2022年4月に北海道フリーパスを使って7日間、北海道を旅しました。
その4日目は網走観光をし、網走監獄と北海道立北方民族博物館に行きました。
今回は博物館の見どころや北海道の歴史など、旅をして興味をもったものを紹介したいと思います。
釧路駅から網走駅へ
6時半過ぎの電車に乗り3時間かけて網走駅に行きます。
6:38釧路駅発、9:51網走駅着の電車に乗りました。
釧路湿原が車窓から見えます。
途中、屈斜路湖と摩周湖の間の川湯温泉駅の近くでアトサヌプリという硫黄山が見えました。
明治時代この山で採れた硫黄が鉄道で運ばれ釧路が栄えましたが、
硫黄はマッチや火薬の原料となり海外に売れたので、輸出で外貨を獲得できる重要な手段として採掘に力が入れられました。
このアトサヌプリは、実は囚人による硫黄の採掘が行われた鉱山でした。鉱山での採掘は過酷で、噴出する蒸気とガス、粉末で失明する者や中毒死する者が出ました。
網走駅から網走監獄へ
さて、網走駅に着きました。
網走は北海道の北東部に位置しオホーツク海に面した町で、流氷が接岸する場所として知られています。新鮮な海の幸に恵まれた漁業が盛んな町で、カニやいくら、ホタテなどが絶品で知られます。
網走と言えば網走監獄が有名なので、そちらに行ってみます。
バスがあったと思ったのですが、なくて50分歩きました。
網走から北見にかけての道は、囚人道路と呼ばれています。
明治時代に囚人によって北海道の道路開削が行われましたが、中でも網走・北見間は過酷な山道を驚異的な突貫工事で切り開かれた場所として知られています。
そんな所か、その付近か分かりませんが、歩くことができ、50分という道のりは退屈ではありませんでした。
網走監獄
概要と囚人労働(監獄開拓)
網走監獄に着きました。
北海道開拓と監獄受刑者をテーマとした野外歴史博物館です。
博物館を巡る前にまず庁舎で、囚人が切り開いた北海道開拓の歴史と重要文化財の見どころ紹介を観て鑑賞のポイントを押さえるのがお勧めです。
網走だけでなく北海道に置かれた他の集治監の解説もあり、囚人労働の解説が充実しています。
未開の地だった北海道の開拓は監獄開拓、屯田兵開拓、移住民開拓の3段階で進められました。集治監が置かれ、まず大勢の囚徒たちが先兵として、道なき所に道を開き、家なき所に家を建て、原生林を農耕地とし、その後に屯田兵や移住者が住み開拓が進められました。
監獄開拓が屯田兵開拓と移住民開拓の基礎を築きましたが、それは過酷で驚異的な速度で行われました。
集治監とは大規模監獄のことで、明治14年(1881年)に北海道で樺戸集治監が設置され、その後、空知と釧路でも置かれ、釧路集治監の分監として網走と帯広で囚徒外役所(がいえきしょ)という監獄が置かれました。
詳しくは後日、YouTube動画と別館で紹介します。
網走監獄の見どころ
パネルで知った網走監獄の見どころを3つご紹介します。
一つ目はレンガと軟石です。
※軟石:柔らかく加工しやすすく、風化に強く耐熱性のある石
明治時代後半、敷地にレンガ工場が造られレンガが焼かれ、正門や裏門、サイロがレンガと軟石で造られました。囚徒がレンガを焼き建物を造ったことからは、自給持続型の監獄経営をしていたことが分かります。
二つ目は和洋折衷の建物です。
屋根の窓などから洋風の雰囲気が伝わりますが、鬼瓦や瓦屋根に和の要素が見られ、和洋折衷と言われた明治初期の木造官庁建築の標準的な意匠を伝えています。
そして三つ目は放射状の舎房です。
少人数で大勢の囚人を管理できるよう、ベルギーの監獄を模倣したもので、1か所から全体を見渡せる八角形の中央見張り所がある、合理的で機能的でありながらも空間的な美しさがあります。
そして人形で当時の囚人の生活を知れる展示が、網走監獄の見どころです。
極寒の冬も獄衣一枚と毛布一枚のみで夜を越したといいます。
道路開削など外で使役される時は立って食事をしたといいます。
懲罰房
監獄歴史館では当時の囚人の労働を映像で知ることができます。
囚人は必ずしも凶悪犯とは限らず、西南戦争などで捕えられた不平士族や
自由民権運動をした者などの国事犯・思想犯もいました。
労働では大量の蚊や虻が昼夜襲い、食糧が不足し、衛生環境が劣悪な中で囚人が使役され、逃げれば熊に襲われ、冬は山に食べものがなく、労働せざるを得ず、短期間で多くの囚人が病気で倒れ、また命を落としました。
そうしたことが行われた背景には、ロシアの南下の脅威があり、また近代化を進めるのに必要な天然資源が北海道に豊富にあったからでした。
人権上、囚人たちによる北海道の開拓はその後やめられましたが、タコ労働という形で黙認され続くことになります。
昼ごはんに監獄食を食べました。現在の網走刑務所で収容者が食べている食事を再現した定食です。
麦と白米の割合が3対7の麦飯とサンマかホッケの焼き魚、小皿、中皿、味噌汁です。本来は味噌汁ではなく番茶が出されているようです。
北海道の旅ではラーメンを食べる機会が多く栄養が偏りがちだったので、こうしたシンプルで体に優しい食事がありがたかったです。
それにしても、人力主体の当時の作業ではこんな場所でも道を切り開くだけでも厳しいものですが、展示では、もっとうっそうとした原野を1ヵ月で12kmという速度で突貫工事が行われたとありました。
常軌を逸しています。
網走監獄を観た後はバスに乗り、北海道立北方民族博物館に行きました。
北海道立北方民族博物館
こちらは日本で唯一の北方民族の文化を専門に紹介する博物館です。
北方の諸民族の衣・食・住・生業・精神文化などをテーマ別に展示・解説してます。
常設展示で北方地域の諸民族の文化が解説されていますが、その範囲は東はグリーンランドのイヌイト(エスキモー)から、西はスカンディナビアのサミ(ラップ)までと、あまりに広く、理解が追いつきませんでした。
網走監獄や北方民族博物館はアクセスがいいとは言えませんが、展示が充実していました。
見に行く気力がありませんでしたが、近くにオホーツク流氷館があります。
網走駅から旭川駅へ
さて、4時にバスに乗り網走駅に戻り、網走駅から特急オホーツク4号に乗り旭川駅に向かいます。乗車時間は3時間50分です。
途中に常紋トンネルという、大正3年(1914年)にタコ労働により開通したトンネルがありますが、夜はどこかよく分かりませんでした。
旅の後半になり疲れが出てきたので早くホテルに戻りたかったのですが、鹿と接触してその除去作業があり1時間近く遅延しました。
この日は終点の駅のホテルで泊まる日だったので、遅延してもまだよかったですが、乗り換える必要があったら気が気でなかったところでした。
北海道の旅はこうしたことも想定しなければならないのかと、勉強になりました。
鹿なら除去時間は短いですが、クマなら時間がかかるようです。
※クマと衝突した場合は安全確保のため降車せず
車両の中から現地状況を確認し運転を再開するようです
付近に仲間のクマがいる危険があるため
猟師を手配したうえでクマを回収するようです
そして旭川駅に着き、くれたけイン旭川にチェックインしました。
宿泊費は3800円で、土曜にしては安く泊まれました。
YouTubeでも紹介しています。是非ご覧ください。
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