2019年10月に、お得な切符で知られるサンキューちばフリーパスを使って、1泊2日の旅をしました。前回に続き今回も千葉県を開拓しようと思い、千葉の有名な観光名所で知られる水郷の町佐原と成田山新勝寺に行き、勝浦で一泊していすみ鉄道の大多喜に行きました。
旅の行程
1日目は、観光客がいない8時から水郷の町佐原を散策します。有名な観光地ですが、今回は月曜日ということで資料館や博物館が休みなので、町並みを一通り見ておく程度の散策になりました。佐原の後は10時過ぎに成田駅に向かい、成田山新勝寺に参拝し、参道を見て歩きます。成田山新勝寺では護摩焚きに参加したり境内の庭園を歩き、参道にある成田羊羹資料館や房の駅に行きました。
その後は外房線で勝浦駅に移動し、くろえむ荘という民宿に泊まります。この宿は、海の幸をリーズナブルに堪能できる民宿として知られていて、評判のいい宿です。そして一泊した翌日は、勝浦の街を少し歩いてから、大原駅に向かい、いすみ鉄道に乗って大多喜に行きます。大多喜城を観て帰るという行程でした。
今回も記事は場所ごとに分け、4つの記事から成っています。
1日目 5:42新宿駅発 ↓ 7:58佐原駅着 ↓ 古い町並みを散策 ↓ 10:11佐原駅発 ↓ 10:41成田駅着 ※ここまでが記事① ↓ 成田山新勝寺と参道を散策 ↓ 13:14成田駅発 ※ここまでが記事② ↓ 15:36勝浦駅着 ↓ 16:05民宿くろえむ荘にチェックイン
2日目 8:30くろえむ荘チェックアウト ↓ 8:45遠見神社に参拝 ↓ 9:28勝浦駅発 ※ここまでが記事③ ↓ 9:42大原駅着 ↓ 10:39大原駅発 ↓ 11:09大多喜駅着 ↓ 11:30大多喜城 ↓ 12:34大多喜駅発 ↓ 15:47新宿駅着 ※ここまでが記事④
新宿駅から佐原駅へ
5:42新宿発の千葉行の電車に乗り、佐原駅に向かいます。
今回も通勤ラッシュを避けて早めの出発となりました。
千葉駅で総武線成田経由銚子行に乗り換え、
7:58に佐原駅に到着です。
前回と同様にサンキューちばフリーパスを使っての移動です。
佐原散策
午前8時。佐原の町を散策します。駅舎へ江戸時代のイメージのある和風の建築になっています。
駅から真っ直ぐ進むと諏訪神社の石の鳥居が見え、左に左折します。
車の交通量は多いですが、一方通行なのでさほど気を遣わずに歩けます。真っ直ぐ進み、二股に分かれている道を左折します。
香取街道
すると、古い町並みが現れはじめます。駅から10分ほどです。突き当りの円城寺本店は何のお店か分かりませんが井坂屋は金物屋のようです。
紀の国屋はインテリア、虎屋は和菓子のお店。
真っ直ぐに進むと左に有名なお蕎麦屋・小堀屋本店が見えます(木の看板)。左は奥は福新呉服店。この通りは香取神宮に繋がる道で、有形文化財の建物が並びます。
小堀屋本店は昆布が入っている黒切りそばが有名で、230年以上続く老舗です。
その隣は耳かきのお店、右端がさわら十三里屋でスイートポテトやお芋の入ったどら焼きなどを販売しているお菓子屋のです。正文堂と書かれた看板が残されていますが、江戸時代は本やだったそうです。
橋に出ると、川の両側を保存された昔の家屋が軒を連ねます。中村屋商店は現在は和雑貨のお店で、3階まで店内を見学することができるそうです。
小野川沿い
醤油の老舗店の正上醤油店の方を歩いてみます。 先ほどの道から橋を渡って左に曲がります。
この小野川を真っ直ぐ進むと利根川に繋がります。この辺りは、小江戸と呼ばれる江戸の風景が残る場所で保存地区とされています。
川の岸には「だし」と呼ばれる、船が横づけした場所が残されていています。
船で運ばれた商品はだしから陸に上げられ、目の前にある商家に運ばれました。最盛期はだしが180ヵ所以上あったようです。
反対側(来た道の方)。右のビルの手前にあるのが、佐原で一番古い蔵とされている油惣商店。
正上醤油店
そしてこちらが正上醤油店。寛政12年(1800年)創業の醸造業のお店です。油屋から始まり醤油屋、佃煮屋に変わっていったようです。
佐原は水運によって栄えた町です。元々城下町でも門前町でもない土地でしたが、利根川水運が発達して江戸と銚子を結ぶ船の往来が頻繁になり、沿岸に貨物の中継地点である河岸(かし)が多くできるようになりました。
それらの地域的な商品流通地を統合したのが銚子や佐原で、銚子では漁業が、佐原では醸造業が栄えました。銚子で積まれた米や干鰯(ほしか)、醤油やお酒などが江戸に運ばれ、また江戸からも荷物が送られ、商品の集荷・積出が盛んになりました。
正上醤油店の店の前のだしにはかつての醸造業を思わせる陶器の壺があります。
現在は正上醤油店だけですが、江戸時代は14、15件の味噌・醤油の店があったそうです。
そしてこちらは佃煮屋・いかだ焼本舗正上。奥の白い蔵も正上醤油店の蔵。
2階建ての蔵は明治期に造られたようです。
いかだ焼本舗正上は戦後に醤油を使った佃煮が人気になり、現在もいかだ焼が人気でお土産におすすめです。ワカサギを焼いて甘辛風に煮て串で刺した形が筏に似ているから、そう呼ばれるようになったそうです。
対岸に渡って折り返します。
木の下旅館
舟運の舟人や行商人を泊めた船宿
利根川沿いや小野川沿いには江戸時代から舟人や行商人、観光客が泊る宿が沢山あったそうです。
佐原には成田不動や香取・鹿島の両大社に参詣する文人や墨客の往来も頻繁で、参詣者が宿泊する旅籠(はたご)も点在していたようです。
町並み観光案内所
佐原NIPPONIA(ニッポニア)。古民家をリノベーションしたホテルです。
先ほどの中村屋商店に戻り、
対岸に渡ります。
この通りにも有形文化財の建物が並びます。
休憩所
伊能忠敬の旧宅
まだ営業していませんでしたが、無料で見学できます。
日本地図の作成に大きな貢献をした伊能忠敬は、九十九里生まれで17歳の時に婿養子としてこの地にやって来ました。醸造業を商う伊能家で30数年間過ごして商売の立て直しをして、49歳で隠居して50歳で江戸の町に出て、自分より若い先生から測量を学びました。
そして55歳から北海道をはじめ全国に出かけ、71歳まで10回測量の旅をして歩いた距離は地球を1周したのと同じ4万キロ、その日数は3700日といわれています。73歳で亡くなりその3年後に地図が完成しました。
伊能忠敬の旧宅は国の史跡に指定されていて、土間や畳敷きの帳場(商いをしていた所)、炊事場や測量の道具などを見ることができます。敷地は結構広く、主屋や用水路、銅像があります。
伊能忠敬の旧宅の近くには船乗場があり、ここから利根川に向かって舟下りをすることができますが、この日は台風の後で増水していました。
対岸に渡る橋はジャージャー橋として知られている橋です。
9時~17時まで30分おきに約5分間橋の下から水が流れるので、ジャージャー橋と呼ばれています。
この橋は元々人が通るものではなく、用水を対岸に送るための橋でした。
この橋を渡った水は伊能忠敬の旧宅を通り田畑に送られました。
伊能忠敬の旧宅の向かいには、伊能忠敬記念館があります。
隣にあるのが、東京バンドワゴンの看板が目立つカフェ
ドラマに使われた看板が残されています。
伊能忠敬記念館
伊能忠敬の生涯や実際に造った地図が展示されています。
感想
成田山に向かう途中急ぎ足で寄ってみましたが、佐原は見どころのある町でした。次回はお店の空いている日中にゆっくり散策したいと思います。小野川沿いには古い庄屋が並び、有形文化財の庄屋が8件あり、今でも営業している店もあるようです。舟下りをすると当時の様子がより身近に感じられそうです。
佐原は関東で一番早く国の重要な建造物の保存地区になった場所なのだそうです。城下町でも門前町でもなかったこの地が水運の町として発展したのは、幕領や旗本領が入り組み領主権力の集中が比較的弱かったことに関係していて、民間の自由な経済活動があったからだといわれています。
佐原では年に2回、7月の祇園祭と10月の秋祭が行われます。関東三大祭りの一つとして知られている佐原の大祭では、高さ9mもある山車がかき回され、特徴的な佐原囃子を聞くことができます。小野川沿いに植えらえている柳がどれも川の方を向いているのは、山車が通るからだといわれています。
祭りを観に佐原に足を運ぶのもいいのかもしれません。
成田駅へ
佐原を散策した後は、JR成田線で成田駅に向かいます。
乗車時間は30分
ここから参道を歩いて、成田山新勝寺に向かいます。
次回に続く
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