【石川県】辰巳用水を巡る金沢散策③石川県立歴史博物館(電車日本一周補完の旅11日目③)

石川県
スポンサーリンク

石川県立歴史博物館の辰巳用水

前回の続きです。

辰巳用水については、兼六園の裏の方にある石川県立歴史博物館の敷地でも知ることができます。

こちらは辰巳用水で使われていた石管を再現したものです。

説明板には、水路自体は10km余りあり3分の1が隧道(ずいどう)、トンネル、で難工事だったが1年足らずで完成し、掘削事業は加賀藩の秘密とされた、と書かれています。

逆サイフォンの原理で造られた辰巳用水は、兼六園の辺りから約11m下がって8m上がる延長640mの水路で、水が一旦下がってから上がる構造は管に大きな負担をかけます。
出典:『図説石川県の歴史』

そのため、建設当初の木の管は江戸時代後期に石管に替えられました。

富山県の南砺市(なんとし)の金屋石(かなやいし)が使われ、石工(いしく)が繋ぎ合わせて、棕櫚(しゅろ)と松脂(まつやに)を用いて水が漏れないように細工したようです。
出典:『辰巳用水を守る』

金沢城の辰巳用水の石菅は、明治44年(1911年)に百間堀を道路に改修した際に破壊され、石菅は全て消失したため、詳しいことは分かっていません。
現在は工事の際に出土した石菅が各地に保存されているだけです。

説明板には板屋平四郎のことが町人と書かれていますが、当時最先端の卓越した技術を用いて辰巳用水を造った板屋平四郎は、相当土木技術に明るい人物だったと思われます。
これほどの大偉業を成し遂げたにもかかわらず、その後の彼の消息は知られていません。
当時城の水路に関することは最高機密だったため、秘密保持のため殺されたと言われています。

こちらの再現された辰巳用水の石菅は、以前は12時や1時、2時など丁度になると放水していましたが、訪れた時は残念ながら設備不良で観れませんでした。

石川県立歴史博物館の展示

さて、辰巳用水の話はここまでで、後半は武家屋敷や茶屋街をご案内します。
せっかくなので石川県立歴史博物館も少しご紹介しましょう。

こちらの博物館は、入館料が300円、隣の加賀本多博物館との共通券が500円と良心的な価格で、展示は見ごたえがありいい博物館でした。

レンガ造りの外観も博物館の見どころです。

展示ですが、山岳信仰で知られる白山信仰や加賀の一向一揆、税として納める特産物の展示が個人的に面白かったです。

北前船の展示

航海に関する技術の発展も興味深いです。航海術や造船など

石川県の変遷

昔は福井県も同じ県でした。

また加賀藩士は明治維新後の北海道移住者が多かったことも興味深かったです。
城下町だった加賀は人口の約半数が武士だったため明治時代は町の景気が悪くなり、北海道への移住が推奨され全国でも有数の400戸が移住しました。

そして特に印象的だった展示が、日露戦争の捕虜約6000人を石川県の兼六園や寺院などに収容し、高価な食材を使った食事を配り、市中の散歩も許可していたといったものでした。
欧米諸国の支持を得て戦争を有利に進めるため、また不平等条約改正に向けて文明国とみなされたいという意図があり、国際法規以上の待遇を与えたのだそうです。

祭りや芸能の展示もボリュームがあり見ごたえがありました。

加賀本多博物館の展示

こちらはかなりマニアックに思える展示でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました