【京都】食べ歩きの定番スポット錦市場の歴史(旅6日目④)

京都府

京都の旅のおまけです。
2022年3月に京都の嵐山と二条城を旅した時に、帰りに錦市場に寄りました。
当時は有名なスポットなので興味本位に歩いただけですが、後日、歴史のある場所だと知りました。
今回は錦市場の歴史を紹介します。

スポンサーリンク

錦市場

錦市場は京都市観光の食べ歩きの定番の観光名所です。
道幅3.3メートルから5メートルの錦小路通りには、東西約390メートルに渡り、両側にさまざまな店が軒を連ねています。

ここ錦市場には江戸時代に「京の台所」と呼ばれた400年の歴史がありますが、
それは正式な記録によるものであって、市場としての起こりは平安時代の頃からと伝えられています。

質の良い地下水に恵まれていたため、冷たい地下水で魚や鳥を保存することができ、人口の多い京の中心部にあり、また天皇のお住まいの御所に近く納入に便利だったことが錦市場を発展させたようです。

錦市場のホームページに書かれていましたが、昔は一年を通して15度から18度を保つ地下水を汲み上げる降り井戸が各店(かくみせ)にあり、それが生鮮食材を保存する冷蔵庫の代わりになったようです。
この地の水は「錦の水」と呼ばれ、京の台所を支えた名水として知られているのだそうです。

錦市場は江戸時代になると幕府が市場として公認し、本格的な魚市場として発展しました。琵琶湖の川魚、鱧、ぐじ(甘鯛)、笹カレイをはじめとした魚介類を扱い、また旬の京野菜や湯葉、生麩などの食材も広く流通しました。

錦市場の入口には、江戸時代中期に京で活躍した絵師の伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)の絵があります。
伊藤若冲は錦市場の青物問屋の生まれで、錦市場が奉行所から営業停止の裁定を受けた際に、絵描き業を中断して町年寄として解決に尽力し、営業再開を勝ち取り、錦市場の恩人・中興の祖として後世に名前を残しました。

そんなことを知らず動画を撮れませんでしたが、市場のお店のシャッターや至る所には伊藤若冲の絵が描かれるいるようなので、歴史が好きな方は歩く時に気に留めてみるといいのかと思います。

そして錦市場の東の終点には、錦天満宮があります。

この地に住み、また商売をした人々の信仰を集めてきた天満宮です。
こちらも後から知りましたが、鳥居をくぐった左手には、地下から汲み上げた「錦の名水」がこんこんと流れています。

おまけ①錦湯

錦市場に向かう途中、錦湯という銭湯がありました。
創業95年の名物銭湯として知られている町家建築の銭湯で、店内の扇風機やマッサージ器、体重計、番台は昭和から現役で使われており、懐かしい昭和の時代を感じさせる銭湯です。

定休日に落語の寄席や写真展、芝居などのイベントが行われる銭湯としても知られていたようですが、旅から数カ月後の2022年の6月5日に、残念ながら閉業してしましました。

京都市内には昔から続く銭湯が名物として幾つかありましたが、近年その数は大分減っています。

おまけ②京都市営地下鉄

財政難で知られる京都市の問題としてよく挙げられるのが、京都市営地下鉄です。

初乗り220円という高さが、採算が取れていないのを表しています。

インバウンドを見込んで高額な工事をしたのが原因とされています。
建設当初から問題があり、1997年に醍醐駅 – 二条駅間が開業して以来、区間を伸ばすも工事をする度に遺跡が出てきて、調査のため工事を中断してと、工期が伸び建設費が当初の予定よりも増えました。

そうした状況でホームドアを立派なものを作ってしまい、そこにコロナによる観光客激減が直撃し、赤字が拡大しています。
同じ京都市営地下鉄でも、近くを走る烏丸線のホームドアは全面扉になっていませんが、二条城駅は全面扉で高額な費用がかかっています。維持管理費も高そうです。

この全面扉のホーム設備が赤字の大きな原因だとされているが、実のところは分からない。杜撰な計画が原因との声が、住民からは挙がっている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました