【旅4日目】よみがえりの聖地熊野へ 熊野詣1日目

日本一周

紀伊勝浦駅のビジネスホテルで目を覚まします。旅4日目は熊野大社に参拝します。世界遺産で知られる熊野三山は、本宮大社・速玉大社・那智大社の3つの大社からなります。1日では回り切れないので、京は本宮大社と速玉大社に参拝します。今回の記事では両神社に加えて神倉神社も紹介します。

それでは本日の行程です。

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4日目の行程

8:00紀伊勝浦駅でバスのフリーパスを購入

8:30紀伊勝浦駅発
バスで熊野本宮大社へ

10:00熊野本宮大社前着
熊野本宮大社と大斎原(おおゆのはら)を参拝

14:30バスで那智駅へ
歩いて熊野速玉大社へ

15:30神倉神社へ

17:15紀伊勝浦駅へ戻る

7時半にビジネスホテルを出て紀伊勝浦駅に向かいます。リュックは宿に置いてきたので身軽に参拝できます。泊まったのは勝浦ブルーハーバー。駅から徒歩5分、1泊4500円のリーズナブルなビジネスホテルです。

勝浦港

日本屈指のまぐろの漁業基地として知られています。静岡の焼津漁港や神奈川の三崎漁港も有名ですが、勝浦漁港は生鮮まぐろの水揚高が日本一なのだとか。

紀伊勝浦駅に行き、熊野交通のきっぷ売場で「熊野交通フリーきっぷ」を買います。

3日間熊野三山を結ぶバスを乗り降りできるフリーパスです。値段は3,000円。

新宮駅から熊野本宮大社を往復するだけで元がとれるので、他の二つの神社のバス代がただになるようなものです。このフリーパスは紀伊勝浦駅の熊野交通の窓口と新宮駅の熊野交通の窓口で買えます。
※紀伊勝浦駅から串本駅方面の潮岬への路線は、2015年9月30日で廃線となっています。

 バスに乗って本宮へ向かいます。紀伊勝浦駅から、新宮駅を通過して本宮大社前へ行きます。所要時間は約1時間半です。

熊野川が見えます。下流は灰色でしたが、登っていくうちにきれいな緑色に変わっていきます。

工事で川が濁っていたのでしょうか。

上流に向かいます。

川の水もどんどん綺麗になっていきます。

バスは温泉街にも止まりますが、この辺りには3つの温泉があります。川湯温泉と渡瀬温泉と湯の峰温泉です。

旅の時には温泉には関心がなかったのですが、珍しい温泉街のようです。川湯温泉は、河原から温泉が湧き出る全国でも珍しい天然温泉で、70℃くらいのお湯を川の水で冷まして入る露天風呂が知られているようです。

渡瀬温泉は、昭和40年代にできた割と新しい温泉なのだとか。

湯の峰温泉は、開湯してから1800年の日本最古の湯と言われている温泉です。昔ながらの、湯の町の風情を感じることができる温泉街で、湯の筒という野菜や卵を温泉で茹でる場所もあります。お湯は90℃前後の高温が湧き出ていて、昔からこの土地の人々は温泉で食材を茹でているようです。旅館に泊まると温泉で茹でたしゃぶしゃぶや湯豆腐、おかゆを食べることができるそうです。

温泉街を過ぎ、本宮大社前へ到着です。紀伊勝浦駅から1時間20分くらいかかりました。

熊野本宮大社

鳥居をくぐり本宮大社にお参りします。

ここで熊野三山について少し書いておきます。

熊野三山
熊野三山は、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社の3つの神社のことをさします。古くから熊野は、「伊勢へ七度、熊野へ三度」といわれるほど、遠方から参拝者が訪れた人気の聖地です。2004年に世界遺産に登録されたことで、海外からも観光客が訪れるようになりました。

熊野古道は、熊野三山と修験道の吉野と真言密教の高野山の3つの霊場をつなぐ道で、祈りの道と言われています。古来より、この祈りの道を多くの参拝者が通ってきたのですが、それは熊野三山が貴賤男女の隔てなく、浄不浄を問わず、なんびとをも受け入れた場所であったからです。

「地の果て」「陸の孤島」とまで呼ばれる熊野三山が熱狂的な信仰を集めたのは、こういった歴史があったのです。3つの神社の参拝の順序は、熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野那智大社がよいとされています。

「よみがえりの地」といわれている熊野は「出発(たびだち)の地」とも言われています。熊野は神々が籠る霊場であり、訪れた人は魂が甦り新たな気持ちになります。それ故に「人生、出発たびだちの地」と言われています。

杉の並ぶ石段を上ると本宮です。

黒い烏が所々見られますが、この烏は「八咫烏(やたがらす)」といわれている三本足の烏です。日本サッカー協会のシンボルとしても知られていますが、日本書紀・古事記の「神武東征」という物語に登場する烏です。神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになっています。

拝殿

参拝の順序

拝殿の近くにも手水舎があります。

宝物殿

宝物館は展示が少なく見所のある場所には思えませんでした。これは熊野本宮大社が文明年間(室町時代)と永禄年間(戦国時代)の大火災で社殿とともに宝蔵や文庫が消失してしまっているためです。明治22年には大洪水が起きて現在の場所に移っていますが、災害の度に貴重な資料や宝物が紛失しているので、展示品が少ないのです。それだけに現在展示されているものは貴重だともいえます。奉納された経文や曼荼羅の掛け軸などが災難を逃れており、観ることができます。

熊野古道

今回の旅では時間の都合上、熊野古道を旅の行程から外しましたが、少しだけですがここで歩くことができました。

いつか大門坂(だいもんざか)から那智大社へ向かう中辺路を歩いてみたいものです。

長い階段を降り、本宮大社を後にします。

熊野本宮大社を参拝した後は、大きな鳥居で知られている大斎原(おおゆのはら)へ向かいます。歩いて10分もかからない距離です。

大斎原

大斎原(おおゆのはら)
もともと本宮があった場所です。明治22年の大洪水で洪水の被害を受けたため、上四社を現在の場所に遷座し、中四社下四社の神々がこちらにお祀りされています。

日本一の大鳥居が圧巻です。

大鳥居をくぐり境内に入ると手水舎と大鳥居の説明が書かれた看板があります。

これより先は神域なので、写真撮影が禁止されています。

空気の澄みきった静かな場所で、歩いていると心が洗われます。素晴らしい場所でした。

和歌山県世界遺産センター

大斎原から本宮へ戻る途中に、熊野川寄りの道に和歌山県世界遺産センターという建物があります。無料の施設で、ここでは休憩所や熊野に関する資料館があります。

何気なく寄ってみたのですがパネルが分かりやすく、熊野のことを知るにはいい場所です。

こんな説明がありました。

熊野には深い森と険しい山岳地帯があり、昔からこの場所には自然崇拝が行われていた。山や海の彼方は他界とされ死者が向かうと考えられ、霊魂崇拝の場となり、熊野本宮大社は川や樹木を、熊野速玉大社は巨岩や川を、熊野那智大社は滝を信仰するようになった。自然信仰はその後、神社神道へと展開され、6世紀に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み「熊野権現信仰」が全国に広まることになる。「権現」とは神が権り(仮)に姿を仏に変え、衆生を救うために現れるという意味で、熊野は過去・現在・未来を救済する霊場として人々に広く受け入れられていくようになる。熊野の神仏は強者弱者、地位や善悪、信不信を問わず別け隔てなく救いの手を差し伸べるとされ、人々は難行を覚悟で熊野を目指し「蟻の熊野詣で」と呼ばれるまでに多くの参詣者が訪れた。

このようなことが解説されていて、熊野がどういう場所なのかを知ることができました。また、熊野の道は修験道でもあり山伏が苦行をしていましたが、山伏は熊野参拝の際に道案内をする役割も担ったということもここで知りました。

熊野は3つの霊場をつなぐ場所なのですが、熊野三山、修験道の吉野(修験道の発祥の地といわれています)、高野山の3つについてもそれぞれパネルで分かりやすく解説しており、いい資料館でした。

和歌山県世界遺産センターを出た後は、バスで新宮行きに乗り、熊野速玉大社へ向かいます。

新宮駅の手前の「権現前」で降りるといいらしいのですが、一旦駅までバスで行きそこから歩いて向かいました。

参道の石

新宮駅から10分程歩くと熊野速玉大社が見えてきました。

熊野速玉大社

速玉大社では、たとえ参詣者のわらじが雨で濡れていても、そのまま温かく拝殿に迎え入れてきた歴史があり、「濡れわら沓(ぐつ)の入堂」といい、今でも熊野速玉大社の社訓になっているようです。険しい山路を越えてやっとのことでこの場所に辿り着いた人々は、社の前で涙に咽(むせ)んだといいます。拝殿に温かく迎え入れられることで、参拝者は感激の涙で心が洗われ、生きる力を得て、人生の再出発を踏み出す勇気と覚悟が与えられたといわれています。

そういった歴史があり、熊野速玉大社は「甦りの地」といわれているようです。

梛(なぎ)

境内にそびえる御神木の樹齢千年の梛(なぎ)の大樹は、熊野権現の象徴として信奉されていました。古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされていたようです。ナギの葉のことは旅の後で知ったので、この時は葉を拾いませんでした。

宝物館

中に入りましたが(500円)、見ごたえのあるものではありませんでした。照明が暗く、手書きの説明は読みづらく、何か新しいものを知ることもできませんでした。

御朱印をもらう時に神倉神社のも書きますかと聞かれ、下調べの時にどこかで聞いたことあるなと思い、一応お願いしました。書いてもらっている間に調べてみると、近くにある立派な神社で速玉大社から徒歩15分で行ける距離なので、参拝することにしました。

神社に向かう途中、堀内氏の屋敷跡が

堀内氏は、熊野三山を中心に戦国時代末期にこの地で勢力を持った豪族です。

15時半頃、神倉神社に到着です。

神倉神社

熊野速玉大社の飛地境内に鎮座する摂社です。鎌倉時代に源頼朝が寄進したと伝えられている538段の急な石段を登ると、社殿とご神体のゴドビキ岩が現れます。熊野三山の神々が、最初に降りてきた場所といわれている場所です。

急な石段を上ります。

雰囲気のある古道

急な階段を10分程歩くと、海の見える絶景が現れます。

さらに上に上っていくと、社殿とご神体の岩があります。

神倉神社を参拝した後は、石段を下りて駅に戻ります。

上りより下りの方が危険なので、注意して歩きます。足を踏み外さないように一歩一歩ゆっくり降ります。ずいぶん歩きにくく危険な道だなと思ったら、入り口にちゃんと無料の杖の貸出がありました。

新宮駅からバスに乗り、17時過ぎに紀伊勝浦駅に戻ります。

シャッター街ですが、お土産屋が数軒あります。

那智では黒石がよく採れるようで、黒石で作ったいろいろな置物が売っていました。黒石は熊野の名産で、囲碁の碁石や硯、床置石や装飾品に加工されているようです。

お土産を買った後は、夕方の港町を散歩します。

勝浦と言えばマグロなので、夕食はマグロをと思っていましたが値段がそれなりにするので止めます。ランチタイムなら割と安く楽しめるのですが、夕方となるとそうもいかないので、昨日から気になっていたたこ焼きの屋台へ。

15コ400円という値段に惹かれてしまいましたが、味は、まぁ…値段相応…といったところでした。ソースが濃いです。店を出る時に「おおきに」と言われ、関西圏なんだなと思いました。

宿に戻り、勝浦ブルーハーバーに連泊します。部屋からは港が見えます。

旅の後で知ったのですが、コインランドリーのある上の階から屋上に出ることができるらしいです。知っていたら屋上からいい眺めを楽しめたのですが、残念です。

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