大原駅
前回の記事の続きです。9:28の電車で千葉県勝浦駅を出発し、大原駅にやって来ました。勝浦駅からは3駅、乗車時間は14分です。
いすみ鉄道に乗り換えて大多喜駅に向かいたいところですが、乗り換えが悪く50分ほど駅で待つことになります。駅から15分ほど歩けば海に着き大原漁港を見ることができます(天気が悪かったので見に行くのは止めました)。
大原付近の海は親潮と黒潮がぶつかる海域で、多種多様な魚が獲れ宝の海といわれてきたそうです。大原漁港の沖合には、器械根(きかいね)と呼ばれる日本最大級の岩礁や海中林があり、魚介類の生息に適した浅瀬があるのだそうです。面積は約120㎢、水深20mで、伊勢海老や鮑、サザエ、蛸が豊富に獲れるそうです。毎週日曜日には朝市も開催されているようです。
駅の売店には、そんな大原の良港で獲れる伊勢海老や蛸を使ったお土産が売っています。どちらも「房総イセエビ」「大原産真蛸」として千葉県のブランドに認定されているようです。和田浦や勝浦と馴染みの深い鯨の加工品も売っています。
地元で採れた野菜をつくだ煮のように煮たきゃらぶき。買ってみましたが、化学調味料で味付けしていないので、シンプルで優しい味がしました。添加物の入っていない煮物や漬物は意外とこういう場所の方が安かったりします。都内だとちょっといいスーパーに行かないと置いていなかったりするので、高くなります。
今回はサンキューちばフリーパスを使って旅をしていますが、この切符でいすみ鉄道や小湊鉄道を乗ることができます。上総中野駅で乗り換えれば、大原駅と五井駅を横断することができます。
さて、電車がホームに来たので大多喜駅に向かいます。
いすみ鉄道
10:39の電車で大多喜駅に向かいます。大多喜駅に着くのは30分後の11:09です。
車両は1両のワンマン。
中にはトイレがあります。
座席はほとんどボックスシートです。
大原駅から終点の上総中野駅までは14駅、所要時間は約50分です。
線路の両側は田んぼが広がり、その奥に住宅が見え、さらに奥に山々が見えます。
いすみ鉄道といえば、菜の花畑を走る電車の映像や写真がよくテレビや雑誌などで使われますが、菜の花の咲く3月中旬~4月中旬が特に人気のシーズンとなります。
シーズン中はほぼ全線にわたり菜の花の黄色いじゅうたんの上を走りますが、地元のボランティアが種まきや草刈りをして、手入れをしているのだそうです。一時は赤字が続き廃線の危機になったそうですが、経営難を乗り越え現在は春に人気のローカル線となっています。
あいにくの天気ですが自然豊かな場所を通るので、天気のいい日にはいい車窓を楽しめるのかと思います。左右田んぼに挟まれた単線を走っていく景色はいい眺めです。田んぼに水の張った時期や青々とした時期も、いい景色が楽しめるのではないでしょうか。単線特有の音でしょうか、ガタン、ゴトンと鳴る響きが心地いいです。
いすみ市は大原漁港の水産物が有名ですが、農産物ではお米や菜の花、梨やブルーベリーも有名です。お米はいすみ米の名で知られていて、1500年前から栽培され朝廷に献上されていたらしいです。
千葉県は意外にも、全国有数のお米の産地です。コシヒカリをはじめ、「ふさこがね」や「ふさおとめ」を栽培していますが、ふさこがねとふさおとめはどちらも千葉県独自品種です。温暖な気候に恵まれ、東日本のどこよりも一番早く田植えが行われ収穫され、新米が早く出回ることでも知られています。
そんな千葉県産のお米の中でも、多古(たこ)米・長狭(ながさ)米・いすみ米は千葉県のブランド米として有名で味がよく評判なのだそうです。
大原駅から30分ほど長閑な道を電車に揺られ、大多喜駅に到着します。
大多喜駅
千葉県夷隅郡大多喜町にある駅です。大多喜は城下町として栄えた土地で、駅から大手通りを歩いて城下町通りを歩くと、昔の蔵造りの建物が点在しているのを見ることができます。渡辺家住宅、伊勢幸酒店、釜屋、商い資料館などの建物がありますが、武家屋敷というよりは残っているのは商家のような気がします。急遽用事ができてしまい歩くのを断念しましたが、来た際には散策するのがおすすめです。大多喜駅の向かいの左側には観光案内所があります。
さて、ここから20分ほど歩いて大多喜城に向かいます。駅の改札を出て右に進むと、大手門が見えてきます。
門をくぐって線路を渡り
ひたすら坂道を上っていきます。
大多喜城は徳川四天王の中でも特に武勇の誉れが高かった本多忠勝が城主だったのもあり、大河ドラマの誘致運動をしているようです。
忠勝の武勇や人柄は広く知られていますが、関ヶ原合戦の翌年には伊勢国の桑名に異動しているので10年くらいしかいなかったようです。次男の忠朝は父に劣らぬ武勇といわれながらも、酒に不覚をとって命を落とした人物として知られています。
この道はメキシコ通りといいますが、400年以上前にメキシコ人の乗った船を助けたことから、日本との国交が始まり、そのように名付けられたといわれています。
江戸時代初期に、フィリピン総督の乗った船がマニラからの帰途で暴風雨に遭い、房総の御宿浜で座礁難破しました。その時に地元の漁民が遭難したメキシコ人を助け、食事や衣服、寝床を与えて世話したようです。その後、家康の命でメキシコまで無事返し、そこから国交が始まったようです。
それがあってか、明治になり列強との不平等条約が交わされていくなか、メキシコとは初めての平等な通商条約が交わされたといわれています。それが原因で、今でもメキシコの領事館だけは永田町にあるのだとか。
メキシコ通りにある夷隅川展望所。江戸時代は魚を取ることを禁止した川と書かれています。
途中右に曲がり坂道を上ります。
坂にはマムシ注意の看板もあります。
歩くこと約30分、大多喜城に到着です。
大多喜城
敷地には見晴らし台のような場所がありますが
それほど景色がよくありません。
大井戸や塀、石垣の説明は分かりやすくていいです。
塀には大きく分けて板塀と土塀があり、板塀は火災や鉄砲に役立たないため城ではほとんど土塀が作られていたようです。
安土城築城以降、各国の大名は城造りの際に石垣に最も注力し、安山岩・花崗岩(かこうがん)・片麻痺(へんまがん)が多く使われたそうです。
石の積み方は大きく分けて野面(のづら)積み・打込(うちこ)みはぎ・切込(きりこ)みはぎの三種類があり、この石垣は野面積みと打込みはぎの中間の方法で造られていると書かれています。
見晴らしのよい場所もあります。
天守閣の中には博物館があるので中に入ってみます。
入館料は300円。4階建てで1階は休憩所、2階は企画展、3階は常設展、4階は展望台です。企画展と常設展の一部は写真撮影禁止でした。
企画展では「鉄砲のあゆみ」を開催していて、火縄銃から回転式拳銃までの銃の変遷が見てとれました。夷隅郡大森村について記した1717年の史料には、百姓が猟のために火縄銃を所有することが認められていて、江戸時代のイメージが変わる展示がありました。
その他にも、明治になり郵便局ができると配達員が護身用に拳銃を携帯していたことを知れましたし、火薬や弾、弾薬を入れる小物や、火縄銃でつくるのが難しかったといわれたネジ、戊辰戦争で佐賀藩が使った最新鋭のスペンサー銃、スティックの仕込み銃などを見ることができました。
3階の常設展では刀や櫛の展示があります。
笄(こうがい)という髪を整える棒の展示があり、女性だけでなく武士も使っていたとあります。
被り物からはみ出た髪を整えたり、頭をかくときに使ったらしく、日常的に使うので刀のさやに収めていたのだとか。
傘の説明。一見なんてことのない展示ですが、竹で骨を作りその上に厚紙を何枚も貼り、柿渋や荏胡麻をたっぷり塗って防水加工を施したと書かれていて、いろいろと気になる展示です。
4階はほとんど展示がなく、展望室がメインです。
なかなか面白い博物館でしたが、それほど広くなく、直ぐに見終わってしまいました。
用事ができてしまったので駅に戻ります。
大多喜駅は変わった造りの駅で、上りと下りのホームがそれぞれ別にあります。
時間の都合上12:34の電車で新宿に戻りますが(15:47到着予定)、時間があれば上総中野駅からバスに乗って粟又の滝を観るのもいいのかと思います。隣の養老渓谷駅(小湊鉄道になります)から養老の滝を観に行くのもいいでしょう。紅葉の季節にはおすすめの散策ルートです。先ほども書きましたが、大多喜駅前から大手通りと城下町通りを歩いて散策するのもおすすめです。
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