【旅37日目】新潟県燕市産業資料館と新潟市歴史博物館へ

日本一周

長岡駅から離れたネットカフェ、朝を迎えます。旅37日目は新潟県の燕三条駅にある産業資料館と新潟駅の歴史博物館に行き、山形県の鶴岡駅のネットカフェで一泊します。今回は燕市産業資料館、地場産業振興センター、新潟市歴史博物館を紹介します。

それでは本日の行程です。

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37日目の行程

6:32長岡駅発
7:28燕三条駅着

9:00燕市産業資料館

10:20地場産業振興センター

12:18燕三条駅発
13:53新潟駅着

15:00新潟市歴史博物館

17:21着新潟駅発
20:26鶴岡駅着

鶴岡駅の近くにあるネットカフェで一泊 

5時にネットカフェを退店し、50分かけて長岡駅に戻ります。ここもカラオケやダーツ、ビリヤードのあるネットカフェで、夜は若い人で賑わっていました。寝ている席の隣では本棚を挟んでダーツのある空間があったため、明け方まで賑やかな声が聞こえました。東北は西日本や都心に比べてネットカフェが少ないので仕方ありません。

駅へ向かう途中、2種類のマンホールを見つけます。

上の絵は長岡市の花火、左の絵は長生橋で、花火大会の時にナイアガラの滝がかかる橋です。泊まったネットカフェと長岡駅との間にある、今歩いている長い大手大橋の隣にある橋で、花火大会の時には大手大橋から沢山の人が花火を楽しむようです。右の絵はスキーヤーで下の絵は長岡市郷土資料館と桜の絵らしいです。

二つ目

手前は火焔型土器といい、長岡市の馬高(うまたか)遺跡で初めて発見された縄文時代の土器です。奥のお城は、長岡城でしょうか。

50分ほど歩いて長岡駅に到着します。朝食をと思いますが6時前ではまだどこもやっていません。

6:32の電車で、燕三条駅に向かいます。

長閑な景色が続きます。

1時間ほど乗り、7時半に燕三条駅に到着です。

燕市産業資料館のポスター

改札を出るとあります。これから向かう所です。

燕三条市は、優れた鍛冶産業の町として世界でも知られています。

駅構内にも食器や包丁、ハサミなどの市内で生産された金物が展示されています。

燕三条駅から歩いて30分ほどかけて燕市産業資料館に向かいます。

田んぼが広がります

米どころですね

8時過ぎに資料館に着いてしまいました。

途中座って朝食をとれるお店を探しましたが、ありませんでした。旅の予定を確認したり、本でも読んだりしながら時間を潰して、9時の開館とともに中に入ります。

燕市産業資料館

燕市産業資料館
燕市の金属加工産業発展の歴史を伝える史料館です。江戸時代初期の和釘作りををはじめ、ヤスリやキセル、鎚起銅器といった金物の成り立ちや発展を知ることができます。300円。

300円では安すぎるくらいの見所のある資料館です。展示物が充実していますし、説明も分かりやすいです。3つのゾーンに分かれていて、キセルや矢立のコレクションの展示、燕市の産業の発展の歴史、現在の加工技術の紹介があります(平成31年にリニューアルしています)。

コレクションの展示です。

キセルや矢立(携帯の筆記用具)を見ることができます。

一言でキセルと言っても、素材や模様がさまざまで、精度の高い技術がうかがえます。

キセルを入れる筒には、香木で知られている白檀を使ったものや、象牙、竹などがあり見ていて面白いものばかりです。

キセル職人の紹介がありますが修業の過酷さが知れます。13歳の時から、朝の7時から21時まで毎日5年間修業したことが分かりました。

矢立(携帯の筆記用具)

旅をしていなければ知ることがなかったものです。江戸時代から大正初期にかけて商人がよく使ったようです。当時銅製品の中で矢立が最も売れたといわれています。大正の頃に万年筆が流通してからは姿を消していきます。

次に、別館にある燕市の金物産業の歴史の展示を見てみます。江戸時代から明治時代まで燕で盛んに行われていた金属加工の技術を紹介しています。

和釘

江戸時代の和釘作りから燕市の産業の発展が始まりますが、和釘は船に欠かせないものだったため需要がありました。燕は腰まで浸かる湿地帯が多く、農作業や交通の手段には舟が欠かせませんでした。舟に使われる舟釘は需要があったため、早くから生産されます。農業をしていても洪水がよくあり、田んぼからの収入だけでは生活が困窮するため、内職として冬の間の和釘作りが薦められたのです。地震や大火が起きる度に釘の需要はあり、燕の農民たちは釘鍛冶を本業としていったようです。江戸城の修復の時には、燕で作られた釘が出てきたそうです。

良質な銅の産地があったことも燕を金属加工の一大産地にした由縁です。

彫金

鎚起銅器(ついきどうき)

鎚起とは槌(つち)で起こす打物のことで、銅という素材の伸展性を利用して、一枚の銅板を打ち起こしていく方法のことです。これは継ぎ目のない形を作り上げていくもので、急須の注ぎ口も継ぎ目なく作ってしまうそんな技術です。キセルの煙管や矢立にも加工されたようです。

木目金

日本独特の技法と書かれています。異なる種類の金属板を10~30枚重ねて叩いて延ばし、その表面を削ることで模様を作る技法です。江戸時代初期に考案されたようで、刀の鍔(つば)の装飾に用いられたようです。

ハウスウェアの展示

昭和60年前後は燕で作られた食器は海外に輸出されていますが、アメリカへの輸出が4割です。燕は国内よりも海外の方が知られていたようです。

江戸時代の初期に農村の副業だった和釘の製造技術が、燕の食器製造に生かされています。和釘の製造技術はヤスリや煙管、鎚起銅器などの製造に生かされ、大正時代になると、食器の製造に転用されます。現在では金属洋食器国内生産の95%を占め、世界各国に輸出される一大産地に成長しているみたいです。

日本=箸だとてっきり思っていましたが、日本のナイフやフォーク、スプーン(これらを総称してカトラリーと言うようです)が海外で有名だったなんて、何だが意外です。

上の写真の「燕市民の変な癖」では、旅行や出張で県外に出かけて飲食店で食事をする時にスプーンやフォークの裏面を見て生産工場を確認する癖があると書かれています。国内金属洋食器の大半が燕で作られているため、「やっぱり燕の製品だ」と思うことが多いのだとか。

現代の地場産業の展示を見てみます。

和釘や銅の生産も、時代を追うごとに他のものに取って代わられます。やかんや食器はアルミやステンレスに、キセルはライターに、矢立は万年筆に取って代わられます。

戦後はステンレスやプラスチックが食器の原料になり、その加工をするようになります。

燕で作られた多くの食器が海外に輸出されましたが、1971年にドルの変動相場制になると事情が変わります。輸出での利益が激減してしまったため、それをきっかけに燕の技術は食器関連の分野から建物金物や自動車部品、医療器具といった新しい分野に進出していきます。今ではプレス加工や深絞加工、スピニング加工に切削加工、レーザー加工とさまざまな加工技術が有名ですが、研磨技術もよく知られているかと思います。柔らかいアルミや難削素材のチタンを削るのは、想像以上に難度の高いもので、現時点では人の手でしか削れないようです。一般的なものとしては、道路のカーブミラーで使われています。

そんな流れがここでは解説されています。

燕の金属加工技術でどんなものが作られるのか、生活に身近な物を見ながら知ることができます。

展示が分かりやすくていいです。

加工技術についての説明も分かりやすく丁寧です。

金属の違いも

見応えのある素晴らしい資料館でした。わざわざ来た甲斐があります。

※紹介した展示は2015年の当時のもので、平成31年(2019年)の4月にリニューアルしています。

燕市産業資料館を見た後は、地場産業振興センターに寄ります。燕三条駅から徒歩5分の場所なので、資料館から25分ほど駅に向かって戻ります。

何とも癒される田園風景です。

道の駅 燕三条地場産センターに到着しました。

道の駅 燕三条地場産センター

ここでは洋食器や刃物、キッチン用品や工具などを展示・即売しています。地酒やコシヒカリ米、越後銘菓など新潟ならではのお土産も取り揃えています。

氷を入れても汗のかかないチタンのタンブラーや銅イオン効果でお酒がまろやかになる銅のカップ、きめ細やかでクリーミーな泡ができるステンレスのタンブラーなど、酒器だけでも面白いものがいろいろとあります。

先ほどの資料館では見かけませんでしたが、燕三条は刃物も有名です。包丁にも和釘の製造技術が生かされ、今では岐阜県関市、大阪堺市と並ぶ日本有数の刃物産地として有名です。

11時半頃に燕三条駅に戻り、12時半前の電車を待ちます。燕ラーメンを食べたかったのですが、お店が近くになく駅そばとキオスクのおにぎりを食べることに。

道の駅のと隣にラーメン勝というご当地のラーメン屋があったのですが、刻み玉ねぎの入っているものは苦手なので、入れませんでした。

電車に乗り14時前に新潟駅に到着です。

道の駅 燕三条地場産センターで買ったお土産をゆうパックで送り、新潟市歴史博物館に向かいます。

新潟駅から歩いて30分です。

新潟市歴史博物館

新潟市歴史博物館
古くから港町として、また水の都として発展してきた新潟の歴史と文化を展示している博物館です。入館料は300円とこちらも安いです。知らないことが多くて見ていて面白い所でした。スマホの写真設定がいつの間にかスクエアになってしまいました。しばらく正方形の画面が続きます。

新潟と言えば、海の幸に恵まれた土地です。

越後では鮭がよく獲れ、納税品とされたようです。また、鉄や塩の産地でもあったようです。

江戸の頃には、女性が男性に負けず劣らず同じような仕事していた土地だったという解説もあります。

ぼて振り(てんびん棒でかついで売り歩くこと)や馬子(馬をひいて人や荷物を運ぶこと)、土運びをいとわない女性の姿に旅人は驚いたようです。長岡藩の頃には女性も戸主として認められ、自分で稼げる故に離婚も恥とは思わない女性も少なくなかったようです。

江戸期は幕府の目の届かないのをいいことに、中国と貿易をして利益を得ていましたがそれもすぐにばれて、幕府に長岡の港を取り上げられ直轄地にされます。

水が確保できない土地でもあり、井戸水の質は悪く飲めたものではなく、信濃川の水をろ過して船で運んで生活に使っていたようです。水に囲まれた土地ですが、飲み水は他の土地から依存して、それを自宅の甕で保管していたようです。

明治期のサケやマスを扱った対外貿易は不振だったようです。

港町ということで栄えていたイメージはありますが、対外貿易といえばロシアが相手でサケやマスを獲っても潤わなかったようです。日中戦争後に中国への玄関口として、人や物が集まり、ようやく栄えます。

自然に恵まれた土地だと思っていましたが、その反対で常に自然と闘いながら共存してきた歴史が知れます。

新潟の地中には海水が入っているため、表面を埋めれば生活できるというものではなかったようです。
まともに人々が住めるようになったのは、昭和になってからです。幾分にも分かれた川が流れていて、雨季にはどこかしらの川が氾濫して田畑を流してしまう場所でした。

排水が思うようにならない時代は、田んぼの水が完全に引かないので一年中田んぼでの仕事がありました。

腰まで浸かる深田での困難な作業をするのですが、春は雪解けの水が流れてくるまでに作業を終わらせねばならないため、冷たい時期に急いで田を耕したそうです。先ほど見た燕市の産業資料館でもありましたが、深田ゆえに舟が不可欠なものでした。作業の道具や収穫したものを舟に乗せて移動したのです。

昭和になり地中の水を抜いて人が住むようになりますが、それが地盤沈下を引き起こします。

土の中の海水を汲み上げることで農作業が楽になり、天然ガスも採れるようになりました。しかし、これが地盤の沈下の原因となってしまったのです。

地盤の弱い土地では、地震の被害も大きくなります。

天然ガスを採らざる得なかったのは、平野部では家の近くに山林が無く蒔きの入手が困難だったからです。そのためガス井戸という自家製のものを作り、地下からのガスで冬を越したようです。現在では地盤沈下の原因になるので禁止されています。

そんな歴史があったのですね。知りませんでした。戦時中は大きな空襲を受けていない土地としても知られていますが、それは原爆投下の候補地だったからともいわれています。

博物館を出た後は、船の停泊する散歩道を歩きながら新潟駅に戻ります。

博物館の展示を見た感想は、新潟は貧しい土地だったんだなというものです。コシヒカリの産地、米どころ、地酒と昔から自然に恵まれて栄えてきた土地だと思っていましたが、違いました。そもそもコシヒカリ自体、偶然を重ねてできた品種で終戦前に育成されたものらしく、お米の栽培で豊かになるのは戦後になってからでしょう。自分が持っていたイメージは全く違いました。

新潟は飲み水が少なく、田畑の作業に困難を伴う、水に苦しめられてきた土地といってもいいのかもしれません。生活を向上させるには治水が欠かせませんが、それがなかなか進まず戦後になってからようやく生活しやすくなります。知らなかった新潟の歴史を知ることができる博物館でした。

博物館の展示に無かったのか、見落としていたのか忘れましたが、人々が生活しにくい土地に思われた新潟ですが、エネルギーの面では恵まれています。旅の後に知りましたが、新潟の地層には「かん水」という数十万年前の地層に閉じ込められた太古の海水があり、その中には天然ガスとヨウ素が豊富に含まれています。地下資源が豊富な土地でもあるのです。

天然ガスは火力発電の燃料に使われますが、メタノールやアンモニアなどの原料としても広く活用されています。ビニール、染料、塗料、接着剤、合成繊維、人工皮革が天然ガスによって作られます。また、ヨウ素はX線造影剤、殺菌・防カビ剤、液晶パネル、医薬品にと幅広く活用されています。ヨウ素は世界2位の産出国で、日本が世界の約30%を造っているそうなのです。新潟は千葉に次ぐ2位のヨウ素算出県です。

天然ガスとヨウ素の豊富なかん水を地中から取り出しても、現在では地盤沈下は起きていません。昭和30年代の頃は、汲み上げたかん水を海や川に放流していたため地盤沈下の原因になりましたが、現在ではガスとヨウ素を取り出した後の水を地中に戻しているので、安定しているようなのです。

地下資源が豊かでお米やお酒、そして海産物が美味しい新潟は豊かな県なのだろうと思いますが、地方財政は兵庫、北海道に次いでワースト3位に入っています。なんとも掴みにくい県でもあります。

博物館から30分ほど歩き、新潟駅に戻ります。

新潟駅ではお土産屋を見たり何か食べたりしませんでしたが、後から寄っておけば良かったと思いました。駅ビルには日本酒の利き酒が楽しめるポン酒館や、ヤスダヨーグルトのお店や、クラフトビールを飲める場所があります。

17時半前の電車で、鶴岡駅に向かいます。乗車時間は約3時間です。

村上駅を経由して日本海を北上し、約3時間乗り鶴岡駅へ到着します。時刻は20時半ですが、駅周辺は暗く人がほとんどいません。

想像していたよりも小さな町です。今晩は、駅から10分くらいの距離にあるネットカフェの快活クラブで泊まります。

21時前に入店し、今日の行程は終了です。

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