【旅29日目】八百万の神々が集まる縁結び地 島根県出雲大社へ

日本一周

山口県新下関駅から少し離れたネットカフェで朝を迎えます。旅29日目は島根県に移動し、出雲大社に参拝します。その後、出雲市駅の近くにあるネットカフェで一泊します。今回紹介するのは出雲大社のみです。

それでは本日の行程です。

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29日目の行程

7:50新下関駅発
15:00出雲市駅着

15:30出雲市駅発 バスで出雲大社へ
15:55出雲大社前着

16:00出雲大社
16:30島根県立古代出雲歴史博物館
18:00稲佐の浜

20:30出雲市駅のネットカフェで一泊

7時にネットカフェを出て、新下関駅に向かいます。駅まで20分くらい歩き、7:50の電車で出雲大社へ向かいます。乗車時間は7時間。今日も移動が半分を占める行程です。出雲大社の1カ所しか観光できませんが、日程が限られているので仕方ありません。

新下関駅から1時間電車に乗って新山口駅で乗り換えます。新山口駅からは島根県の方に北上して、山口駅を通過し、益田駅に2時間以上かけて進みます。益田駅からは更に2時間以上電車に乗って、出雲市駅に移動するという行程です。

益田駅を過ぎてからの車窓

海がとても綺麗です。群青色とエメラルドグリーンの2つの色が混ざっています。

このところ電車での移動中に寝るようになりました。移動中スマホで調べごとをすると、どうしてもデータ通信量がオーバーしてしまいます。ネットカフェにいる時に多少睡眠時間を削って調べごとをするので、日中の電車での移動中は寝ることが多くなっています。

それに以前のように1日にいろいろな場所に立ち寄ることもなく、旅の行程を確認するのに時間がかからなくなりました。電車での移動時間が長い日は、車内で寝て睡眠不足を補うようになりました。

15時過ぎた辺りで、ようやく出雲市駅に到着です。

駅から一畑バス大社線で出雲大社へ向かいます。乗車時間約30分、運賃500円です。

バス停に降りると、お土産屋や食事処が見えます。ご当地のものでは、出雲そば、出雲うどん、そばおやき、のどぐろ、甘鯛が有名です。寄っていきたいのですが時間がないので断念します。

夕方4時になり、やっと出雲大社に到着です。

出雲大社

出雲大社
日本一の縁結びの神様として有名な大国主神(おおくにのぬしのかみ)が祀られている神社です。大国主神は大黒様という名でも知られています。旧暦で10月のことを神無月(かんなづき)=神様のいない月といいますが、それは10月になると毎年全国の八百万の神々が出雲大社に集まるという逸話があるからです。出雲大社に集まった神々は会議をして人々の運命や縁を話し合うといわれています。そういった理由から出雲大社は縁結びの総本山ともいわれています。

毎年10月に八百万の神々が集まる出雲では、10月のことを神無月ではなく「神在月(かみありづき)」というそうです。

鳥居をくぐって境内に入ります。

真っ直ぐな道が続きます。少し坂を下りていきます。

松の参道

樹齢400年の松の木が並びます。松を保護するために、中央の道は通行が禁止されています。昔は身分の高い人が通る道だったようです。

因幡の白兎の像

大国主神(おおくにのぬしのかみ)が傷ついたうさぎに手を差し伸べている、古事記に記されている場面です。

神馬・神牛像

どちらも神様が乗る神聖な動物とされていますが、馬は子宝・安産、牛は学力の向上の祈願のためにお賽銭をする人もいるようです。

拝殿

60年に一度の大遷宮(2012年4月~2016年)の改修や建て替えをしています。ここにある注連縄は、よくガイドブックに載っているものとは違います。ガイドブックに載っているのは、神楽殿のものなので別の場所になります。

八足門(やつあしもん)

この門の向こう側に本殿があります。ここでは二拝四拍手一拝です。

特別な日以外は本殿には入れないのですが、正面参拝できる場所があります(旅の後に知りました)。
本殿の西側に小さな祠があるのですが、その場所で二拝四拍手一拝すると、祀られている神様と対面できるのです。本殿は南に向いているのですが、本殿の中に祀られている御神座は西向きになっているとのことです。目には見えませんが、位置の上では正面から参拝できる場所として知られているようです。

60年に一度となる平成の大遷宮にかかる総事業費はなんと、100億円なのだそうです。出雲大社のホームページに載っていました。

拝殿の左の道を進むと、大注連縄のある神楽殿の方へ行きます。

神楽殿の右横から入る形になります。

神楽殿の大注連縄

出雲大社の代名詞にもなっているこの大注連縄は、日本最大級で全長13.6m、重量5.2tと言われています。数年ごとに交換されるようで、島根県の飯南町で1年以上の歳月と延べ1000人の町民の手によって作られます。

大注連縄を支える吊り木は強度に優れた檜が用いられ、根本の太さは直径65cm以上で20m以上真っ直ぐに成長していることが条件になるようです。樹齢100年を超えた立派な檜が使われます。

迫力満点、見応え十分の注連縄です。

幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を迎える大国主神(おおくにのぬしのかみ)の像。木の陰で見えませんが、奥の人のいる所の上に、両手を広げて膝を着いた大国主神の像があります。

Wikipediaによると、「幸魂奇魂」の「幸」(さき)は、「咲き」や「裂き」のことで、増殖や分裂を表し、「幸魂奇魂」の「奇」(くし)は、「串」や「櫛」のことで、「整え」や「統一」を意味するようです。 「幸魂奇魂」は「分化繁殖」したものを「整え統一」することで、幸魂奇魂をご神体として迎え入れることで大国主神は縁結びの神になったという、神話の場面を表しています。

幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)はお祈りの時の唱え言葉(仏教の南無阿弥陀仏やキリスト教のアーメン)にも使われ、出雲大社では「幸魂奇魂守給幸給」(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ)と唱えるそうです。

境内の松は古いものだと樹齢350年~400年のものになるそうです。

時刻は16時半になってしまいましたが、せっかくなので博物館に行ってみます。

島根県立古代出雲歴史博物館

島根県立古代出雲歴史博物館
古代出雲を当時の文化や人々の暮らしを交えて紹介している博物館です。発掘された青銅器や200本以上の銅剣の復元模型が展示されています。

幻の巨大神殿の説明もあります。出雲大社といえば、平安時代の貴族の子供用の教科書に「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」と書かれていたほど、大きいものの象徴でした。雲太は出雲大社、和二は奈良の大仏、京三は京都御所の中心の建物です。出雲大社の社伝によると、太古の出雲大社の本殿は現在の4倍の約96mあったと言われています。

平安時代には、現在の高さの倍の約48mあったと伝えられているようですが、当時の技術ではありえないといわれてきました。ですが2000年に3本1組の巨大な柱が発掘されて、伝説が現実味を帯びてきました。館内には直径1m以上の杉の柱が3本束ねられたものが展示されています。

圧巻だったのは、復元された200本の銅剣の展示でした。金が塗られた銅剣がずらりと、壁一面に並んでいます。銅剣というものは歴史の教科書に載っているように、てっきり青い色や茶色の物かと思っていました。銅鐸もそうですが、当時は金が塗られたいたのを始めて知りました。

その他、出雲で生産されるようになったガラスの管や、朝廷への献上品で珍品だった十六島海苔(うっぷるいのり)、銅鐸や銅剣、船や土器の説明なども分かりやすく展示してあります。

特別展では、沖縄のことをやっていました。出雲の国と沖縄は貿易航路が結ばれており、中国や沖縄の陶磁器などの工芸品が島根県から発掘されているのだとか。石垣島の八重山焼や、芭蕉紙という和紙が名品だったようです。

分かりやすい解説と膨大な展示物で見応えのある博物館でした。ゆっくり展示物を見たかったのですが、閉館時間が迫っていたので急いで見ることになりました。残念です。

博物館を楽しんだ後は、歩いて10分の距離にある稲佐の浜に向かいます。

稲佐の浜

陽が沈む前に間に合いました。日本の渚・百選 稲佐の浜です。

稲佐の浜
浜辺の奥に大国主大神と武甕槌神が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、国譲り、国引きの神話で知られる浜です。旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。夏には稲佐の浜海水浴場として、海水浴が楽しめるようです。

絵になる大きな岩は、弁天島です。

弁天島
かつては稲佐湾の沖にあったため島といわれています。昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていたようですが、近年急に砂浜が広がり現在では島の後まで歩いて行けるようになっています。

それにしても素晴らしい景色です。

陽が沈むのを眺めたいところですが、バスがあるので来た道を戻ります。

野見宿禰(のみのすくね)神社。出雲大社のすぐ近くにあります。

島根県は相撲の発祥の地といわれています。

日本書紀に、出雲国の野見宿禰(のみのすくね)が、大和国の力自慢、當麻蹴速(たいまのけはや)と天皇の前で力競べをして倒したという記述に由来しているようです。

18時を過ぎに参道に戻ってきましたが、お店はほとんど閉まっています。面白そうなお店が沢山あったので見ることができず残念です。伊勢神宮もそうでしたが、日本を代表する神社の参道にはそれなりにいいお店が沢山あるので、旅をする時は時間を確保するのがいいことを痛感しました。

せめて出雲そばの説明をしておきたいと思います。出雲そばは蕎麦の実を甘皮ごと石臼で挽いているため、色が黒っぽく、そば本来の香りが存分に味わえるそばです。三段に重なった割子そばが知られていますが、厳密には割子そばは城下町の松江が発祥の地で、出雲大社周辺の発祥の蕎麦は「釜揚げそば」になるのだそうです。同じ釜で何度も何度も蕎麦を茹でるため、とろみがあり、また蕎麦湯も同時に飲むため健康にもいいといわれています。割子そばと同様に、自分でつゆを入れて味を調節させて食べるようです。蕎麦が好きな自分にとっては是非とも食べたい一品でしたが、今回は縁がありませんでした。

バスで出雲駅に戻り、お土産屋を見たり、駅にある百均で旅に必要なものを買ったりします。百均のお店は旅をしていると、とても便利で重宝します。大抵何でも揃うので旅先にあると便利です。買い物の後は、出雲市駅から少し離れたネットカフェに向かいます。

出雲の阿国の像

歌舞伎の祖とされる女性芸能者で、出雲大社の巫女と言われています。出雲大社の勧進のため諸国を巡回し、かぶき踊りを創設した人物として知られています。

出雲市駅にあるからくり時計

駅から20分ほど歩き、20時にネットカフェに入って今日の予定は終了です。

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