【春の青春18きっぷ】金谷・島田散策前半 牧之原台地の茶畑でお茶にふれる日帰りの旅

静岡県

今回は静岡県の金谷と島田の歴史を紹介していきます。金谷宿と島田宿は、大井川の両岸にあった東海道五十三次の宿場です。江戸時代は旅人や参勤交代などの大名行列で賑わいましたが、明治になると茶製業が盛んになり牧之原台地をはじめ茶畑が作られ、緑茶の一大産地となりました。今回は、牧之原台地の茶畑とふじのくに茶の都ミュージアムに行って知った金谷・島田の歴史を書いていきたいと思います。記事は前半と後半に分けています。

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旅の行程

2020年3月、青春18きっぷを使って日帰りで静岡県の金谷と島田を散策しました。金谷駅から牧之原台地の茶畑を歩いて、ふじのくに茶の都ミュージアムに行き、島田駅に移動して蓬莱橋を歩きました。コロナが広がり始めていた時期だったため、飲食をしない日帰りの旅となりましたが、お茶のことをいろいろと知ることができました。

5:49新宿発
9:53金谷駅着
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10:03巖室神社
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10:20旧東海道金谷坂石畳
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10:45牧之原台地の茶畑
※ここまでが前半の記事
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11:20お茶の郷ミュージアム
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13:50金谷駅発
13:54島田駅着
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14:15逢来橋
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15:13島田駅発
15:39静岡駅着
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静岡駅のグランドキオスク・駿府楽市で買物
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16:30静岡駅発
19:53新宿駅着

新宿駅から金谷駅へ

5時49分の電車に乗り新宿駅を出発し、静岡県の金谷駅に向かいます。

旅をしたのは3月中旬で、連日コロナウイルスの蔓延が騒がれていますが、早朝の新宿駅のホームには夜中遊び終えた若者たちが普段と同様に沢山いました。この頃はまだコロナは若者には関係ない病気という認識が強かった、そんな頃でした。

新宿から品川、熱海、静岡で乗り換えて、10時前に金谷駅に到着です。乗り換えが多い煩わしさが、東海道本線の特徴です。車内は品川ー熱海間や三島-静岡間も乗車客が多く、テレビで騒がれている割にはコロナの影響がそれほど感じられない状況でした。

金谷駅から江戸時代の石畳が残る旧東海道に向かいます。駅の右手には大井川鉄道の駅があります。

改札近くにある幟(のぼり)には金谷茶の文字が。静岡茶にはその地名ごとにいろいろなお茶があります。

巌室(いわむろ)神社

石畳に向かう途中偶然見かけたので、立ち寄って参拝しました。金谷駅の近くにあります。

境内の入口には満開の木蓮が植えられています。

巌室神社は、地元で「姫宮さん」と呼ばれ親しまれている神社です。創建時(1200年頃らしいです)から木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)を祀る神社であったため、後に巌室神社と呼ばれるようになってからも、当時の名残で姫宮さんと呼ばれているのだそうです。

木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)は日本神話の中でも絶世の美女とされる女神で、かぐや姫のモデルとなった神様です。ご利益は主に火難除け、安産・子授けがあり、その他、農業、漁業、織物業、酒造業、海上安全・航海安全などに関する御祭神とされています。

後から知りましたが、こちらの神社では毎年10月28日に鎮火祭が行われます。神官が太刀で焚き火を切り水をかけて火を鎮め、鎮火した炭を火災予防のお守りとして参列者に配る神事が行われ、無形民俗文化財に指定されています。

江戸時代の享保~元文年間(1700年代)金谷宿内で大火が相次いだことから、当時の神官が始めたと伝えられていて、鎮火祭の起源は奈良時代の宮中祭祀に求められ、「ほしずめのまつり」ともいわれているそうです。

拝殿

隣には稲荷神社があります。

神社を参拝してからは、旧東海道の石畳に向かいます。

金谷駅から7、8分ほど車の往来のある道路を歩きます。

坂を登ると富士山が見えますが、遠目で思ったより大きくありません。

途中、石畳の案内があるので右に曲がります。

ここから石畳が始まりますが、右手に無料の展示室と石畳茶屋があるので、寄ってみます。

石畳茶屋の無料展示室

中には金谷宿の展示があり、調度品や食事、駕籠や傘から当時に宿場の様子がうかがえます。

東海道五十三次の24番目の宿場町であった金谷宿は、大井川の右岸(京都側)にあり、多くの旅人たちが川越人足の肩や輦台(れんだい)に乗って大井川を渡りました。雨が降り川の水が増水して川越が禁止されると、多くの旅人が金谷宿で足止めをくらい、賑わったそうです。

資料館の展示スペースには島田の祭りを紹介しています。

島田宿は、東海道五十三次の23番目の宿場で、金谷宿の対岸、大井川の左岸(京都側)にあった宿場町です。江戸時代は防衛上の理由で大井川に橋が架けられなかったため、長雨の時には金谷宿と同様に賑わいました。そのため様々な東海道の名物が旅人に親しまれてきましたが、和菓子は今でも当時の名残として知られています。

当時の旅人は1日に40~50kmを歩くことがあったそうで、エネルギー補給としても和菓子を重宝しました。島田宿の付近には旅人をもてなす茶屋が多く建てられてましたが、江戸時代が終わり明治時代になると製茶業が盛んになり、お茶請けとしての茶菓子の需要が高まりました。現在でも島田市内には20店舗以上もの和菓子屋が点在し(2020年時点)、当時の食文化を残しています。

そんな島田では多くの祭りが開催され、4月には金谷茶まつりが、9月には島田髷(まげ)まつりが、そして10月には3年に一度の島田大祭が行われるようです。

資料館の隣には食事のできる休憩所があります。

一服したい所ですがコロナ禍なので今回は遠慮しておきます。

入口や建物の雰囲気のいい食事処です。

旧東海道金谷坂の石畳

無料展示室を観た後は石畳の金谷坂を上って、牧之原台地に向かいます。

金谷坂の石畳

30mだけ残された江戸時代の石畳を、平成3年に町民の協力を得て430mの長さに復元した石畳です。

歩いてみると、でこぼこしていて、注意しないとつまづきそうになります。足を取られますし、下りで走ったら足をくじきそうな道です。歩きやすい石畳ではありませんが、江戸時代はこれくらい凸凹していた方が歩きやすかったのでしょう。

江戸時代はこの金谷坂は急坂なうえに「あおねば」と呼ばれる粘土層が露出しており、雨が降るとぬかるみ、大名行列や旅人が大変苦労したそうです。そこで江戸時代末期に、「山石」と呼ばれる牧之原台地に堆積していた石を敷き詰めて、歩きやすい道を整備したとのことですが、その長さは約400間(約720m)あったそうです(島田市観光協会のHPを参照)。

明治以降になると、電話線や電線等の敷設により石が掘り起こされ、コンクリートで舗装されたため、元の面影は失われてしまったそうです。そして平成に入り、町おこしの事業として、約7万1000個の「山石」が430m敷かれ、江戸時代の石畳が復元されました。この石畳は市指定文化財に指定されています。

東海道の石畳は、現在では箱根峠と中山道十曲峠の3か所しか残されておらず、国内でも貴重なものなのだそうです。

石畳の脇には水が流れ、花が咲いていたり、杉並木があったりと、雰囲気のいい道です。

すべらず地蔵

町民の手により建てられた六角堂で、金谷坂の石畳が滑らないことから、滑らず転ばずにと、受験や商売祈願がされています。

石畳の両脇に立てられている幟は、奉納されたものです。

すべらず地蔵を少し先に行った所には、立派な樹がありました。

金谷坂の石畳を上ると、牧之原台地の茶畑が広がる高台に着きます。

牧之原台地の茶畑

牧之原台地を1kmほど歩き、お茶の博物館に向かいます。石畳を上って左の方向です。金谷お茶の香通りという道を歩きます。

台地の高台には茶畑に挟まれた道が続き、左右にお茶を見ながら歩くことができます。

間近に茶畑を観ることができ、かなり新鮮です。

訪れたのは3月中旬ですが、まだ新芽が出ていない時期です。

この後に行くお茶の博物館で知りましたが、1月~3月は新芽が出るまでの休眠・栄養補給の期間で、新芽が出るのは4月からです。立春から88日目に当たる八十八夜、大抵GWあたりになりますが、に新芽を摘み取り、新茶として出荷します。

ですので、4月の後半あたりに散策に来れば、新芽が初々しく生えた茶畑を観ることができるようです。

新芽を摘んだ後は5月に肥料を与えて6月に再度摘み取り、二番茶として出荷します。梅雨入りの時期なので天候を見極めながらの作業となるようです。そして9月中旬には三番目の茶摘みが行われ、10月に翌年の新茶の準備を始め、お茶の葉を摘み取るための「刈り面」を整え、土壌の検査をしたり肥料を撒いたりするというのが、一連の流れとなります。

11~12月にはお茶の花が咲き、白いつぼみに黄色い花弁の綺麗な花を観ることができるようです。

左手には大井川が見えます。

大井川下流の西岸にある牧之原台地は、日本有数のお茶の産地です。牧之原台地は、石が多く水はけが良く、弱酸性の赤土です。日照時間が長く温暖な気候であることから、良質なお茶の栽培に適している土地です。

現在、静岡県のお茶の生産量は、日本のお茶の生産量の約半分です。静岡県のお茶の産地は牧之原台地の他に天竜川や安倍川の流域、富士山麓にあり、産地ごとに本山茶、掛川茶、川根茶などのブランドがあります。

静岡県で生まれた「やぶきた」は優良品種として知られ、寒さに強く根がつきやすく、日本茶の発展に大きく貢献し、今では全国で栽培されています。

防霜ファン

一番茶の新芽は寒さに弱く、霜が降りると凍ってしまい、味が落ちたり摘み取れなくなってしまいます。そのため霜が降りないように上空の温かい空気を新芽に送り、霜が発生しないようにしています。夜間は放射冷却により地表の温度が下がり、上空に温かい空気が上がっていくので、その空気を送ってお茶の周りの温度が下がらないようにしているのです。

 

博物館に近づいてきました。

金谷駅からバスが出ていますが、本数があまりありません。

金谷駅から、神社に参拝して展示室を見て、写真を撮りながら石畳や茶畑を歩いたら1時間半かかりましたが、博物館のパンフレットによると金谷駅から寄り道しなければ25分で歩いて来れるようです。

場所はこの辺りになります。

後半につづく

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