【春の青春18きっぷ】金谷・島田散策後半 ふじのくに茶の都ミュージアムの日本庭園と蓬莱橋を歩く日帰りの旅

静岡県
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ふじのくに茶の都ミュージアム

前回の続きです。両脇に茶畑が広がる金谷お茶の香通りを歩き、ふじのくに茶の都ミュージアムに着きました。

エントランス

ライブラリーを通って2階に上がると受付があります。

受付近くにある窓から見える景色。博物館には日本庭園や茶室があり、別料金で茶道体験ができます。

2階で入館料(300円)を払うと、緑茶を一杯いただけますが、コロナの時期だったので遠慮しました。2階から3階に上がり、展示物を見ていきます。館内は撮影可と不可のものがあります。

3階には世界のお茶の展示があります。

お茶の花や種子、山茶花や椿がお茶の仲間であることが知れます。

世界のお茶の種類の展示。緑茶や紅茶の他に黒茶は割と知られていますが、青茶や白茶、黄茶なんかは知らない人が多いのではないでしょうか。僕は知りませんでした。中国には数百種類のお茶があり、紅茶の種類を合わせると世界で1000種類ものお茶があるといわれています。

発酵の具合によって種類が異なり、緑茶→白茶→黄茶→青茶→紅茶→黒茶の順に発酵の度合いが高くなっていきます。国茶は微生物によって発酵させたお茶で、長期保存が効き、ビンテージワインのように年代ものには高い価格がつくのだそうです。

右下が黒茶。圧縮して塊にしたものに包装紙で包んでいます。その左は花茶。寒茶とは寒の時期(1/3~2/3)に採ったお茶の葉のことを言います。ビタミンCが多く、寒茶を飲むと夏風邪をひかないと昔から言われています。

日本茶の展示

同じ緑茶でも煎茶と玉露や玉緑茶では製造工程が違うことが分かります。

下の写真の上段の真ん中にあるのは、愛知県のお茶「足助(あすけ)寒茶」。1月上旬~2月上旬の寒の時期に採るお茶です。枝ごと採って葉っぱのまま出荷した、珍しいお茶です。寒い足助地方の茶葉は、寒さから身を守るために栄養を蓄え、葉が肉厚になり、ビタミンCが多く寒茶を飲むと夏風邪をひかないと昔から言われてきたのだそうです。

右下のはボテボテ茶。島根など山陰地方の茶飯に使われたお茶です。奥出雲のたたら製鉄の労働者や漁業に出る人が重労働に耐えられるよう、食されたお茶といわれています。お米や赤飯、黒豆や高野豆腐、漬物などを入れて、立ったまま口に流し込む労働食だったようで、飢饉などの時の非常食としても食されたそうです。白いのは茶花で、花を葉と一緒に煮て飲む珍しいお茶です。島根県のアンテナショップに売っていることがあるようです。

下の右のは美作(みまさか)番茶。番茶には珍しい行程のものが多いらしく(特に中国地方)、美作番茶は8月の暑いなか葉を採って鉄釜で煮て、炎天下のなか天日干しをし、煮出した煮汁を葉にかけて干して作るのだそうです。煮汁をかけることで、葉に艶が出て風味が増すのだそうです。

そして上の写真にあるバタバタ茶や阿波番茶、碁石茶は、日本茶でも珍しい後発酵茶(こうはっこうちゃ)と呼ばれる発酵茶です。普通のお茶は大半が不発酵茶で、酵素の働きを止めて葉が発酵しないようにして作られていますが、日本には乳酸菌などの微生物によって発酵させた四種類の後発酵茶があります(上記の3種類の他に愛媛の石鎚黒茶があります)。

烏龍茶は半発酵茶、紅茶は全発酵茶なので、烏龍茶も紅茶も発酵茶なのですが、どちらも茶葉に含まれる酵素を発酵させています。それに対して日本の後発酵茶は、葉そのものの酵素を発酵させているのではなく、外から菌を付けられて発酵している点に、烏龍茶や紅茶との違いがあります。味は苦みが少なく酸味が強いです。別館で後発酵茶の飲み比べの記事があるので、興味のある人はこちらを見てみてください。

世界のお茶の展示を見ましたが、見応えのあるいい展示でした。世界には様々な種類のお茶があり、日本だけでも色々なお茶があることが知れました。

紅茶を含めるとお茶はインドやケニア、スリランカが中国に次いで生産が多いことが分かります。インドとスリランカはイギリスの植民地時代に中国の紅茶が持ち込まれ栽培され、ケニアは1900年代になってから紅茶がイギリスの資本で栽培されました。ベトナムはフランスの植民地時代に同様に栽培されましたが、現在は緑茶の生産が増えています。

国民一人当たりの消費量の展示も面白く、イギリスや中国よりもトルコ・アフガニスタンが多いというのも興味深いものがあります。トルコは紅茶(チャイも紅茶)を飲み、アフガニスタンは地域によって紅茶と緑茶を飲むそうです。

茶器の展示

18世紀のドイツマイセンのティーカップ

1700年代に既に、現在と変わらない薄いカップソーサーができていたと思うと、ヨーロッパの磁器の製造技術がいかに高かったかよく分かります。

中国の喫茶店

3階の世界のお茶の展示を観た後は2階の展示室に移動します。階段から庭園が見えます。

後ほど、博物館の展示を観た後に歩きますが、安土桃山時代~江戸時代初期の大名であり茶人だった小堀遠州に所縁のある庭園のようです。

茶道を体験できる茶室が園内にあります。

博物館に来る前に見た粟ヶ岳(あわがたけ)

さて2階に下りて、日本のお茶・静岡のお茶の展示を観ます。こちらでは緑茶の栽培や製造工程をビジュアルで知ることができます。

静岡茶と一口に言っても、その産地は複数あり、牧之原・掛川・天竜・川根・本山・清水・富士・清水と多岐にわたります。

お茶の木は葉が採れるようになるまでに苗を植えてから4年、安定した収穫ができるまで7年かかり、その後お茶っぱを採れる期間は30年~50年です。お茶の栽培には多くの病害虫が近寄ってきますが、化学合成農薬を使わずに駆除する様々な試みがなされているようです。

被覆といってお茶の葉を太陽光から遠ざけることで、苦みが少なく甘みのあるお茶ができ、20日ほど被覆すると玉露ができることも解説されています。被服の度合いを強くし(期間は14日と玉露よりは短くなりますが)、3重に被覆して作る白葉茶はアミノ酸が通常のお茶の3倍あり、旨味が強く渋みが少ないお茶なのだそうです。

玉露や碾茶の説明。碾茶は抹茶に加工されるもので、玉露と白葉茶の間の被覆具合で作られるお茶です。こういう展示を見ると、白茶や玉露など、普通のお茶(煎茶)と飲み比べてみたくなります。

被覆の度合いによって味が変わりますが、摘んだ後の焙煎によってもお茶の風味は変わります。こういう違いを実際に飲み比べて、体感できる日本茶専門店があればいいのにと思います。

お茶のブレンド。スーパーやお茶専門店で売られている緑茶は、色々な種類の茶葉をブレンド(合組・ごうぐみといいます)して売られており、1種類のみの茶葉で売られることはないのだそうです。知らなかったので、かなり新鮮でした。

静岡県の緑茶は1年に3回摘み取るのが一般的のようです。

茶草場農法の展示

茶草場農法とは、ササやススキを肥料として茶畑に投入する、肥料のない時代に編み出された農法です。現在ではそれが自然環境を保つものとして、世界農業遺産に認定されています。

茶畑の近くに、肥料となるササやススキの草地があるのは、他のお茶の産地には見られない特殊なものらしく、静岡県の掛川市・菊川市・島田市・牧之原市・川根町の4市1町で行われています。ササやススキの草場には絶滅危惧種を含め300もの植物があり、多様な生物が生育する場所なのだそうです。

2階の常設展では、お茶を作る時の手揉みの工程の展示と、静岡のお茶の歴史が撮影不可でしたが、そちらも面白い展示でした。

お茶の葉を手揉みして乾燥させる工程は、動画が流れていて、昔ながらの手揉み作業を知ることができました。動画を観ていたら係員の人が色々と教えてくれ、おかげで展示だけでは知れないことを色々と知ることができました。

手揉みは、現在は機械で行われていますが、昔ながらのやり方が一部で残されています。蒸籠に入れて4、5時間かけて蒸したお茶の葉を手作業で乾燥させる工程を、「手揉み」といいます。蒸したお茶の葉は90%以上が水分なので、それを乾燥させて水分を飛ばし、細胞を壊して形を整えていくのが「手揉み」です。2.5kgの蒸したお茶の葉は、昔は1貫(3.3キロ)だったらしいのですが、手作業で乾燥させると500gになるのだそうです。

2021年12月、川崎市立日本民家園にて

手揉みを行う時は、焙炉(ほいろ)と呼ばれる台を使いますが(撮影不可なので別の場所で撮った写真を載せています)、台の上には和紙が貼られています。和紙自体は柔らかいので、蒟蒻海苔や布海苔を塗って固くし、台の下に炭を置いて下から弱火で加熱してながらお茶の葉を乾燥させていきます。そのため、昔からお茶の産地には和紙の原料になる楮(こうぞ)が多く植えられていたのだそうです。調べてみると、焙炉というものはお茶だけでなく養蚕でも使われていたようで、養蚕が盛んな地域でも楮やみつまたなど、和紙の原料となる植物が植えられていたみたいです。

昔ながらの手作業でお茶の葉を乾燥させることで、機械では失われてしまう風味を保つことができるそうで、高級なお茶を作る時に手揉みが行われているのだそうです。手揉みによる高級茶の値段を聞いたら、去年は1kgが13万9千円の値がついたと言っていました。100gで約1万4千円です。通常販売されているちょっといいお茶は80g~100gで千円なので、どれくらい高価なものか分かります。

静岡県のお茶の歴史の展示も、知らなかったことが多くて見応えのある展示でした。江戸時代よりもっと前から静岡ではお茶の製造が盛んだったと思っていましたが、製茶業が興るのは明治になってからだと知りかなり意外でした。この辺りの静岡県の製茶の歴史は後に書きます(蓬莱橋のところで)。

「日本のお茶、静岡のお茶」の展示の隣には、「新時代のお茶」の展示があり、お茶を使った製品の紹介があります。

企画展示では、茶器の素材や産地の展示をやっていました。有田焼や常滑焼、九谷焼など、有名な伝統工芸品の展示があります。

個人的には静岡県の茶器も面白かったです。

徳川家康が晩年過ごした駿府があった静岡県には、焼物が江戸時代に発展しました。下の写真の赤いのが森山焼、真ん中が志戸呂(しとろ)焼、左が賎機(しずはた)焼です。

志戸呂焼は金谷地区で焼かれる焼き物で、小堀遠州が好みの器を焼かせた窯として知られています。森山焼は森町で焼かる志戸呂焼の流れをくむ焼き物で、賎機焼は静岡市の賎機山周辺で造られている焼き物です。3つの焼き物は、静岡駅の駿府楽市で売っていました。

急須を置く器(左)や、炭素を多く含む瓦素材でできていて、お茶の旨みと甘みを引き出す急須(右)など、面白いものもあります。

1階に下りるとミュージアムショップがあります。お茶やお茶を加工した食品だけでなく、天然緑茶の硬水やリップクリームなど、変わったものも置いてあります。

小堀遠州の庭園

博物館の展示を観た後は、隣接している日本庭園を歩きます。博物館だけでも300円の入場料は安いと思えるくらいの充実している展示ですが、庭園を見学することもでき、入場料は安過ぎるくらいです。

別途500円払えば茶道体験ができますが、コロナ禍なので断念します。

この庭園は、1619年(寛永6年)に退位した後水尾天皇の院御所の庭として造られた庭園を復元したものです。京都にある仙洞御所を復元した、池泉回遊式・舟遊式の庭園です。1634年(寛永11年)に江戸幕府が小堀遠州に命じて造らせた庭園のようです。

それほど広くないので、短時間で池や島、橋などを一通り鑑賞することができます。

コンクリートが見えるところなど、現代の建築の中に昔の作風が感じられる、ちょっと変わった日本庭園です。

池に浮かぶこの小屋は「向峯居(こうほうきょ)」というそうで、月を鑑賞する場所のようです。

岩の上に立つ柱が何とも独特の景観です。

この建物には茶室から入ることができます。茶室の入口には音声ガイドを無料で貸し出しているので、予備知識がなくても楽しむことができます。

音声ガイドによると、この茶室は入口から床の間にかけて少し下り坂にしていて、部屋が広く見えるように造られています。

現在残されている絵図面を基に、京都の岩清水八幡宮の滝本坊と伏見奉行屋敷の一部を復元した茶室です。

棚や障子の取手や欄間の模様が特徴的です。

池に浮かぶ小屋に繋がる廊下

向峯居

向峯居から見える景色。手前には洲浜と灯籠、奥には護岸の岩山が見えます。

茶室では茶道体験も受け付けています。

以上、ふじのくに茶の都ミュージアムでした。博物館の展示が充実していて日本庭園や売店も楽しめる、いい博物館でした。博物館の2階の体験コーナーでは、日本茶の淹れ方を教わったり、お茶のブレンドをして試飲できたり、石臼で抹茶を挽いたりと、いろいろな体験ができます。入館料は300円と安く、金谷駅から茶畑を観ながら散歩して、蓬莱橋を渡って島田駅に向かう散策がおすすめです。

基本情報

開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週火曜日、年末年始、臨時休館の場合あり
入館料:300円
茶道体験:500円
アクセス:JR金谷駅より、バス・タクシーで約5分(約2km)、徒歩約25分(約1.5km)。
(2021年4月現在)

牧之原公園

博物館を出た後は、近くにある牧之原公園に向かいます。

綺麗な夜景を楽しめるスポットです。

牧之原公園からの夜景は「日本夜景遺産」に登録されているそうです。

園内には、お茶の種子を大陸から持ち帰ってきた栄西禅師の像があります。

平安時代末期~鎌倉時代にかけて、宋で禅宗を学んだ栄西が、臨済禅とともにお茶の種と喫茶法を持ち帰ってきたと伝えられています。その時期に九州の肥前・筑前からお茶の栽培が始まり、京都の宇治でも定着し、宇治茶が栽培されるようになったいわれています。

それより前に、奈良時代に遣唐使によって大陸からお茶は伝えらましたが、当時は薬や修行中の睡魔を払うためのものでした。お茶の葉は栽培されていたそうですが、小規模だったと思われ、本格的に栽培されて飲茶が普及するのは鎌倉時代になってからだとされています。

金谷駅に戻ります。

博物館で見た茶草場農法を思わせる光景。ササやススキを肥料として入れた跡のように思えます。

当初の予定では、博物館から茶畑を見ながら蓬莱橋まで歩く予定でしたが、1時間以上歩くので辞めました。寝不足で歩くのが辛かったので(コロナ禍で飲食を控えていたこともあり)、一旦金谷駅に戻って、電車で島田駅に行き、そこから歩いて蓬莱橋に行くことにします。

ふじのくに茶の都ミュージアムから金谷駅までは25分ほどです。下り坂なので楽です。

平地だけでなく、急な斜面にも茶畑があります。

防霜ファンのスイッチでしょうか。

金谷駅から島田駅に向かいます。隣の駅なので乗車時間は4分ほどです。

蓬莱橋

島田駅から市街地を20分歩き、蓬莱橋に到着しました。橋の入口には勝海舟の像があります。

橋の手前の小屋で通行料100円払います。小屋の右手には、蓬莱橋897.4茶屋というお土産屋があります。蓬莱橋の長さの897.4mと厄なしをかけて「やくなし茶屋」と呼ばれています。

897.4mという長さは、木造歩道橋では世界一の長さで、ギネス認定されています。

木造歩道橋ですが、橋脚はコンクリートが使われているそうです(橋の真ん中あたりでしょうか)。

橋が架けられたのは明治12年(1879年)。映画やドラマでロケ地にもなる、有名な橋として知られいます。

所々修復されていて、新しい板木があります。橋の柵が低いので歩いていると結構怖いです。

この橋が造られた歴史を少し紹介します。

この橋が造られたのは、1879年(明治12年)。地元の住民たちの要請により、共同出資で造られました。明治維新により徳川幕府がなくなると、徳川慶喜を護衛していた剣術に長けた幕臣たちが、大井川の右岸にある牧之原を開拓し、お茶を作り始めました。職を失くした士族の新しい就職先として、牧之原でお茶作りが始まりましたが、それを勧めたのが勝海舟といわれています。

また、江戸時代に大井川の橋渡しをしていた川越人足も、江戸幕府がなくなると失業してお茶作りに従事するようになります。江戸時代は他国の大名が江戸に攻め入らないように、大井川に橋を架けることも船で移動することも禁止し(船は小舟で参勤交代で移動するときは認めました)、川越人足が橋渡しをしていましたが、明治になると船での渡航が解禁されました。

それらの失業対策として、当時、生糸の次にアメリカへの輸出品として人気があったお茶の栽培が牧之原で行われ、茶の木を育成したり、お茶の葉を加工したりと、製茶業が盛んになりました。しかし大井川を小舟を移動するのは危険が伴い、また効率が悪く不便だということで、製茶業に従事する住民が橋の建設を望み、明治12年に造られるようになりました。

しかし、蓬萊橋は木橋のため、戦後に橋脚がコンクリートになるまで、大井川が増水するたびに被害を受けたようです。また、茶製業の方も、慣れない仕事に多くの人が苦労し、生活できるようになるまでに長い年月がかかったようです。

現在でも、旧市内の農家が対岸の茶園を管理するためにこの橋を利用しているそうです。

左側

右側

対岸

江戸時代の大井川は東海道の難所の一つとして知られ、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と詠まれました。橋がなく流れが急な川で、渡るには川越人足の肩や連台に乗るしか方法がありませんでした。雨で増水ともなれば川留めになりますが、最高で28日間川留めが続いた記録が残ります。前半の記事でも書きましたが、川留めのおかげで大井川の両岸の金谷宿と島田宿は参勤交代の武士や伊勢参りなどの旅人で賑わいました。

こうした歩いてみると、昭和になってから河川工事が行われる前はさぞかし暴流だったのか、想像できます。

対岸に着きました。

橋の対岸には散策路があり、長寿祈願の鐘や七福神像などのご利益ポイントが点在しています。奥に進むと、牧之原台地の茶畑があり、中條金之助(幕臣で茶畑を開墾した人)の像があります。

撮影スポット

島田駅の方の岸に戻ります。

蓬莱橋から20分ほどかけて島田駅に戻り、静岡駅に向かいます。前半の記事で書きましたが、島田駅の周辺には和菓子屋が沢山あるので、帰りにお土産に買っていくのがおすすめです。

この時は空腹で体力がなかったので、立ち寄りませんでした。

途中、静岡駅で降りてお土産屋を覗きます。グランドキオスクは食べもの関連のお土産が充実しています。

駿府楽市は、静岡県の工芸品が充実しています。ふじのくにお茶の都ミュージアムで展示されていた(企画展)、 森山焼や志戸呂焼、賎機焼も売っていました。

静岡駅でお土産を買い、東京に戻ります。コロナ禍でのお店で飲食を控えた日帰りの旅で、空腹で思ったほど歩けませんでしたが、色々なことを知れました。今回はお茶について知る旅でしたが、江戸時代の宿場町や明治時代の製茶業の歴史も知ることができました。興味のある人は、金谷駅から散策して蓬莱橋を渡って島田駅に行く散策ルートがおすすめです。

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