今回は、御殿場線と静岡県の沼津・三島の歴史を紹介します。
旅の行程
2020年3月下旬、青春18きっぷを使って静岡県の沼津と三島に行きました。途中、御殿場線の山北駅と谷峨駅に寄り、周辺を散策して、沼津駅に行きました。沼津では富士山が綺麗に見える港大橋や千本松の浜に行き、三島駅に移動して、桜の綺麗な三嶋大社と水の綺麗な源兵衛川に行きました。
散策をした時期は、コロナウイルスが拡がり始め、4月には緊急事態宣言が出るだろうと噂されている頃でした。当時は、まだ静岡県で感染者が出ていなかったので旅をしましたが、前回と同様に、旅先で飲食しないようにしました。ですので、旅の楽しみが半減してしまい、正直、個人的にはそれほど魅力のある旅ではありませんでした。
ですが、せっかくなので、記事では足柄や御殿場線、沼津や三島の歴史を書いてみたいと思います。
新宿駅から山北駅へ
新宿駅から5:37の電車に乗り神奈川県の足柄に向かいます。コロナが蔓延しているというのに、新宿駅には徹夜明けの若者の姿が目立ちます。旅をした3月下旬は、若者はコロナウイルスで重症化することはなく、若者には関係ない病気という認識がまだまだあった頃でした。
一方、大人の方は他人事ではなく、在宅勤務や通勤ラッシュをずらした通勤が増え始めていました。働き盛りの30代~50代の年齢も、若者と同様にコロナは怖いものではなくても、同居している高齢者の父母に移したら大変なことになるという認識がありました。
さて、新宿を出発して6時過ぎに品川駅で小田原行の電車に乗り、7時過ぎに国府津駅で御殿場線に乗り換え、7時半に山北駅に到着です。国府津駅で御殿場線に乗り換える時は、乗り換え時間が4分しかなく、ホームも階段を上り下りして変えなければならなかったので忙しく、階段の上から海が見えましたが、写真を撮る時間がありませんでした。御殿場線では進行方向左に富士山が大きく見えました。
御殿場線山北駅
無人駅です
改札を出て周辺を少し歩きます。
この辺りは桜が綺麗だということで立ち寄ってみましたが、3月下旬は桜は半分から6分咲きでした。
山北駅からは散策コースがあり、河村城や酒水の滝に行けます。
駅の近くには鉄道公園があります。
明治・大正時代は神奈川県側の県境駅になる山北駅に機関区が置かれ、電車の保守・運用が行われていたようです。駅の反対側に、国鉄時代の御殿場線の資料を展示する鉄道資料館があります。
線路沿いには所々橋があり、橋の上から桜を見ることができます。
橋を渡り、折り返して駅に戻ります。当初の予定では、山北駅から1時間かけて隣の谷峨駅まで散歩する予定でしたが、それほど面白い道ではなかったのでやめました。
山北駅周辺は、神奈川県の南西部にあり、上は山梨県、左は静岡県がある、神奈川の外れにある足柄上郡になります。足柄茶以外にどのような特産品があるのか、気になりますが分かりません。
山北駅に戻り、隣の谷峨駅に向かいます。
御殿場線谷峨駅
こちらも無人駅。1日の乗車人数が100人程度と、御殿場線の駅の中でも最も利用者数が少ない駅です。先ほどの山北駅でも500人は利用しています。
谷峨駅からはバスが出ていて、中川温泉や丹沢湖に行くことができます。
中川温泉は、武田信玄の隠し湯といわれる温泉で、水酸化物イオンの濃度が高い泉質が特徴の、胃腸病や切り傷の回復に効用がある単純アルカリ性泉です。日帰り温泉入浴施設の「中川温泉ぶなの湯」があります。
ここから20分ほど歩いて、神奈川県農協茶業センターに向かいます。
信号を渡った先の高台に少し茶畑があるので、見てみます。
足柄茶の直売所にやってきました。まだ8時半前でお店はやっていません。
事前の調べでは、この辺りに足柄茶の茶畑があるはずでしたが、間違いでした。
バスの本数も少なく、僻地です。
折り返して谷峨駅に戻ります。先ほどの山北駅といい、見所がなく旅の出だしから肩透かしをくらいました。
せっかくなので、足柄茶について少し書いておきます。足柄茶は、丹沢・箱根山麓一帯で作られるお茶で、味と香りが優れていると評判のお茶です。足柄一帯は、山間部であるため日照時間が短く、お茶の成長に時間がかかりますが、その分、長い時間をかけて土壌の養分を多く吸収し、また朝霧が新芽を紫外線から守るカーテンとなり、苦みの少ない香りのよいお茶が作られています。
生産地は具体的には、相模原市(旧津久井郡)、南足柄市、小田原市、秦野市、厚木市、愛川町、山北町、松田町、湯河原町、真鶴町、開成町、中井町、清川村と色々な場所でお茶が生産され、総称して「足柄茶」と呼んでいます。
足柄茶の歴史は、1923年の関東大震災から始まります。震災によって大きな被害を受けた山村の産業復興策として、当時の足柄上郡清水村(現足柄上郡山北町)にお茶の栽培が導入され、幾多の苦難を乗り越えて産地化されたことが始まりとされています。
谷峨駅に戻ります。向かいのホームには線路の上を歩いて渡ります。
御殿場線に乗って沼津に向かいます。
御殿場線谷峨駅-沼津間
谷峨駅の隣の駿河小山駅を出て足柄駅に向かうと、車窓から富士山がデカデカと見えます。見えては山で直ぐに隠れてしまいますが、御殿場駅・南御殿場駅・富士岡駅辺りは、富士山がよく見えました。
御殿場線は富士山が綺麗に見えますが、トンネルが多く、たまに茶畑が少し見えます。無人駅が多いので、電車が駅に停まって出発する度に、車掌さんが切符を買うかどうか車内を行き来します。
御殿場線は今では利用者が少なく無人駅の多い路線ですが、明治・大正期は大阪と東京を結ぶ主要な線路でした。当時の技術では沼津と熱海の間にトンネルを通して電車を走らす技術がなく、沼津から国府津に電車を迂回させて走らせていました。
1901年(明治34年)には沼津ー国府津間の複線化が完成し本格的に運用されると、御殿場駅は富士山への登山客で賑わい、周辺の駅も賑やかになりますが、箱根の山を迂回するこのルートは急勾配があり、物資の運搬には支障がありました。
そしてその問題を解決するために、沼津と熱海を開通させる丹那トンネルの工事が始まり、1934年(昭和9年)にトンネルが完成すると、御殿場線は大阪と東京を結ぶルートから外れ、経済的にも廃れることになりました。1944年(昭和19年)には、戦時中の物資不足から、御殿場線は不要な路線とされ単線化され、レールなどの資材は回収されて他の路線の建設に転用されました。
現在でも車窓から、各所に点在している廃線跡を見ることができるそうです。
南御殿場駅
南御殿場駅辺りからでしょうか、トンネルがなくなり平地になるので、富士山がより大きく、長く見えます。
谷峨駅から約1時間電車に乗り、10時過ぎに沼津駅に着きました。
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