【旅26日目】後半 佐賀県日本を代表する古代遺跡吉野ヶ里公園へ

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吉野ヶ里公園

13:03の電車で熊本駅を出て、14:07に吉野ヶ里公園駅に到着します。これから15分ほど歩いて、吉野ヶ里公園に向かいます。

右に田んぼ、左に畑が続く一本道を歩きます。晴れていると日差しを遮る建物がないので、ちょっと辛いです。

駅から歩くこと約15分、吉野ケ里遺跡に到着です。

吉野ヶ里歴史公園
弥生時代の大規模な環壕集落を約100棟復元して、当時の暮らしを再現していいる場所です。園内は、入口ゾーン、環濠集落ゾーン、古代の原ゾーン、古代の森ゾーンの4つのエリアに分かれています。園内は広大でその広さは、東京ドーム22個分の広さがあります。入場料は420円。

入口ゾーンにはレストランや売店、ミニシアターがあり、古代の原ゾーンには遊具で遊んだりスポーツやバーベキューのできる広場があります。古代の森ゾーンには弥生時代の森に近い植物を植えている場所や、甕棺墓が並ぶ場所、植物を使った体験のできる場所があります。そしてメインの環濠集落ゾーンには、弥生時代の集落を復元した広場や展示室があります。

入り口近くの館内で荷物を預けるロッカーを探しますが、大きなリュックが入るものが見つかりません。館内の方が教えてくれたのですが、入口インフォーメーションで預かってもらえます。200円で預けられるので、コインロッカーよりも安く済みます。

荷物を預けて身軽になったので、早速環濠集落ゾーンを観てみます。

ここの凄さは、弥生時代の遺構遺跡が600年分残っているというところです。弥生時代前期(紀元前2~3世紀)、弥生時代中期(紀元前2世紀~紀元1世紀)、弥生時代後期(紀元2~3世紀)に渡る600年間の遺構があり、ムラからクニに発展していく過程が分かるのが、歴史的に重要な遺跡と言われる所以です。旅をした当時はそこまで凄い遺跡だとは知りませんでしたが…。

復元された集落に入ってみましょう。

敵の侵入を防ぐ杭(逆茂木)と環濠があります。

逆茂木(さかもぎ)の説明

弥生くらし館に入ってみます。

資料館というよりは、ここで体験できることを説明している場所でした。

外に出て集落へ向かいます。園内からはビル群がほとんど見えないので、雰囲気があります。1800年前もこんな感じだったのでしょうか。それとももっと木々が茂っていたのでしょうか。

外には再現された丸木舟が

南のムラに来ました。

吉野ヶ里集落で一般の人が住んでいたと考えられている場所です。田んぼや畑の農耕をしながら、生活に必要な道具を作っていた場所です。

この階段は気になります。当時は梯子のようなものしか作れなかったと思うのですが、管理・維持しやすいために現代風の階段を取り付けているのでしょう。

弥生時代にも絹が存在し、ずでに九州の北部では養蚕が行われていたようです。6月~8月には田んぼの仕事以外に養蚕が行われていたようです。

集落を出てからは、物見やぐらの見える方へ歩きます。

それにしても広い敷地です。

蔵と市のあった場所へ来ました。

盛大な市が開催されていたと考えられる場所です。国内からの特産品が集まるだけでなく、海外との交易で手に入れた物も取引されていたようです。敷地内には、取引する品々を保管する倉庫が並んでいたと考えられています。

見張り台

原料の倉

海外との交易では、貨幣や鉄板を輸入していたようです。当時の日本には鉄そのものを作り出す技術がなかったと考えられており、半島から鉄板などを輸入してそれを加工していたようです。

武器倉庫

弥生時代の染料の色は、赤と黒の二色が一般的だったのでしょう。

赤は辰砂(しんしゃ)という水銀を含んだ鉱物を染料としたのでしょうが、黒の染料は墨でしょうか。魏志倭人伝に男性は顔に入れ墨をしていると書かれているので、墨は当時既にあったのでしょう。紙に文字が書かれていますし。

墨の作り方を調べてみると、松や植物油、菜種油などを燃やして集めた煤(すす)に香料と膠(にかわ)を溶かしたものを混ぜ合わせて作ると、あります。原料を練り込むようにして混ぜ合わせるのですが、出来たばかりの墨はゴムのように柔らかいそうです。膠(にかわ)は動物の皮や骨、腱などから抽出した物質で、高級なものでは鹿、通常は牛や豚、羊、ウサギなどから取ったようです。動物から取った膠を使っている訳で、墨は香料を入れないと臭くてたまらないらしいのですが、弥生時代に気軽に使える香料があったのでしょうか。昔は天然香料の甘松末、白檀、丁字、龍脳、梅花、麝香を使ったらしいのですが、どれも作るのに時間がかかりそうな高価なものだったと考えられます。

ついでに香料について説明すると、甘松末は調べても分かりませんでした。読み方すら分かりません。白檀は「びゃくだん」といい、インド由来の仏教と関わりの深い香料です。香木や線香に使われたり、扇子の骨に使われ、扇ぐと香りが出るものでした。丁字(ちょうじ)は今では香辛料として馴染みのあるクローブのことで、紀元前3世紀にはすでに大陸の皇帝の口臭を消すものとして伝わっていたようです。龍脳(りゅうのう)は中国やヨーロッパで頭痛や歯痛を和らげるために使われた香料で、スマトラ島やマレー半島で採れるものです。梅花は平安時代に貴族が梅の実と蜂蜜を練り合わせて作った線香です。そして麝香(じゃこう)は雄のジャコウジカの腹部にある分泌物を乾燥させた香料で、最も高価な香料といわれています。

どれも高価で高位の者しか使うことができなかったのではないでしょうか。それに時代も弥生時代の後に流通するようになったものが多いと思われます。大量の盾や鞘に墨が使われていたとなると、膠(にかわ)の臭いがきつい墨を塗っていた職人がいたということになります。その辺のことも本を探して読んでみたいです。調べると自分の知らないことが沢山出て来て、興味が尽きません。

納税された稲穂の倉

お供え物の倉

これだけ高いということは、湿気だけでなく水害からも大事なものを守ろうとしたのでしょう。

物見やぐら

登れるように階段になっていますが、図にあるように、当時は梯子だったのでしょう。

門。鳥が数匹止まっています。

大規模なⅤ字型の溝

入り口の堀とは比べ物にならない規模からして、この場所が要所だったことが分かります。

物見やぐらに上ってみます。

大人(だいじん)の家(確か…記憶が曖昧です)。

大人(だいじん)とは、兵士から受けた報告を判断して揉め事や祭りなどの行事の裁定を下す人のことです。

先ほどもありましたが、門に鳥が2、3羽乗っています。

弥生時代は、鳥は稲などの穀物の霊を運んでくるもの、悪霊から守ってくれる神の使いと考えられていたようです。建物の屋根の上ににも、鳥が止まっています。

近くの資料館(展示室)に入ってみます。

ここでは焼き物について説明されています。

焼き物といっても、生活に使うものだけでなく、死体を収める甕棺も作っていたようです。

吉野ヶ里遺跡からは3,100基以上の甕棺墓が発見されているというのですから、やはりここは凄い場所なんですね。

猪と豚の違いの説明も

野生の猪を家畜にしたのが豚だというのは、旅の1日目に行った登呂遺跡でも知りましたが、豚は中国大陸から持ち込まれたようです。野生の猪が豚に家畜化される過程を示す骨は、現段階では見つかっていないということが、書かれています。

外に出て、甕棺墓が埋められている様子を見てみます。

甕棺とは棺桶のことですが、これは弥生時代の九州北部だけに見られるものです。吉野ヶ里遺跡では長さ600mにもわたって2列の埋葬された甕棺墓列があり、その規模からこの地にあったクニがいかに大きかったか知ることができます。

北墳丘墓保存館という展示室に入ってみます。

墳丘墓とは、土または石を積み重ねて丘のような形(墳丘)とした墓です。吉野ヶ里遺跡のホームページによると、吉野ヶ里遺跡の北部に位置する北墳丘墓は弥生時代中期前半~中頃にかけて造られ、南北約40m、東西約27mの長方形に近い形態で、その高さは4.5m以上あったと考えられているようです。

遺体と共に甕棺に収められた装飾品についても知ることができます。

想像以上に敷地が広く、展示物を見ていると時間が無くなってしまいました。

園内を割と早く歩いて移動しますが、それでも1時間半はかかります。早足で見て回ったのが、残念です。時間をとってゆっくり観るのがおすすめです。

見応えのある遺跡でした。

急ぎ足で吉野ヶ里公園駅に戻ります。

吉野ヶ里公園を観て今日の観光は終了です。あとは約3時間かけて長崎駅へ向かいます。乗り換えによる電車の待ち時間はないのですが、移動に3時間もかかります。

駅にあった豪華列車のポスター。3日前に大分駅で見た列車です。

今回の旅で佐賀県で観る場所は吉野ヶ里公園の一カ所のみです。旅をする前は吉野ケ里遺跡以外、特に他の場所に興味を持てませんでした。嬉野温泉が有名ですが、温泉は体がかゆくなりやすい体質だったのと、温泉を旅のスケジュールに入れてしまったらキリがないので、道後温泉以外は行かなと決めていました。

思い込みで佐賀県には大した観光地がないと思っていましたが、後から調べたり自分の興味が広がると、佐賀には魅力的な観光地があることに気づきました。祐徳稲荷神社や唐津・伊万里はこの先佐賀県に旅行する機会があれば、是非とも行ってみたい場所です。祐徳稲荷神社は懸造の本殿が立派な神社ですが、佐賀駅と長崎駅の間にある肥前鹿島駅からバスで15分で行けるので、割とアクセスのいい場所です。奥の院まで続く雰囲気のある石段を登って参拝したり、お土産屋の並ぶ参道を歩いてみたいものです。

有明海

唐津・伊万里の散歩も魅力的です。見所は、唐津城に城下町の石垣の散歩道、和風建築を楽しめる旧高取邸に伊万里の大川内山、更には鍋島藩窯公園に伊万里・有田焼伝統会館と、楽しそうな場所が結構あります。改めていつか行ってみたいものです。

さて電車に乗ること3時間、ようやく長崎駅に到着です。路面電車に乗り換えて長崎駅から思案橋駅に向かいます。乗車時間12分、運賃120円だったかと。

着くまでは全く知りませんでしたが、思案橋は歓楽街でした。肌をあらわにした若い女性が何人も通りに立っていていました。大きなリュックを背負っている自分には、全くの場違いの場所です。21時頃、サイバックというネットカフェに入り今日の行程は終了です。

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