前回の続き(日本で最初の官寺・四天王寺に参拝-日本一周補完の旅④)です。
ジャンジャン横丁
てんしばを通り天王寺動物園を横切り、
高架下の脇道に入ると、
新世界の南東部の入口、ジャンジャン横丁に着きます。
全長180m、道幅2.5mの商店街です。
一見シャッターの目立つ寂しい通りですが、歩いていると将棋倶楽部や的当てのお店、ゲームセンターや居酒屋、立ち飲み屋や串カツのお店、安い立ち食いそばのお店が並び、地元の雰囲気を楽しめます。
治安の悪い場所だと思っていましたが、それも1990年代までの話で、今では全くそういった雰囲気はありません。かつては、1958年(昭和33)までは、飛田遊郭があり、ジャンジャン横丁は飛田遊郭と新世界を結ぶ通りで、観光客が気軽に一人で歩くような場所ではなかったのだそうです。
通天閣
大阪らしいコテコテのカラフルな看板のお店が目に入ります。道頓堀に比べてレトロな感じがします。
ビリケン様の像も至る所に置いてあります。
そしてこちらが通天閣が見える撮影スポットです。
この辺りは明治時代に博覧会が開催された後、跡地に健全な娯楽地とすべくパリとアメリカを連想させる一大歓楽地「新世界」が整備されました。
先ほど訪れた、大阪くらしの今昔館で知りましたが、通天閣はフランスの凱旋門とエッフェル塔を合わせた形をしています。
通天閣の北側(写真の奥)はパリ風に放射状に道が造られ、専門店が並んでいました。中央の区画(写真のこの辺り)はニューヨークの海浜リゾート地が真似られルナパークという遊園地や芝居小屋、劇場などの興行館が建てられていました。そしてジャンジャン横丁の辺りでしょうか、南の区画には「ラジウム温泉」の名で親しまれた、ドイツ風の温泉場や料亭が建設されていました。
開業した1912年(明治45)でしょうか、ルナパークのロープウェイが通天閣と繋がっていたそうです。現在の通天閣は戦後に再建された2代目で、大正期のものよりも一回り大きくなっています。
上は展望台になっています。
ルナパーク時代に南の区画に建てられた劇場の多くは現在も残り、営業しているのだそうです。
近くにあった市場
少し中に入って歩いてみましたが、シャッターが閉まっていて寂しい場所でした。
こんなガチャガチャも
新世界を歩いた後は、恵美須町駅から地下鉄に乗り、道頓堀に向かいます。
一駅先の日本橋駅で降ります。
一駅しか離れていないので当初は歩く予定でしたが、時間が大分押してしまったので電車を使いました。
次回に続く
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