武家屋敷へ
前回の記事の続きです。和田浦駅から電車に乗り12時半前に佐倉駅に到着しました。
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今回は江戸時代の武家屋敷を見に行きます。駅から15分ほどの距離になります。
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住宅街を歩きますが、そこそこ車の通りがある道です。
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佐倉は江戸時代に土井利勝によって佐倉城が築かれ、城下町としての歴史が始まります。当時の基本的な町割りや道筋は現在も残されていて、往時をしのばせる文化財が残されています。
今回は徒歩15分ほでいける武家屋敷しか見ませんが、さらに歩くと佐倉城址公園に国立歴史民俗博物館や佐倉市美術館があり、また離れた場所には旧堀田邸や佐倉順天堂記念館があり、明治期の日本家屋や蒐集品を見ることができます。
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武家屋敷や佐倉城址公園はJR佐倉駅と京成佐倉駅の間にあるので、どちらからもアクセスできます。どちらの駅にもレンタルサイクルがあるようなので、自転車での移動もおすすめです。
JR佐倉駅からはバスでの移動もおすすめで(歩いてもそれほど楽しい道ではないので、バスがおすすめです)、北口1番乗場から「ちばグリーンバス田町車庫行」に乗車し「国立博物館入口」または「国立歴史民俗博物館」で下車すれば佐倉城址公園まで行くことができます。
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薬師坂
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坂の上に薬師堂があったことから薬師坂と呼ばれましたが、薬師堂は昭和4年の火事で焼失し現在はありません。
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佐倉の武家屋敷
江戸時代に建てられた3棟の武家屋敷が保存・公開されています。大・中・小の規模の異なる武家屋敷が並び、広さや造りの違いを見て知ることができる場所です。当時の土塁や生垣も見ることができます。
旧河原家住宅
入館料は210円(3棟まとめて)。お得な旧堀田邸と佐倉順天堂記念館との三館共通券もあります。
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3棟の中で一番大きい規模の武家屋敷です。
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市内に残る武家住宅の中でも最も古いとされる武家屋敷のようです。
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他の場所から移築され、玄関や客座敷など一部は復元されたものです。
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中では当時の調度品を見ることができます。
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奥にあるのが土間
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風呂場(湯殿)
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もらったプンフレットによると、江戸時代の武家屋敷はその大半が藩が所有し、藩士に貸し与えていたようです。そのため、藩士の身分が変わったり、藩の移封によって住む人が変わることが多かったようです。
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飢饉に備えて作物を育てていたと思われる畑
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井戸
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隣の但馬家に移動します。武家屋敷が並ぶこの通りは、武家屋敷通りと呼ばれ城下町佐倉の面影を残す通りです。
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旧但馬家住住宅
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当時からずっと現在の場所に残されている住宅です。
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規模は3棟の中で、中規模のものとなります。
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初めてこの住居に入ったのは槍術師範だった井口氏といわれています。
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植栽は当時のままのようです。
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当時もこういう手入れをされていたのかは分かりませんが、生垣も見所に一つに思われます。
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旧武居家住宅
そして一番規模の小さい武家屋敷の旧武居住宅を見てみます。
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屋根は当時の茅葺屋根ではありません。
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隣の旧但馬家住宅と旧河原家住宅は茅葺屋根です。
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百石未満の藩士が住む規模の屋敷だったようです。
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八畳の座敷と六畳の座敷の他は土間や台所・湯殿・厠がある広さです。
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土壁の展示
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ここにはちょっとした展示室があり、
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移築にともない出土した資料を見ることができます。
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食器などの生活用品が展示されていますが、
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胞衣(えな)容器を見ることもできます。子供の成長を願い赤ちゃんの胎盤を土器に入れて土に埋める古代からの習慣ですが、江戸時代まで行われていました。詳しくは別館に書いていますので興味のある人は見てみてください。
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小規模とはいえ、庭はそれなりの広さがあります。
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湯殿や厠が共同ではなく一つの家にそれぞれあっただけでも、少なくとも商人や百姓よりもいい家に住んでいたことが分かります。
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武家屋敷を見た後は、ひよどり坂に行ってみます。武家屋敷の3棟は短時間で見れますが、それなりに見所のある場所でした。
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のちほど通るくらやみ坂。大々的に宣伝している観光サイトがありましたが、がっかりスポットです。
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ひよどり坂
サムライの小径と呼ばれているひよどり坂。
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佐倉城に登城する際に武士が通ったとされる道です。
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当時のままの竹林らしいです。
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風が吹くと竹の葉が揺れて雰囲気のある場所です。
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坂は短く、2、3分で竹林は終わってしまいます。
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こちらは佐倉城址公園側からの入口
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竹林の隣にある、くらやみ坂を歩いてみます。
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当時昼間でも暗かったことから名付けられた坂のようですが、特に見所はありません。
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スマホだと割と雰囲気のある道に撮れましたが
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実際はこんな感じの通りです。
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武家屋敷とひよどり坂を見た後は来た道を戻って帰ります。
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今回は時間の都合上、武家屋敷とひよどり坂しか見れませんでしたが、佐倉城址公園や国立歴史民俗博物館、新町通りのお店、旧堀田邸や佐倉順天堂記念館も見てみたいと思いました。見どころが点在しているのでアクセスが不便ですし、1日かけて散策しないと厳しいかと思いますが、それなりに楽しめるのではないでしょうか。
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佐倉順天堂記念館は、長崎で西洋医学を学んだ佐藤泰然が城下に順天堂という塾を開き診療と医学教育を行ったところ、全国から入門者が集まり「西の長崎、東の佐倉」といわれた場所です。佐倉では房総で最大の藩校があり、洋学も熱心に学ばれました。
医学だけでなく西洋兵学も取り入れられ、万延元年(1860年)には軍事科学・航海測量・地理・工学などの講義が行われ軍事面でも人材育成が目指され、兵制改革が行われました。安政2年(1855年)に老中となり、アメリカの駐日総領事ハリスとの交渉にあたった佐倉藩主・堀田正睦は「蘭癖(らんぺき)」と呼ばれるほど西洋事情に通じていたといわれています。そして交渉に際には佐藤泰然の助言があったとされています(『県史12 千葉県の歴史』山川出版社)。
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幕末に興味のある人にとっては十分に楽しめる場所なのかと思います。江戸時代前期の義民として知られている佐倉惣五郎も、佐倉の地に関係のある人かと思いましたが、現在の成田市の裕福な百姓だったことしか分かっておらず、佐倉藩主の重税を4代将軍家綱に直訴して百姓を守ったと伝えられていることは現在では伝承の域を出ていないようです。
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