水戸偕楽園
前回の続きです。入場料300円払って偕楽園に入ります。
偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ日本三名園の一つとして知られている、日本庭園の中でも有名な庭園です。江戸時代後期、水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園され、園内には約100品種・3,000本の梅が植えられています。
偕楽園という名称は「領民と偕に(ともに)楽しむ場」にしたいという斉昭の希望から名付けられており、江戸時代は毎月三と八の付く日に領民に開放されていました。斉昭の意向を汲んだ伝統が守られ、以前までは偕楽園は日本三名園のなかで唯一無料の庭園でしたが、2019年の秋からは茨城県外からの観光客は300円払うようになりました。
時間がないので見れませんが、偕楽園の外にある、線路を挟んだ千波湖の方にも梅林があり、沢山の梅を楽しむことができます。
梅林
さて、中に入ると綺麗な梅が並びます。
写真が下手でなのでうまく撮れませんが、自分の目で見ると迫力があり見応えがあります。一度訪れてみる価値があると思える場所です。
梅の名所といわれるだけあり、素晴らしい梅園です。一人で観るのは勿体なく、好きな人と綺麗な光景を共有したいと思える場所でした。
コロナ禍なので遠慮しますが園内には売店があり、甘酒が売られていたり、お土産の試食があったりと、所々休憩できるようになっています。
孟宗竹林 もう一つの偕楽園の見所
梅林を観た後は敷地の奥にある竹林や見晴らし台の辺りを歩いてみます。偕楽園の見所は梅林だけではありません。
オカノザサ
ササと名がついていますが竹の仲間で、国産では最も小型の竹と書かれています。
杉の木
燃料として用いるために植えられていたと考えられます。偕楽園は梅もそうですが、実用的な植物を意図的に植えられていたといわれています。園内には松の樹が結構植えられていますが、松は明かりの燃料になり、薄皮は脂肪分やたんぱく質を含んでいて食用になり、また松の脂は止血薬になります。災害や戦争が起きた時のために、実用的な植物を植えていたのです。
竹林
竹も実用的な植物で、根は食用の筍に、幹は堀や槍などの武器にもなります。
そして梅も観賞のためだけでなく、実用を兼ねて栽培されていました。実用面での梅は、疲れた体を回復させるものとして、また唾液を分泌させることから喉の渇きを癒すものとして、戦国時代から重宝されてきた歴史があります。戦場や災害時の食中毒防止の役割も期待され、携帯食や携帯薬として、戦国時代から重要な戦略物資として用いられていました。ついでに、観賞としての梅は、雪の降る寒い冬にも花を咲かすことから、松と竹と併せて「松竹梅」として慶事・吉祥に用いられてきました。
梅の苗木畑
外部から梅の苗木を導入すると病害虫が入ってくるため、偕楽園では自園で梅の苗木を栽培しています。
吐玉泉(とぎょくせん)
周囲の湧水を高さ3mから落として、その落差を利用して噴出させています。江戸時代は茶の湯に使われていたそうです。この辺りは湧水が多く(1日100トン)、それらを桝に集めて落としていますが、この水は眼病に効くといわれてきたのだそうです。
石は常陸大田市の真弓山から運ばれた寒水石(かんすいせき)といわれる大理石で、現在のものは開園当初から数えて4代目なのだそうです。
見晴広場
園内には芝生の展望台があり、ゆっくり休める場所があります。
売店が数ヵ所あり、お土産の他にお弁当や甘酒、スイーツなども売っています。
水戸乃梅ふくゆいの百年梅酒
梅酒の中でも有名で、お土産にもおすすめです。一口飲みたかったのですが、コロナ禍なのでまたの機会にします。
見晴広場付近は松と梅の木が植えられていて、こちらでも梅の花を楽しむことができます。
近くに好文亭があります。混雑していたので入るのは辞めましたが、なかなか見所のある建物です。写真が古いですが、以前の記事で紹介しています。
見晴らし台からは千波湖が見渡せます。
短い滞在でしたが、素晴らしい場所でした。前回来た時が季節も天気も悪くつまらなかっただけに、梅まつりの時期の晴れた日は来る価値のある名園です。
偕楽園を出てからは40分ほど歩いて、弘道館に向かいます(写真の常盤神社は前回の記事に紹介しています)。
偕楽園から歩くと弘道館は40分かかりますが、水戸駅からだと10分もかかりません。歩いても楽しい未知ではないので、水戸駅までバスで戻って、駅から歩いてもいいのかもしれません。
東照宮
徳川家康とその11男で初代水戸藩主の徳川頼房を祀っている神社です。
坂を上ると、城下町の雰囲気を感じさせる小学校があります。弘道館の武館・医学館の跡地に建てられているそうです。
弘道館は現在は当時の一部しか敷地が残っていませんが、江戸時代は10.5haの広さがあり(東京ドームが4.7haらしいです)、当時、日本最大規模の藩校でした。
弘道館
入館料は400円。偕楽園との共通券だと300円になります。
弘道館は、1841年(天保12年)に徳川斉昭(烈公)により創設された藩校です。今でいう総合大学のような施設で、正庁の他に文館・武館・医学館・天文台・鹿島神社・孔子廟・八卦堂などが建ち並び、馬場や広い調練場もあったとされています。
若者だけでなく藩士も学ぶ藩校で、15歳から40歳までの就学が義務付けられていました。学問では儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽など、武芸では剣術・槍・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳などと、多彩な科目が教えられていたようです。また、医者を養成する医学館もあったようです。
後から知りましたが、入口の左にある正門の右の柱には、1868年(明治元年)に起きた水戸藩の藩内抗争である弘道館の戦いの時の弾痕が残っています。上の写真の門が閉じられているのが、正門になります。
さて中に入ります。
諸役会所
来館者の控えの間です。
縁側から梅の木を見ることができます。
江戸時代はこちらの庭で武術などの試験が行われていたそうです。
この建物は正庁と至善堂から成る建物ですが、幕末の戦乱や昭和期の空襲を免れた貴重な建物のようです。
改修していて新しく綺麗になっていますが、造りなど当時の面影を知ることができます。
縁側から見える黄色い梅が特に綺麗でした。
ちょっとした資料館が併設されていて、写真の撮影は不可ですが、当時使われていた瓦などの説明がありました。
外に出て庭を散歩します。弘道館も偕楽園と同様、梅の花の名所として知られています。
この場所は、元々は文館がありいろいろな寮や詰所などがあり、書籍の編集や出版が行われていましたが、明治元年の弘道館の戦いのときに焼失し、現在は梅林が植えられています。
梅まつりが開催されている時期は、土曜の夜(期間中2回のみ)にライトアップされた梅の花を観ることができるようです。
隣にお土産があるので、中を覗いてみます。
お土産屋の近くも梅の花が綺麗です。
北澤売店
弘道館の敷地内にある売店で、笠間焼や弘道館関係の書籍が売っています。「水戸拓」と呼ばれる拓本を観ることができます(販売しているのかもしれません)。拓本から作った「水戸拓手ぬぐい」も販売しているようで、なかなか独特なお土産屋です。
以前笠間焼の湯飲みを買いましたが、観光地や笠間焼のギャラリーで買うよりも安く、物もよく良心的なお店だと思いました。ビアタンブラーが1800円、コーヒーカップが1000円、お猪口が850円、一輪挿しが700円くらいで売られています。
いい器が安く売られている理由を尋ねたら、お店の方が自分で買いに行って運んでいて、人件費や運搬費を上乗せして売っていないから安くなっているとおっしゃっていました。
水戸城跡
弘文館を出た後は、かつて水戸城のあった場所を歩いて水戸駅に戻ります。
水戸城の跡地には現在、小学校や高校が建っています。
この新しくて綺麗な木造の門は、令和2年2月に復元された大手門です。
天保期の姿で復元されたようで、高さ約13m、幅約17mの巨大な櫓門の柱には欅が使われているそうです。
白い部分には漆が塗られているのだとか。
門をくぐると小学校や高校があります。見過ごしましたが、門の近くに水戸城跡二の丸展示館という無料の資料館があるそうです。
水戸城の跡地を歩いて坂を下ると、水戸駅の近くに天狗納豆の製造工場兼販売所があります。
そしてこちらは納豆展示室も併設してあり、無料で見学することができます。
中に入って2階に展示室がありますが、内容が濃く、いろいろなことを知れます。展示内容は水戸天狗納豆のホームページからも観ることができます。
製造工程
大豆や藁の説明
納豆の起源
納豆年表
水戸納豆の由来
納豆の展示を通して、平安時代末期から明治期までの水戸の歴史を知ることができます。納豆の効能やレシピの展示もあり、充実した展示内容でした。
納豆展示館を出た後は水戸駅に戻ります。
改札の近くにあるミルクスタンド
茨城の牛乳や梅酒、地酒が飲める場所があります。
コロナ禍なので遠慮しますが、有名な梅酒や日本酒が飲めておすすめです。
駅構内のエクセルみなみには水戸のお土産が種類豊富に置いています。
地酒やクラフトビールも種類が多く、こちらもおすすめのお店です。
コロナのせいで飲み食いなしの日帰りの旅となりましたが、梅の季節の偕楽園と弘道館は見所の多い、いい場所でした。コロナが落ち着いたら、1泊してあんこう鍋を食べたり、ライトアップされた梅の花を楽しみたい場所でした。
以上、水戸の紹介でした。
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