山梨県の塩山の食文化と温泉にふれる1泊2日の旅② 甲州名物 岩波農園のころ柿のすだれと甘草屋敷

山梨県
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岩波農園

前回の記事の続きです。恵林寺を参拝した後は、近くにある岩波農園行きました。恵林寺から歩いて数分の距離、恵林寺の駐車場の隣にあります。

ここでは柿をの木に連ねて干して乾燥させる、甲州名物「ころ柿のすだれ」を見ることができます。

ころ柿の作業は11月から始まり、12月中までは写真撮影や見学ができ、外国人観光客を受け入れています。週末には観光バスが停まり沢山の人達が訪れます。

甘柿の販売(200円)。干し柿にするのは渋柿ですが甘柿も栽培しているようです。

そしてこちらがころ柿のすだれ

見事なころ柿のカーテンです。

皮を剥いた渋柿を紐でくくりつけ

干す前に硫黄を入れた熱湯で茹でて雑菌を消毒する硫黄燻蒸(くんじょう)という工程を経て、天日干しで乾燥させます。

柿の表面を殺菌することで、カビが生えたり黒くなったりするのを防ぐのだそうです。

山梨では甲州市や南アルプス市でころ柿が作られています。

販売用でなく個人で作る家が多いそうです。

晩秋を表す季語「柿暖簾(のれん)」としても知られている、柿のすだれ。

12月になると、軒下に干している柿を下ろして棚の上でさらに天日干しします。

乾燥して小さくなった干し柿に全体に陽の光が当たるように、ころころと転がすため、ころ柿といわれるようになったともいわれています。ころ柿は「枯露柿」とも書くので、一説でしょうが。

例年、軒下から下ろした干し柿を天日干しする棚が設けられるので、12月になるとさらに見応えのある光景になります。

ころ柿は武田信玄が広めたといわれています。美濃国から蜂谷(はちや)柿を甲斐に移殖し、干し柿の生産を推奨して、戦場での貴重な栄養源として、干し柿を陣中食として推奨したと伝えらえています。

干し柿を作る気象条件が適していたのもあり、現在でも名産品として作り続けられています。

ころ柿は、干すことで甘みが増え、また胃腸を良くし体を温める効用も期待できます。柿は体を冷やす食べ物なのですが、干すことで体を温める食材になり、昔の人の生活の知恵がうかがえます。

ころ柿は大きめの品種の柿を使い水分が20~30%になるまで乾燥させると、甘み成分が結晶化して白い粉が吹きます(比較までに、水分が50%くらいだと、あんぽ柿くらいの柔らかさになります)。そのため「枯露柿」と呼ばれ、常温で1ヶ月、冷凍で1年の保存が効くとされていますが、糖度が高いため冷凍保存しても凍りずらいのだそうです。

地元ではおせち料理のなますに入れたり、硬くなった干し柿を天ぷらにしたりして食べることもあるそうです。

この後バス停で地元のおばあちゃんと話す機会があり教えてもらったのですが、この年はころ柿が例年の3分の1しか採れなかったと言っていました。甘柿はよく成ったそうですが渋柿は少なかったそうです。

作ったころ柿は1箱千円前後で売るが、いい物は1万円近くするのだとか。いいころ柿を作るのは大変で、軒につるして干した後に紐をほどいて棚の上で手で揉んで干すのですが、雨が多いと腐ってしまうそうです。かといって晴れの日が多いと、それはそれで渋みが抜けず出来の悪い物になってしまうのだとか。

意外にも観光客の中には中国人が多く、甘柿を沢山買っていました。

11月上旬はまだころ柿ができておらず、販売していませんでした。12月の中旬か下旬には出来立てのころ柿を食べられるようなので、見学するのらその時期がよさそうです。

後日年末年始にスーパーで干し柿を見てみたら、東京のスーパーには山梨県産の枯露柿が売っていました。長野県産の市田柿よりも水分が少なく甘みがあり、富山県産の干し柿と食べ比べてみたら硬さや甘さは同じでした。

バス停近くにある八百屋

こちらにも干し柿がありました。

バス停の近くでは柿を紐で吊るして干している家が数軒あり、じっくり観たかったのですが、数ヵ所の家で犬が絶えず吠えていたので写真を撮るのは断念しました。

旧高野家住宅 甘草屋敷

12時前のバスで塩山駅に戻り北口に移動すると、武田信玄の銅像と甘草屋敷が駅から見えます。

冬になると屋敷の前にころ柿のすだれがかかるのですが、残念ながらまだ干していません。

旧高野屋住宅は名主の屋敷のようで、左右に長く伸びる切妻造の茅葺屋根の中央に二段の突き上げ屋根が設けられている、独特の造りになっています。

この屋敷は江戸時代に「甘草(かんぞう)」を栽培して幕府に献上していたことから、甘草屋敷と呼ばれています。甘草とは砂糖が広まる前の甘味料で、調味料や薬用に使われた生薬です。

甘草は漢方薬の7割に使われているといわれ、現在日本では年間1700トンを主に中国から輸入(2008年の統計では)しているそうです。食品にも使われることがあり、醤油・味噌・煎餅・チョコレート・塩辛などに使われているそうです。甘草の値段が上がっている近年、国内での生産に取り組む業者が増えています。

入館料310円払って中に入ると、座敷で甘草茶をいただけます。

ころ柿の天日干しはいつ頃なのかスタッフの方に聞いてみたら、15日からでした。例年11月の15日前後、中旬からころ柿のすだれを見ることができるそうです。

その頃には写真にあるように、屋敷の2階と庭先で干し柿を見ることができます。お茶請でころ柿をいただけるようなことも、散策ブログに書かれていました。

縁側

甘草の展示

階段で2階に上がることができ、昔の住民の生活用具を見ることができます。

手前の四角いのはあんかや炬燵。左の黒いのは瓦製。火種を入れて上から布団をかけて使っていたようです。

農作業や養蚕に使う道具も展示しています。

ちゃぶ台や食器

陶器製の枕と箱枕。江戸時代にも使われた箱枕は女性が髪を乱さないように横を向いて頭を置くために作られ、高くなっています。

初期のアイロンと火のし。どちらも炭火を入れてシワを伸ばしましたが、火のしは博物館や郷土資料館であまり見かけることがありません。

養蚕の説明。形だけ2枚のパネルを置いているように見えますが、解説が非常に分かりやすく、いい説明でした。

当時は大体の農家が米と麦の二毛作を行い、春は麦を刈って田植えをしてと忙しかったのですが、そんな春にあえて蚕を世話する人が多くいたのには養蚕が短期間でいい収入になったからと説明しています。

蚕の育て方や糸の取り出し方だけでなく、桑の栽培や刈り取りのことも書かれていて、短い説明ながら分かりやすく解説していていい展示でした。

こちらの展示からは繭1個から1,500mの糸が取れ、3,000個の繭で着物1着(1反)が作れ、蚕3,000頭が食べる桑は約100kgということが分かります。蚕は馬や牛と同じように一匹ではなく一頭と数え、大事に育てられたそうです。

甘草だけでなく養蚕についても知ることができる資料館でした。

主屋を出て敷地内を歩くと、地実棚(じみだな)があります。ころ柿やカチグリを干すために、切妻の屋根の南先の軒先を切り詰めたもので、秋冬の低い日差しでも2階の棚に陽が届くように造られています。

主屋の巨大な屋根の北側にあるにもかかわらず、日陰になることがいのだそうです。今では見られなくなった19世紀前半のものとされている建築物です。カチグリも現在では生産されていないそうです。

子ども図書館

外の通りと繋がっています。

絵本が沢山置いてあります。

一般的な農家の家

19世紀初頭のものとされ、大正2年頃にこの地に移転されたもののようです。

中を見学することができます。

静かな場所です。たまにJRの電車が通る音がしますが、車の音がなく静かです。

別の建物では厠や農具があります。

背負子(しょいこ)や

千歯こき、田打車(たうちぐるま)の展示も。田打車は前後に動かすことで鉄の爪が土を浅く耕し草を刈り、新鮮な酸素を土に入れて食物の生育がよくなる農具と書かれています。

馴染みがなく頭に入りませんでしたが、漢方薬の展示もありました。また毎年ひな祭りの時期には主屋に沢山の雛人形が並べられるそうです。江戸時代から現代の雛人形や雛の吊るしを見ることができ、桃の花を楽しんだ後に寄ってみるのもいいのかもしれません。

敷地内には売店もあり、お土産や特産品、地元で採れた柿が売っていました。

塩山駅に戻り、今晩の宿のある塩山温泉郷に向かいます。

次回に続く

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