【旅26日目】前半 熊本県難攻不落の名城熊本城と水前寺公園へ

日本一周

熊本城近くの花畑町にあるネットカフェで朝を迎えます。旅26日目は熊本城と水前寺公園・出水神社を散策し、佐賀県の吉野ケ里遺跡に行きます。それから長崎まで移動して、長崎駅の近くのネットカフェで一泊です。

それでは本日の行程です。

スポンサーリンク

26日目の行程

8:30熊本城

10:40出水神社、水前寺公園

13:03熊本駅発
14:07吉野ヶ里公園駅着

14:30吉野ヶ里公園

17:11吉野ヶ里公園駅発
20:07長崎駅着

21:00思案橋のネットカフェで一泊

6時半にネットカフェを出て熊本駅に市電で戻ります。泊まった花畑町駅はこれから向かう熊本城に近いのですが、城が開く8時半まで1時間半も時間があるので、熊本駅のコインロッカーに荷物を預けて時間を潰します。

花畑町駅から熊本駅までは12分160円だったかと。車と並走する路面電車が新鮮です。

大きなリュックを駅のコインロッカーに預けてから、牛丼屋で朝食を軽くとりカフェでゆっくりします。

8時過ぎにお店を出て再び路面電車で花畑町駅に行きます。8:08の電車で花畑町駅へ。駅から熊本城までは歩いて5分です。

桜の小路

楽しめそうな場所です。城の帰りに寄ってみます。

熊本城に到着です。

熊本城

熊本城
大坂城・名古屋城とともに日本三名城と呼ばれている城です。戦を想定した様々な防衛機能を備えている城で、敵の侵入を防ぐために大きく反り返った急勾配の石垣「武者返し」は特に有名です。

瓦の小端立てでしょうか。たまに見ますが「こばたて」というそうです。瓦を縦に隙間なく埋めて、そこを道にしたり、意匠を凝らしたデザインとして道に隙間を作って埋めたりするものらしいです。

闇り通路(くらがりつうろ)を通って天守閣に向かいます。

闇り通路(くらがりつうろ)は、本丸御殿の床下にある石垣でできた地下通路です。この道を通ると本丸に抜けられます。これは熊本城独自のものらしく、ほかの城や御殿では見られないようです。

本丸が見えてきました。

立派な城です。

熊本城は鉄壁の城と言われていますが、実際に明治時代前期に勃発した西南戦争で薩摩軍の攻勢に50日超のあいだ籠城し耐え抜きました。西郷隆盛がこぼした「わしは官軍に負けたのではなく清正公に負けたのだ」という言葉は有名です。

城内の各所にあるパネルが分かりやすいです。

これまで見てきた城や旅を通して見た城の中でも熊本城内のパネルは充実しています。一番といってもいいのかもしれません。

堀に土砂が溜まらないように、水の流れを作る仕組みが解説されています。

こんなパネルも珍しいのでは

祈祷のため通路や城内の構造を知ってしまった山伏が、切り殺されたことが書かれています。こうしたことは珍しいものではなく、城を造った技師が抜け道や井戸の場所などの機密情報を知ったために築城後に殺されることはありました。どこの城だったか忘れましたが、城の石垣を登りきれたら賞金をあげると言われ、腕に自信のある者が石垣を登りきったら、他国に城の石垣を登るコツを言い触らされたら困るとのことで、殺してしまったという話もあります。観光地では歴史の影の部分というのでしょうか、そういったものを隠している場所が大半ですが、ここではきちんと説明していて好感を持てます。

濠や石垣の説明のパネル

熊本城の地が地盤が弱かったことが分かります。

細川藤孝の説明。加藤清正と同じように熊本の地に関わりのある戦国大名です。

当代随一の教養人として知られている細川藤孝ですが、武芸百般に通じた人物でもありました。剣術・弓術・弓馬といった武芸の素質が高く、腕力もあり突進してきた牛の角を掴み投げ飛ばした逸話があるほどです。料理や水泳の腕前も良かったようです。小姓が狂い騒いでも、「戦になれば命を落とすのだろう、可哀想に」と一切咎めない温厚な人柄だったという逸話もあります。

意外と知らない人も多いのでは。自分も天守閣は城主が住む場所か展望台を兼ねた部屋かと思っていました。生活する場所と思っていましたが、武器の倉庫だったんですね。

財政再建策として検地による増収が書かれていますが、それまでは豪族の反発があってきちんとして検地ができなかったのでしょうか。佐々成政が統治に失敗したように、熊本は治めにくい土地だったことも知られています。

横井小楠も熊本に馴染みのある人物です。

横井小楠は坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟に高く評価された人物として知られています。

天守からの眺め

分かりやすいパネルだけでなく、調度品なども展示されています。展示物の量が多く、見応えのあるお城です。

加藤清正による土木事業をはじめとした熊本の統治、藤孝後の細川家による治世、明治維新の細川家、西南戦争と、区切られて説明されています。

再現された城内

昭君之間(しょうくんのま)

壁や襖などに中国前漢の時代の悲劇の美女、王昭君(おうしょうくん)の物語が描かれています。

「昭君之間(しょうくんのま)」という名前は、実は「将軍之間(しょうぐんのま)」の隠語で、加藤清正が豊臣秀吉の遺児である秀頼を熊本城に迎え入れるために用意した部屋だという説があります。

徳川家康の治世を認めつつも、終生豊臣家への忠誠を誓い続けた加藤清正の死因は毒殺ともいわれています。

展示物が豊富でしたが、熊本城は本丸ゾーンの他に二の丸ゾーン、三の丸ゾーンがあります。じっくり歩いて見ると1日かかるくらい、見所のある城です。

熊本城のシンボルにもなっている大銀杏の木。熊本城は「銀杏城(ぎんなんじょう)」ともいわれていますが、通説によると籠城戦になった際の非常食を確保するために銀杏の樹が植えられたとされています。

この城の面白い所は、「食べられる城」と言われている所です。銀杏だけでなく、籠城戦を予期して城内に食糧が隠されています。畳の芯に藁の代わりにサトイモの茎(ずいき)が使われていたり、城壁には干瓢が塗りこんでいたりしているのです。二条城のパネルにもありましたが、城の中には食べ物をはじめとした有益な植物が植えられています。この辺のことは別館で書くので、興味のある方はみてみてください。こちらです(準備中)。

熊本城をじっくり見た後は、桜の小路に寄ります。

桜の小路

江戸時代の城下町を再現した、23店が軒を連ねるお食事処やお土産屋がある所です。ここでしか手に入らないお土産が多いようです。

山うにとうふ

800年前、豆腐を長期保存するために、平家の落人によって生み出されたといわれている、豆腐のみそ漬けです。発酵・熟成させた豆腐は「うに」を想わせるような食感と風味のようです。

写真の左にあるのは、生うに丼のお店

旅の後に知ったのですが、熊本の天草西海岸で水揚げされるうには有名な熊本名物です。天草は海産物が豊富で、その良質なエサを食べたウニは、濃厚なのだそうです。生うには殻から取ると身がとろけてしまうので、流通させる時にはミョウバン処理をして固めています。そうした処理をせずミョウバンの臭いにがっかりすることなく、生うにを食べられるので人気にようです。ウニといっても、種類によって旬が違い、3月上旬に解禁されるのがムラサキウニで、6月~9月は赤ウニ、10月~2月はガンガゼウニがあります。秋にはバフンウニも採れ、1年を通してウニが採れるのは、日本では天草だけのようです。そんなウニの産地なので、ウニコロッケも人気なのだとか。

からし蓮根やいきなり団子(サツマイモの入った団子)もお土産に人気みたいです。からし蓮根は、熊本藩主の細川忠利が病弱であり、健康増進のためによく食べたのがきっかけで、熊本藩の栄養食として門外不出の食品となったといわれています。

熊本城周辺を観た後は、市電の路面電車で水前寺公園駅に向かいます。乗車時間20分160円だったかと。

出水(いずみ)神社への参道を歩きます。水前寺公園内に出水神社があります。

水前寺公園

水前寺公園
正しくは、水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)といいます。江戸時代の熊本藩主細川家の大名庭園です。阿蘇の伏流水による池を生かした回遊式庭園で、熊本市を代表する観光スポットとして熊本城とともに訪れる人が多い所です。

水の綺麗な庭園です。

まずは神社に参拝です。出水(いずみ)神社と言います。

出水(いずみ)神社
熊本藩の歴代藩主を祀るために、明治になってからかつての家臣らによって創建された神社です。西南戦争で一体焼け野原になった場所から、建てられました。

手水屋の隣に、長寿の水があります。

阿蘇火山の硬水らしく、土臭さのない優しい味で美味しい水でした。

稲荷神社

水の綺麗な素晴らしい庭園です。水前寺成趣園の池は阿蘇の伏流水から造られ、湧水は1年中を通して約18度に保たれているようです。

細川忠利公(左)と細川藤孝公(右)の銅像

水前寺菜

園内には水前寺菜が植えてあります。和え物やお浸し、天ぷらにして食べるようです。

瓦の小端立て

水前寺のり
熊本で昔から栽培されてきた淡水の海苔です。全国でも珍しく、九州の一部でしか生息できない稀少なものであり、絶滅危惧種にも指定されているようです。現在自生しているのは、福岡県の朝倉市甘木地区の黄金川のみなのだとか。

養殖に成功して一部高級料亭に流通されているようです。また水前寺のりにはサクランというヒアルロン酸の10倍の高い保水力のある物質があるようで、地元の医薬品や化粧品にも提供されているようです。

古今伝授の間

細川藤孝公が桂宮智仁親王に古今和歌集の解説の奥義を伝授したことから、古今伝授の間と呼ばれています。かつては京都御所内にありましたが、大正元年に水前寺成趣園に移されました。

抹茶とお菓子のセットを頼むと、「加勢以多(かせいた)」というお菓子を食べることができます。江戸時代における細川家(肥後藩)への献上品で、その製造法は門外不出とされていた歴史のあるお菓子です。熊本県内の限られた場所でしか販売されませんが、東京文京区にある肥後細川庭園でも提供されています。日本一周の旅を終えてから数年後に肥後細川庭園に行った時に、初めてこのお菓子のことを知りました。細川家の家紋が焼き付けられています。

2018年東京文京区にある肥後細川庭園での写真

肥後細川庭園の記事はこちら

水前寺公園を散歩した後は、参道を歩き市電で熊本駅に戻ります。

定食にスイカが付くのは熊本らしいですね。さすが全国一位の生産量を誇るだけあります。熊本のスイカは濃密な甘さが特徴ですが、一般的なスイカが1株から2~3玉収穫されるのに対して、熊本のスイカは1株から1玉しか収穫しないので他の産地のものよりも甘くなるのだとか。

市電一日乗車券。覚えていませんが、おそらくこれを買って市内を移動したと思います。

13時過ぎに熊本駅を出発して、吉野ケ里遺跡に向かいます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました