山口県徳山駅の近くのネットカフェで朝を迎えます。旅22日目は大津島の回天記念館と秋芳洞に行き、山口県下関のネットカフェに泊まります。観る所は2カ所だけです。
それでは本日の行程です。
22日目の行程
7:40徳山港発(フェリー)
8:23馬島港着
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8:30回天記念館
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11:07馬島港発
11:25徳山港着
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11:56徳山駅発
12:38新山口駅着 42分
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13:15新山口駅発(バス)
13:52秋芳洞着
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秋芳洞
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16:40秋芳洞発(バス)
17:17新山口駅着
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17:33新山口駅発
19:40新下関駅着
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21:00新下関駅から離れたネットカフェで一泊
徳山港とフェリー
5時にネットカフェを出て、徳山港へ向かいます。今日はこれからフェリーで大津島に向かいます。
徳山港フェリー乗り場には実物大の人間魚雷の模型があります。
これから向かう大津島は人間魚雷の回天基地があった場所です。昨日に続き今日は70年前の戦争と関わりの深い場所に行きます。
今回の旅では戦争に関わる所は鹿児島県の知覧にも行きます。退職しているこういう時でないと観ることのない場所なので、立ち寄ることにしました。
5時にネットカフェを出たものの、フェリーの始発は7時半過ぎです。フェリー乗り場で朝の静かな海を見ながらのんびりと過ごします。
広島もそうでしたが、山口も朝は涼しく感じます。夏なので日中の陽の照っている時は暑いのですが、朝と夜は涼しいものです。風があり心地いいくらいです。京都のコインランドリーで話した人が「山口は夏でも風があって涼しい」と言っていましたが、その通りです。
徳山港からは貨物船が見えます。石油などのコンビナート群があります。
後で知ったのですが、周南コンビナートといって全国有数のコンビナート群が広がる場所でした。工場夜景が綺麗な場所としても知られているようです。知っていれば昨晩夜景を観に来ていたのですが、残念です。
7時半前にフェリーに乗り込みます。
フェリーは片道710円。大津島の馬島港で降りますが乗車時間は約40分です。
7:40になりフェリーが出港します。
周南コンビナートですが、ここは化学、石油・石炭、鉄鋼・非鉄金属など各種産業の基礎素材を製造する製造業(基礎素材型産業)が集積している場所です。
石油精製や石油化学、無機化学、鉄鋼やセメントなどの多彩な基礎素材型産業が集積していますが、周南独自の特徴としては、苛性ソーダの生産を軸とする無機化学と石油精製と連動した石油化学が融合したコンビナートで、多種多様な化学製品を生み出しているところです。
苛性ソーダは、アルミニウムや化学繊維、石けん・洗剤の原料として使用されたり、パルプの溶解や漂白、また、さまざまな工業製品の製造に使われています。さらには、上下水道や各種産業の排水処理、還元剤として使用されるなど、非常に幅広い分野で使われています。
明治時代に旧海軍の石炭燃料基地が設けられたことから始まり、大正と昭和にソーダ事業の会社ができますが、太平洋戦争(大東亜戦争)の空襲で徳山海軍燃料廠は壊滅します。戦後に、出光興産が跡地の払下を受け、周南石油コンビナートを形成した歴史があります。
40分ほどフェリーに乗り、大津島の馬島港へ到着です。揺れが酷くなく、船酔いの心配はない船でした。
大津島
ここから回天記念館へ向かいます。
港から回天記念館までは歩いて10分です。
奥に見えるのが、魚雷の発射実験場です。
壁のある道を通り、坂を上り記念館に向かいます。
自然豊かな場所です。歩いていると大きなハチやアブが真横を突っ切って行き、びっくりします。
この壁は住民から秘密を保持するために建てられたといわれています。
坂の先に記念館があります。
ここは兵舎のあった場所です。
回天記念館
8:30の開館を待ち、中に入ります。
回天
回天という名前は、「天を回らし戦局を逆転する」という願いから付けられた人間魚雷です。当時日本には、九三式酸素魚雷という世界でも最新の兵器がありました。当時の魚雷は発射されると海中に気泡が発生し、敵艦船に発見されるものでしたが、この欠点を解消したのが九三式酸素魚雷で、気泡がほとんど発生せず敵に発見されないものでした。爆薬(炸薬というらしいです)の装備量も米軍のものよりも多く、破壊力が高いものでした。その優れた九三式酸素魚雷よりも、約2倍の炸薬を搭載し、長く巡行するよう考えられたのが、人間による手動の魚雷である回天です。人が魚雷を操作し性能を上げることで、更に強固な兵器となりアメリカに対抗できると考えられました。
回天は巡行し燃料が消費されると浮力が増加し、本体が海上に出てしまいます。それを防ぐために、機体にある海水タンクに手動で海水を注入しながらバランスを取る必要がありました。一度走行すると停止することができず、見えない海の中、海面に浮かばないように、海底に突っ込まないようにと操縦するのは非常に難しく、訓練中の事故も頻繁に起きました。
回天の配置図
訓練の難しさ
資料館を見た後は、訓練場に向かいます。奥に見えるのが整備工場です。
炊事場のある整備工場と兵舎を繋ぐ階段です。
トンネル
フナムシが沢山います
静かな場所です
時が止まっているかのような、忘れ去られてしまっているかのような、寂しさを感じる場所です。
いろいろなことを思いながら、帰りのフェリーを待ちます。
徳山港に戻ってからは、JR徳山駅から新山口駅に向かいます。電車で約40分です。
新山口駅からはバスに乗って、秋芳洞に向かいます。日本最大のカルスト台地で知られる秋吉台が秋芳洞の近くにありますが、時間の都合上行きません。バスは片道1170円、乗車時間45分くらいです。
バス乗り場から鍾乳洞までの通りには、お土産屋が並びます。バス乗り場の近くで1200円払ってから、敷地に入って行きます。
秋芳洞
小川の流れる道を歩くと、鍾乳洞に到着です。木々に囲まれた、空気の綺麗な場所です。
秋芳洞
秋吉台国定公園の地下100m、その南の麓にある日本屈指の大鍾乳洞です。約1kmの観光コースが続き、温度は四季を通じて17℃で一定しています。夏は涼しく冬は温かく快適に観光できる鍾乳洞として知られています。
入り口付近は特に水が澄んでいて、とても綺麗です。
中へ入ってみます。
ひんやりとした道を光を頼りに歩きます。
百枚皿
正直期待していませんでしたが来てよかったです。わざわざバスで行くのもなと、何度も行くのを止めようかと思っていましたが、中に入ってみると素晴らしいの一言です。
綺麗な水に、広い道に、高い天井に
幻想的な壁やつらら
幻想的というのか、神秘的というのか、そんな場所です。
さすが山口県を代表する観光地です。
見応えのあるいい場所でした。
16:40のバスで新山口駅に戻り、JRで下関方面に進みます。途中、両親の実家のあった場所を通ることになったので、駅で降りて近くを散策しました。今の自分には馴染みがなく、この先も縁のない場所ですが、立ち寄る機会があったので寄ってみました。
宇部駅で寄り道してから、新下関駅に向かいます。
赤茶色の瓦屋根の家をちょくちょく見ます。ベンガラ(弁柄)の瓦でしょうか。ベンガラは顔料で、絵の具や染織り、陶磁器や漆器の他に防腐剤など、多様な用途に用いられました。岡山県の中国山地にある吹屋が、日本唯一のベンガラの一大産地だったのですが、化学顔料が開発されるまでは吹屋がベンガラを独占し繁栄しました。九谷焼や伊万里焼、輪島塗などの日本を代表する工芸品に使われただけでなく、社寺をはじめとした建築にもベンガラは使われたので、日本の文化と深い関わりのある顔料です。旅をしている時には知りませんでしたが、吹屋には瓦屋根や建物の漆喰壁、窓の格子もベンガラの赤銅色に染まった、当時の面影を残した街並みがあり、観光におすすめです。
※訂正です。赤茶色の屋根は石州瓦という中国地方では江戸時代から馴染みのある瓦です。弁柄は顔料なので、壁に塗られるものです。石州瓦については、旅30日目の前の方に書いています。
19時半過ぎに新下関駅に降り、今夜の寝床に向かいます。今夜泊まるネットカフェは駅から離れた場所にあり、25分ほど歩きます。
駅からのアクセスは良くないのですが、ネットカフェの隣にコインランドリーがありので、洗濯も一緒に済ませられて便利です。21時過ぎにネットカフェに入り、今日の予定は終了です。
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