【旅21日目】後半 広島県宮島と山口県錦帯橋へ

日本一周
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厳島神社

厳島神社の入り口にやって来ましたが、100mくらい並びます。8月15日の今日はお盆休みの土曜ということで、予想通りの混雑振りです。有名な観光名所なので仕方がありません。列が進むのを根気よく待ちます。長蛇の列から「こんなに混んでるのは初めて」といった声が数ヵ所から出ていたので、よっぽど混んでいたと思われます。

待つこと数分(何十分も待たずに済みました)、参拝料(昇殿初穂料)300円を払い中に入ります。

団体もいて中はワイワイ、ガヤガヤ

回廊を歩きます。

暑いなか待った割には中は景色がイマイチです。

時刻は11時半過ぎでしたが、この日の満潮が確か9:56分で既に潮が引きはじめています。海の色や水の量など、今一歩見栄えがしません。

何だかな、と思ってしまいます。

そんながっかりポイントになりそうだった厳島神社ですが、干潮時だからこそ社殿を支える柱がよく見えます。砂浜の上に柱が建てられているのではなく、地下には岩盤層があり、その上に礎石が積み上げられているのだそうです。きちんとした土台の上に柱を立て、その上に社殿があるので、海に沈まないのです。

回廊の床板にも工夫がされていて、板の間は僅かな隙間が空いています。高潮時の波による浮力を和らげたり、床に上がった海水を抜くためにそのように設計されています。旅の後に知ったので床の写真を撮りませんでしたが、入り口で拝観料を払った時にもらえるパンフレットに書かれています。

海の上に立つ社殿の全体像を見れないのは残念でした。船に乗ってでも外から一目見ておけばよかったと、後から思いました。外から海に浮かぶ厳島神社を見渡すと、よりその良さが分かるのでしょう。厳島神社は改修を重ねたもので平家時代の建物ではありませんが、当時の姿と今日のとはほとんど変わりがありません。天然の美と人口の美との調和と対照の妙は素晴らしく、是非とも外から眺めて欲しい建物です。宝物館にある平家納経(レプリカですが)と共に、唯一平家の文化を見ることができる遺産です。

神社を出てからは周辺を歩きます。せっかくの機会なのでロープウェイで弥山(みせん)まで行こうか前日まで迷いましたが、止めて正解でした。人が多過ぎます。天気が良く素晴らしい景色を楽しめるのでしょうが、行きも帰りもロープウェイ乗り場で行列ができているのは必至です。

そういえば、大聖院にも行きませんでした。これは下調べ不足でその存在を知らなかったのですが、行かずに後悔しました。806年に創建された宮島で最も古い寺院といわれていて、見事な山門や数えられないほどの仏像やお地蔵さん、灯篭があり、見どころの多い神社です。厳島神社の出口から歩いて5分の所にあるので、宮島に訪れた際には是非とも立ち寄りたい場所です。

さて、弥山には行かないので、近場をうろうろすることにします。まずは近くの宝物館(300円)へ。入口かその周辺で、海中の大鳥居の根元に使われていた大楠を見ることができます。

旅を終えてから何かの本で知りましたが、江戸時代は伐った樹の外に手を加えず、樹皮のついたまま柱としていて、現在のような朱塗りではなかったそうです。

宝物館はイマイチ、撮影も禁止。展示物はどこでもあるようなものが置いてある。そんな感想でしたが、館内に展示されている『平家納経』は是非とも見ておいて欲しい逸品です。模本(レプリカ)ではありますが、源平の争乱で失われてしまった平氏の文化を知ることができる貴重なものです。厳島神社は唯一平氏の文化が残されている場所で、六波羅や福原の別荘は戦乱で焼け落ち、京には文化を残していなかったので、平家納経と神社にしか平氏の文化の面影はありません。

宝物殿にある平家納経は、一門の繁栄を祈願するために平氏一族が一品一巻ずつ分担して収めたもので、巻物には五色の料紙を使い金銀の切箔や砂子を散らし、渡金の金具をつけ、美しい三重の箱に納めているものです。各巻の表紙には経巻の内容を表した絵が描かれており、伝統的な大和絵風に新しい宋風の唐絵風が取り入れられ、平氏の進歩性を見ることができるのだそうです。旅をした当時はレプリカかと思い通り過ぎてしまいましたが、非常にもったいないことをしました。

お次は宮島歴史資料館(300円)へ。

ここは撮影可でパネルもそこそこあり、宮島の歴史を知ることができます。

宮島は島全体が神と捉えられていた、神聖な場所でした。島全体が神域だったので、血や死などの穢れが避けられましたが、鉄の農具を地に入れることも禁忌とされていました。これも後から本を読んで知りましたが、仏教では田畑を耕すと地中の生き物を殺すという観念から、耕作を禁ずる考えが平安時代を中心に地域に根付いていたことがあったそうです(『殺生と往生のあいだ―中世仏教と民衆生活』より)。

石畳のある土蔵をそのまま保管している展示室です。壺や釜、桶や石臼な、当時の生活を知れる道具が展示されています。

資料館を出た後は、豊国神社と五重塔に行ってみます。

五重塔。中には入れません。

豊国神社(千畳閣)

畳857枚分の広さがあることから千畳閣と言われている、大経堂です。入館料100円払えば、靴を脱いでお堂の中に上がれるのですが、人の多さにうんざりしてスルーしました。後からちゃんと調べてみたら、ここも宮島に来たからには立ち寄りたい場所でした。

豊臣秀吉が安国寺恵瓊に建立を命じた建物で、武士の鎮魂のための供養堂として造られましたが、秀吉の死によって未完成のままとなった建物です。そんなことが旅行サイトに書かれていたので、特に興味がなく中には入らなかったのですが、堂内は雰囲気のある風通しの良い、広々とした空間で、高台からの景色を見ながら一休みできる場所でした。御朱印ももらえるので、朱印集めをしている人にもおすすめの場所です。

表参道商店街をぶらぶらしながらフェリー乗り場に戻ります。

牡蠣とあなごのお店が沢山あります。

焼き牡蠣が二個400円ほどで売っていましたが、買っても食べる場所がないので断念しました。近くの椅子は埋まっていて、その辺に立ち止まるのも難しく、美味しそうだったのですが諦めました。

フェリー乗り場に近い穴子飯のお店が空いていたので、入ります。

店頭の呼び込みの人に今なら席が空いているから、ということで何となく入ってしまいました。さっきの焼牡蠣が気になっていましたし。席に着いてから、どこのお店も満席なのになんでここは空いているのかと嫌な予感がします。偶然空席ができてラッキーなのか、それとも人気のないお店なのか、そんなことを考えているうちに注文したものが来ました。

穴子飯2200円と焼き牡蠣3個1300円

率直な感想は「う~ん」というより「はぁ~」といったため息でした。シーズンじゃないにしても、牡蛎はしなびているわ味も香りもないわ…。外では一つ200円で売っているというのに。穴子飯は、小さくて薄い穴子がご飯に乗って2200円。味気のない穴子と炊き具合もよくないお米。

店員の対応に関しても思う所のあるお店でしたが(食べログなどの口コミで見れます)、自分の選択が良くなかったので仕方ないです。ただ、外国からの観光客も結構いたので彼らが、「これが日本の牡蛎なんだ」「これが穴子飯なんだ」と思ってしまうのは非常に残念なことです。

今回は宮島を楽しめませんでしたが、次に来る機会があれば、天気のいい時に弥山や大聖院をのんびり観てみたいものです。自分と同じ様に原爆ドームと宮島をセットで観光するパターンが多いようですが、どちらもじっくり観るのがおすすめなので予定を詰めるのはおすすめできません。宮島に行くのなら、人の少ない早い時間帯の方がいいですし(6時台には宮島口からのフェリーが出ていて、厳島神社は6時半から参拝できます)。

フェリーで宮島口駅に戻り、この後は山口県の東に位置する西岩国駅に向かいます。14時くらいに宮島口駅を出発して、20分ちょっとで岩国駅に着きます。

ここから岩徳線に乗り換えて西岩国駅は一駅なのですが、待ち時間が90分です。なんだかんだ宮島口駅から2時間かけて、西岩国駅に行くことになります。16時頃ようやく到着です。ここから20分ほど歩いて、錦帯橋を観に行きます。

駅にはコインロッカーが無いので、大きなリュックを背負って歩くことになります。

途中川魚を出している定食屋が

こういうお店を見ると、好きなので元気が出ます。

こんな看板も

着きました。

錦帯橋

錦帯橋(きんたいきょう)
日本三名橋の一つで、5連のアーチが美しい国内屈指の木造橋です。橋の全長は193.3m、アーチ部分の最高点は川床から約13mもあります。

当時の建築技術の高さをうかがわせるもので、アーチ部分の精巧さと強度は、現代の力学においてもまったく遜色ないものだといわれています。流されない橋を造るにはどうすればいいかと考えた時に、中国の絵図にあった連続する小島とそれを繋ぐ橋をヒントにして造られたといわれています。

早速渡ってみましょう。

錦帯橋からの眺め

綿川という川ですが綺麗な川です。

対岸に着きました。お土産屋や食事処が並びます。

立派な木組みです。

日本の橋には人間が自然と闘ってきた軌跡が感じられ、ついつい見入ってしまいます。

詳しい技法や工法は知りませんが、人間が生活をよりよくしようと知恵を絞って建てたものだということは分かります。せっかくだから観てみたいという思いがあり、電車の乗り継ぎに90分もかけ、駅から20分もかけて歩いてきましたが、来た甲斐がありました。

個人的にはこの橋の建築技術が優れているかどうかということよりも、人間が自然と向き合ってきた姿勢に興味があります。この錦帯橋は流されない橋を造ろうという視点から造られるので、いかに頑丈に強固に橋を造るかに先人達の情熱と技術が込められています。

片や、先日四万十川で見た沈下橋は、川の流れに逆らわないように造られています。四万十川の上流には、早瀬の一本橋というものが唯一現存していますが、その橋は増水時に橋桁(はしげた)が流されるようになっています。橋桁が紐が結ばれていて、流れが収まったら紐を引っ張って回収してまた土台の上に乗せるというものです。これには川の流れに打ち勝とうという考えがありません。勝たなくていいから負けないようにしよう、どうせ勝てないんだから負けないようにしよう、という考え方です。そして沈下橋は、更に開き直っています。どうせ流されちゃうんなら沈めたらいいじゃないかと。こういったタイプの橋は、流れ橋(ながればし)といい、日本やアイルランド、オーストラリアなどに見られる橋の形式の一つです。

自然に打ち勝つために建てた橋があれば、自然とうまくやっていけばいいと建てられた橋があります。橋一つとっても、人間の自然との関わり方が垣間見れます。発想が面白いですし、いろいろな考えがあって面白いです。資材調達、労力、技術といった限られたなかで、生活を守るために知恵を絞った先人達の歴史が少し知れました。

橋を渡って来た道を戻ります。

奥の山に見えるのは、岩国城です。橋を渡って10分ほど更に歩くと、城につながるロープウェイがあります。

錦帯橋の架かる両岸には食事処や甘味所が数軒ずつありますが、岩国寿司が食べられるお店もあるみたいです。岩国寿司とは、名物のレンコンや瀬戸内の新鮮な魚を入れ、押し寿司風に仕上げた山口県の郷土料理です。瓦そばが食べられるお店もあるようで、せっかくなので寄れば良かったと後から思いました。瓦そばとは、熱々に熱せられた瓦に茶ソバを載せて焼き、その上に牛肉、錦糸玉子、ネギをトッピングした山口県の名物です。ネギの上にはレモンともみじおろしが乗せられていて、見た目も面白い蕎麦です。発祥の地は下関で、山口県民皆に馴染みがあるのかは分かりません。自分も旅をしている時に、どこかの博物館で瓦そばの存在を知りました。西南戦争の時に熊本城を囲む薩軍の兵士が、長い野戦の合間に瓦を用いて野草や肉などを焼いて食べたという話をヒントにした下関で作られたそばです。

さて、錦帯橋を楽しんだ後は、西岩国駅に20分歩いて戻り徳山駅に向かいます。

17時半前に電車に乗り、岩徳線で1時間10分ほど乗って18時半に徳山駅に到着です。

今日は徳山駅のコミックバスターというネットカフェで一泊します。19時に入店して、今日の行程は終了です。

今日は宮島の定食屋のご飯が残念でした。旅先でのご飯で外れたのは今日が初めてではなく、先日の宇和島の鯛飯のお店もそうでした。しなびた料理に高いお金を払って食べるくらいなら、コンビニで缶ビールを買って飲んだ方が全然マシだと思うようになり、旅を続けていくうちにあまり食事処に寄らなくなっていきます。現地にしか出回らない物なら立ち寄って食べる価値がありますが、そうでなければ東京でも食べられます。お店しかり物産展に出店しているブースしかり。いい悪いではなく、そんな変化が旅をしていて起こりました。

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