神楽坂と月島の路地裏散策

東京都

2018年9月、東京の神楽坂と月島を散策しました。9月の頭に青春18きっぷを使って4泊5日の旅をしてから、旅の面白さを改めて感じ、いろいろと出かけてみようと思うようになりました。あいにく天気がそれほど良くなかったので、天候にそれほど左右されない路地裏を歩いてみようと思い、神楽坂と月島に行きました。

それでは本日の行程です。

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神楽坂へ

10:30飯田橋駅到着

10:37神楽坂散策

11:20珈琲店で一服

12:00袖摺坂

12:10牛込神楽駅発
12:33月島駅着

12:40月島の路地裏散策

散策時間は数時間と短いものになりました。折角いろいろな場所に行きたいと思うようになったのですが、あいにくの曇り空でした。ですので天候に関係なく気軽に行ける路地裏を少し散歩してみるだけの1日となります。

神楽坂の路地

10時半頃に飯田橋駅に降り、7分くらい歩いて神楽坂のメインストリートにやって来ました。神楽坂といえばフランス料理のお店が多いお洒落な街といったイメージがあります。フランスの語学学校があるためか外国人の人も少なくはなく、高級料亭やミシュランガイドの星付きレストラン、ホテル、呉服店、ギャラリーが軒を並べている、そんな街です。

そんな都会の街ですが、大通りを一本右に入っていくと車の通りのない静かな道になります。

2階の室外機や簾が普段とは違った光景に思えます。

段々道が狭くなってきます

この辺りは「かくれんぼ横丁」という場所のようです。

「かくれんぼ横丁」という名前の由来は、お忍びで花魁に遊びに来た人が、後を付けられても横道に入れば隠れることができることから名付けられたといわれています(諸説あり)。

この辺りは、かつては武家屋敷が並び大正時代は花街として栄えた歴史があります。

東京の花街には、柳橋・芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草の六花街がありましたが、柳橋の花柳界が消滅した後、向島を加え六花街と呼ばれるようになったそうです。柳橋は現在の両国と浅草橋駅の間あたり、芳町(よしちょう)は現在の日本橋人形町付近になるようです。

石畳や板塀がいい雰囲気を出してくれます。

民家もあり生活感があり、なんともいえない雰囲気です。

築70年の料亭 山路

2021年現在は、山路をフルリノベーションした一棟貸しのホテルTRUNK(HOUSE)になっています。2019年8月に開業しているようです。

写真の右は、手打ち蕎麦・鴨料理の文楽。2021年現在閉店しています。

紫の暖簾のお店は、海鮮の割烹 かねいち

天麩羅のお店 天孝

神楽坂でも最高峰、東京でも屈指の名店らしく、ハリウッドスターが来日した際にはお忍びで来るほどのお店のようです。

かくれんぼ横丁周辺を歩いた後は、兵庫横丁へ向かいます。

おそらく三年坂

「三年坂で転んだらすぐにその土を三度舐めないと三年以内に死ぬ」といわれていたそうです。

スナックなんかもある通り

ひと一人がようやく通れる幅の道もあります。

この辺りは兵庫横丁でしょうか

兵庫横丁は戦国時代に牛込城の武器庫(兵庫)があったことが名前の由来になっているようです。

イタリアンのお店

高級料理店がちらほらあります

懐石料理のお店 幸本(ゆきもと)

湯葉と季節料理 おいしんぼ 

杉玉がいい雰囲気を出しています。

江戸時代の面影と洗練された雰囲気がある通りです。

それにしても綺麗な路地です。都心らしさがあると言っていいのでしょうか。ゴミが落ちていません。

住民の方やお店を経営されている方の意識の高さが垣間見られます。

来た道を戻り大通りに出て

通りにある椿屋珈琲で一服します。

もっとゆっくり路地裏を歩いていろいろと観たかったのですが、観光地ではなく住宅地なので遠慮しました。人の家の横を歩くとなると気を遣います。

コーヒーで一息入れた後は月島に向かいます。牛込神楽駅に向かう途中、袖摺坂に寄ってみます。場所は地下鉄大江戸線の牛込神楽坂駅の近くです。

散策ブログで紹介されていることが多く、有名な場所なのですが期待外れでした。どこにでもあるような坂です。

牛込神楽駅から20分ほど電車に乗り、月島駅に向かいます。

月島の路地

月島といえば、いわずと知れたもんじゃ焼きの街ですが、いい雰囲気の路地裏がある場所としても知られています。東京にある有名な路地裏には、神楽坂・人形町・秋葉原・谷中・月島がよく知られています。神楽坂と月島は都営大江戸線で繋がっているので、乗り換えがなく一本で行くことができ、アクセスも楽です。

月島駅から隣の勝どき駅に向かって、壱番街・弐番街・参番街・四番街と商店街が続いています。それぞれの通りにもんじゃ焼き以外のお店がいろいろと入っていますが、シャッターが閉まっているお店も少なくありません。

商店街の合間にある路地

もんじゃ焼きのお店に挟まれた路地。ダクトや汚れた壁が昭和を醸し出していて、これはこれでいい光景です。

ちょっと歩いてみると、生活感が感じられる通りを目にすることができて面白いものです。

道路に植木鉢を並べているのも、下町の路地の特徴でしょう。

再開発が進む中、段々貴重になっている光景なのではないでしょうか。

月島といえば下町のイメージがありますが、その歴史は江戸時代ではなく明治になってから始まります。

現在の月島の辺りは幕末までは隅田川の河口でした。隅田川の河口に溜まる砂と小石だけの土地でしたが、1891年(明治24年)に埋め立てられて新しい島ができました。

砂や小石で島を築いたため「築島(つきしま)」と命名され、後に築地と区別するために「月島」と改名されました。

そうした理由で、月島の歴史は明治時代から始まっています。

そして佃島と月島の特徴といえば、戦災を免れたことでしょう。佃島と月島は都心にありながらも、奇跡的に空襲に遭わず戦災を受けませんでした。

そのため、今も昭和初期の家並みが残っています。歩いている時には見つけられませんでしたが、戦災を免れた東京の地域には手押しポンプ式の井戸が残されている場所もあります。

同じように空襲を免れた地域は、谷中・千駄木・向島(墨田区京島)・神田神保町などが知られています。

こういった光景もそのうち見られなくなるのかもしれません。

三番街

こちらはもんじゃ焼きのお店が結構開いています。

『文字焼き』からできたといわれているもんじゃ焼き。東京の下町で明治中期より発展してきました。

今では下町の食文化を代表するものの一つとして知れ渡っています。

以上、月島の路地裏を歩いてみましたが、楽しい所でした。もう少し足を伸ばして佃島の方に行くのもいいのかもしれません。佃島にも昔の面影を残す路地があるそうです。

路地に置かれた植木鉢や水の張った昔の甕、水槽などが生活感が感じられていい景色でした。人の家の庭を歩いているような感覚があり長居ができませんが、晴れた日の夕暮れ時に何気なくふらっと立ち寄ってみるのもいいのかもしれません。昭和の哀愁漂うなんとも言えない感覚や、どこか懐かしい感覚を味わえるかもしれません。

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