2022年4月に北海道フリーパスを使って7日間、北海道を旅しました。
その7日目は小樽を散策しました。
今回は観光地で人気のある小樽の歴史をご紹介します。
小樽はこんな町
北海道フリーパスの旅の最終日の7日目は、函館から青函フェリーに乗り青森に戻りますが、途中小樽観光を挟みます。
札幌から小樽は1時間もかからず着きました。
駅には小樽ランプが
改札を出た所にも
小樽は港・鉄道・ニシン漁で栄えた港湾都市です。
大正9年(1920年)までは札幌よりも人口が多かった町です。
小樽は現在でも国内外への海上輸送の重要な拠点ですが、経済の面では観光業が強い印象があります。
札幌から日帰りで観光でき、多くの観光客が訪れるのため、食事やお土産屋などサービス業が盛んで、卸業・小売業で成り立っている町とも言えます。
お寿司の店が市内に100店舗以上あるそうで、寿司の街なんて呼ばれているようです。
旧手宮線
駅から海に向かう途中に、有名な旧手宮線があります。
明治13年1880年に日本で3番目となる、北海道で最初の鉄道がここ手宮から札幌まで敷かれた跡です。
明治政府は北海道の豊富な地下資源を近代化の原動力に使うために、輸送に必要な鉄道を敷きました。
説明板に、鉄道はアメリカの技術が輸入されたと書かれています。
港
海に出ると埠頭があります。
クルーズ客船が着岸する場所のようです。
かつては様々な物資が小樽港に運ばれ、小樽は港湾都市として栄えました。
明治時代は石狩炭田の石炭がここで積まれ各地に出荷されました。
また函館と同様に北海道開拓の玄関口でもありました。
大正時代になると全国に石炭・木材・農産物が出荷され、また南樺太や中国東北部との交易拠点となり、ヨーロッパ向けに豆類を輸出する場ともなりました。
小樽運河と小樽倉庫
日清戦争から第一次世界大戦まで好景気で多くの物資が小樽港から出荷・輸出されたため、大正時代は貨物が増え波止場が大混雑し、倉庫や役所の土地も不足しました。
そこで小樽運河が造られました。
大正12年1923年のことです。
こちらは小樽倉庫で、安価で防火性に優れた木骨石造(もっこつせきぞう)の倉庫です。
※運河館(小樽市総合博物館)も木骨石造らしいです。
内部の、木材の柱や梁の骨組に、かすがいなどの金物で軟石を固定しています。
運河館の展示で小樽は春に強い風が吹き大火が多かったとありましたが、そうした理由で明治後期からこうした木骨石造が多く造られるようになりました。
木骨石造の倉庫は夏は涼しく冬は暖かいという特性から物資を保管するのに適していました。
運河館(小樽市総合博物館)
小樽市の歴史と自然環境を分かりやすく、多くの展示品で解説した博物館です。
小樽港で扱われた品物
大正9年(1920年)までは札幌よりも人口が多かったです。
小樽倉庫の説明
港湾都市として栄えた歴史
ニシン漁の説明
小樽はニシン漁で栄えた町でもあり、大正11年くらいまでは小樽近郊でニシンがよく獲れました。
ニシンから作られるしめかすは東北、北陸、中国、四国地方の木綿やみかん、藍、紅花の肥料に利用されました。
北海道らしい展示
開拓前の小樽
木骨石造の建物
堺町通り
小樽観光で有名なのが、お土産屋が並ぶ堺町通りです。
ここでは小樽ガラスが有名です。
小樽では明治中期以降に石油ランプとニシン漁に使う浮き球が作られ、ガラス工業が盛んになった歴史があります。
かま栄のかもぼこ
小樽の食では、かま栄(かまえい)のかまぼこが有名です。
明治38年(1905)創業の老舗かまぼこメーカーです。
工場直売(ちょくばい)店限定のパンドームが人気で、こちらはすり身に溶き卵、ベーコン、チーズ、玉ねぎを入れ薄いパンで包んで揚げた一品です。
ベーコンと燻製の風味を楽しめます。
できたては外側はカリッと中はやわらかく、地元民の間でも人気なのだそうです。
写真の画像が悪いので載せるのを止めましたが、評判通りの美味しさでした。
小樽を観光した後は札幌駅に戻り札幌エスタで北海道最後の食事をし、札幌駅から北斗14号に乗り五稜郭駅に向かいました。
そして五稜郭駅で降りて、来た道を30分歩き青函フェリー乗場に行き、夕方6時の便で4時間かけて青森港に向かいました。
小樽の町の様子や旅の感想はYouTubeでも紹介しています。是非ご覧ください。
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