「日本一短い船旅!」と書かれていました。

運賃は100円で車や自転車、バイクでも乗ることができます。300mを4分で渡ります。5分から10分おきに船が出ているので、地元の人が橋を渡って移動するのと同じ感覚なのでしょう。

時間があれば乗って向島まで行きたかったのですが、次の電車があるので駅に戻ります。駆け足での観光となってしまい千光寺に行っただけとなりましたが、もっと階段を上ってお寺や小道を歩いて尾道の街並みというのか、地元の方の生活感を感じられる場所にも行っておけば良かったと、後から思いました。

電車に乗る前に、キオスクで広島菜のおにぎりを買います。広島菜は長野の野沢菜や九州の高菜と共に、日本三大漬菜と呼ばれている特産品です。

せめて広島らしいもの、瀬戸内海らしいものを少しでもと思い。

10時半過ぎに尾道駅を出発し、約2時間かけて呉駅に向かいます。

途中、古い町並みのある観光地として知られている竹原があるのですが、ここも時間の都合上寄りません。竹原は、安芸の古京都と呼ばれ塩や日本酒の製造で栄えた場所です。鞆の浦に竹原に瀬戸内海のクルージングにと、広島には見所が沢山あります。内陸部には島根県との県境にある三段峡という場所も、行ってみたい場所です。

大和ミュージアム

電車に乗ること1時間50分、12時半過ぎに呉駅に到着です。

これから大和ミュージアムに向かいますが、大和ミュージアムは10周年でしかもお盆シーズンということで、混雑しているのを覚悟して行ます。駅からは大和ミュージアムにつながる歩道橋が続いていて、迷わずに行けます。

見えてきました。それほど混んで無さそうです。

橋の上から海も見えます。


大和ミュージアム。特別展示とセットで800円。戦艦大和だけでなく、呉の歴史や造船・鉄鋼をはじめとした科学技術を紹介する博物館です。隣には、てつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)が隣接しています。

個人的に戦艦には興味がなく、歴史や科学を少しでも知れればなと思って入りましたが、見応えのある博物館でした。パネルの説明が分かりやすく、写真が撮れるのもいいです。

呉港は明治時代という国防のため海軍を強化した時代、地理的に防衛に適した場所でした。瀬戸内海の奥にあり攻撃されにくいというメリットがあり、工業地帯を造れる立地でもあり、波が穏やかで船が停泊でき、良質な水がとれ船員の飲み水や工場用水を確保することができる場所であり、それにより呉が栄えました。

戦後は世界最大のタンカーを数多く建造するまでになりましが、それまでの道のりは長いものでした。

軍事産業を担う都市であるため、戦時中は空襲により被害を受けました。また、海域には機雷が落とされ海上からの供給がストップします。戦後は造船などの軍事産業は当然禁止となるので、大量の失業者が出ることになります。配給が30日近く遅れることもあり、闇市が出回り、食べ物を求め買い出しに行こうにも、電車の本数が少なく混雑して難しい状態が発生します。鉄道は戦災や進駐軍に車両を提供し不足し、燃料も不足していました。呉駅や広島駅では、旧海軍の軍人や工場を失業した人、引揚者や生活必需品を買う人達で混雑したとあります。

さらに枕崎台風がこういった状況に追い打ちをかけ、暗い時代があったことが分かります。

そんな苦しい時代がありましたが、朝鮮特需により造船が復活し、都市が活気づき始めます。そんな呉の歴史を、昭和の時代とともに知ることができました。

隣の広場には戦艦大和の10分の1の模型があります。

2階は展示デッキ

3階には船を造る技術という展示室があります。子供向けということもあり、分かりやすい展示でした。鉄の船がなぜ浮くのかといったものや、船の材料や船が進む仕組みの説明があります。翼で浮く船、空気で浮く船、磁石で進む船などの進化した船の紹介があったりと、面白い場所でした。

博物館を出た後は、隣のてつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)に寄ります。

無料です。館員の方は海自のOBの方でしょうか、見学者に説明していました。オフシーズンの平日なら、パネルに書かれていないことも含めていろいろと教えてもらえたのでしょうが、あいにく他の人に対応中でした。

ここでは機雷の説明が書かれたパネルがありました。戦時中、B29による空襲が始まってから瀬戸内海を中心に日本の港町の近海に多くの機雷が投下されましたが、その数は計1万個です。知りませんでした。

横浜と北海道は比較的に少ないのですが、敦賀や大阪、博多や新潟といった主要な港町にはかなりバラ撒かれています。これは国内の輸送を阻止するもので、これにより海路と港湾が封鎖されました。国内の海路での輸送は麻痺し、終戦があと1年続いたら700万人の国民が餓死していたといわれています。

戦後は復興と抑留者の引き揚げのために、この機雷の撤去を行うことになります。が、かなりの困難を極めました。当時、機雷は投下されてから1週間から10日が寿命で、それ以降は爆発しないと言われていたようですが、実際は戦後も爆発し続け、怪我人を合わせて1300人もの人が犠牲になったとのことです。清掃時の環境は悪く風呂も食堂もない船をベースキャンプにしていたようです。

なかなか知る機会のないことを、知れた資料館でした。

呉の歴史を知ってからは、駅に戻り広島駅に向かいます。14時半過ぎに出発して40分ほど電車に乗り、15時半前に到着します。

広島駅

改札を通り駅から出てまず驚いたのが、カープファンの多さです。試合の日なのでしょう、赤い帽子やシャツを着たファンの人が半分くらいの割合でいます。

駅の近くで弁当や飲み物を売っています。カープファンには若い女性も多く、びっくりします。

赤ヘル軍団に遭遇して広島の熱さに少し触れました。

駅に隣接している食品街でお昼ご飯にします。

広島焼きを食べようと思ったのですが、どこも満席でした。

空いている居酒屋に。

入って適当に頼みますが、どれも味が濃くて美味しく感じます。

四国の食事は、ファミレス含めて味が薄く感じました。その反動もあり、夏の暑い日に濃いくらいの味付けのものを久しぶりに食べると、おいしくて堪りません。

気づけば、つまみ5品とビール3杯も頼んでしまいました。

腹ごしらえを終えてから、散歩がてら縮景園を観に行きます。広島駅から歩いて15分ほどの距離です。

縮景園

1620年に造られた大名庭園です。

園内は綺麗な造りなのですが、周りのビルが景色を台無しにしています。所々水が停滞しているからか、水が淀んでいる所もあります。それと海に近く海水が混じっているからでしょうか、フナムシも沢山いて、心休まる庭園といったものではありません。料金は280円と安いです。

原爆の火災から生き残った大銀杏

原爆慰霊碑

杮(こけら)葺きの説明

日本で古来から用いられている伝統的手法で、厚さ2~3mmの板材を重ねているのだそうです。他にも4~7mmの木賊(とくさ)葺き、1~3cmの板を使う栩(とち)葺きという手法もあるのだそうです。なかなか見かけないパネルだと思います。

縮景園から歩いて7分ほどの場所にある、広島城にもついでに行ってみます。

広島城

城内には鳥居が。

広島大本営跡

明治27年と28年の日清戦争の際、天皇が戦争を指揮する機関があった場所です。

天守閣に登ります。

茶色の外観ですが、これはこれでいいなと思います。原爆の被害があったので戦後に建てられたものですが。こういう城も当時は沢山あったのでしょうか。

入場料は500円。館内は写真撮影禁止です。

天守閣からの眺め

城内には広島護国神社があります。

初詣での参拝客数が中国地方で最多を誇る神社ですが歴史は新しく、1872年に戊辰戦争の戦没者を祀るために創建されました。それから太平洋戦争(大東亜戦争)に至るまで、9万余の戦死者の霊をお祀りしています。

18時過ぎに広島城での散歩も終え、20分以上かけて広島駅に戻り、適当に時間を潰してからネットカフェに入って、今日の旅は終わりです。ネットカフェは広島駅の近くにあるフタバカフェというお店です。

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