盛岡駅にあるネットカフェで朝を迎えます。旅48日目は平泉と猊鼻渓に行き、仙台駅のネットカフェで一泊します。久々に2カ所回ります。この記事では、毛越寺、平泉文化遺産センター、中尊寺、平泉文化史館、猊鼻渓の川下りを紹介します。
それでは本日の行程です。
48日目の行程
7:16盛岡駅発
8:41平泉駅着
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9:00毛越寺、毛越寺宝物館
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9:42平泉文化遺産センター
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10:30中尊寺
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11:35平泉文化史館
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14:55平泉駅発
15:24猊鼻渓駅着
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16:00猊鼻渓川下り
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17:11猊鼻渓駅発
21:40仙台駅着
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21:45仙台牛タン通り
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22:15仙台駅の近くのネットカフェで一泊
6時半にネットカフェを出ます。泊まったネットカフェはシャワーはかろうじてあるものの、洗面台もドライヤーもありませんでした。仕方ないのでトイレの洗面台でコンタクトレンズを入れる羽目になりました。これまで泊まった中で一番良くない店でした。
今日は予定を変更して平泉に向かいます。当初の予定では、盛岡駅からバスで龍泉洞に行くつもりでしたが止めました。片道2時間20分かけて行っても、洞窟にいるのは1時間にも満たない時間です。バス代と入場料を払ってわざわざ行くのもなんですし、宿泊先にも問題があります。一ノ関駅から離れたネットカフェに泊まる予定でしたが、駅から45分歩かねばならず、おまけにシャワーもありません。ただただ時間を消費する旅になってしまうので、予定を前倒しにします。
7時過ぎの電車で盛岡駅を出発して、約1時間半かけて平泉駅に向かいます。
8:41に平泉駅に到着です。世界遺産があるだけあって、こだわった造りになっています。
華鬘(けまん)というものが飾られています。
華鬘とは、仏像の顔の正面に飾る仏具のようです。花鬘、花縵とも書かれるそうです。華鬘があることで仏様の顔が見えなくあるので、拝む側が自然と仏さまを仰ぎ見る姿勢になります。仏様は伏し目がちなので、華鬘の隙間から見上げると、丁度目が合うようになるのです。仏像を敬うように造られた仏具です。
歩いて毛越寺に向かいます。徒歩10分もかかりません。
田んぼでは稲を刈っています。
こういう光景をみると、旅をしている感覚があっていいものです。
駅から大きな道が一本真っ直ぐに通っているので、迷うことはありません。
毛越寺に到着です。
毛越寺
山門
500円払って中に入ります。
本堂
境内は本堂以外、浄土庭園と宝物館、少しのお堂があるくらいです。
平泉は世界遺産といて知られていますが、毛越寺や中尊寺を含めた5群が登録されています。毛越寺と中尊寺の他に、毛越寺の東隣にある観自在王院、宇治の平等院鳳凰堂を模した無量光院、比高差60mほどの円錐形の山の金鶏山の3つを合わせた遺跡群が、世界遺産として登録されています。
毛越寺は、慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。慈覚大師円仁は昨日行った恐山を開山した僧です。天台宗の高僧で、唐に留学して帰国してから東北や関東で多くの寺院を開山したり再興したようです(こういう開山の話は伝承が多いらしいですが…。Wikipediaによると円仁が開山した寺の数は関東に209寺、東北に331寺あると書かれています)。
毛越寺は、最盛期には堂塔が40、僧坊が500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さがあったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したので、現存する常行堂という古い建物も江戸中期のものです。
現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、特別史跡に指定されています。
紅葉が始まっています。
再現された遣水
遣水は緩やかに蛇行しながら自然の小川のように造られています。
平安時代の寝殿造りの庭は家屋と同様にお金をかけて造られました。中国から日本に庭園文化が伝わると、曲がりくねった水路「曲水」も伝わります。この曲水が「遣水(やりみず)」として貴族の間で発展します。湧き水が豊富で水源に困ることのない場所に貴族は住居を構え、遣水をつくり、水をひき、庭に池を造りました。それがブームだったようです。
浄土庭園とは仏堂と池とが一体として配された庭園なのだそうです。池は海を表しているのだとか。
風が吹くと池の水面にさざ波ができ、風情があります。
境内にある宝物館に入ります。
撮影禁止ですが、無料です。遣水で行われた曲水の宴の様子や藤原三代の家系図を見ることができます。特に見応えのある場所ではありません。世界遺産に登録されているからということで、中尊寺に行く前についでに寄っていく人が多いのではないでしょうか。
毛越寺から中尊寺に向かう途中、歩いて10分ほどのところに平泉文化遺産センターがあるので、中にはいってみます。
こちらも無料です。撮影禁止ですが、個人的には面白い所でした。平安時代に当時貴族が来ていた衣服や当時の宴会(曲水の宴)で出されたご馳走が再現されています。企画展らしく、常時展示されている訳ではなさそうです。箇条書きですが、大体こんなことを知ることができました。
・陸奥(みちのくと)は道の奥という差別用語。奥州以北の東北は昔から常に差別されていた。
・使い捨て陶器:箸と同様に使い捨ての陶器の捨て場が発見されている。貴族は一回使っただけで箸や食器を捨てており、穢れ思想によるものと考えられる。
・当時の食べ物を再現したものがあり、そこには菓子と肉、魚がある。菓子は現在の甘いものではなく、干した果物のことで栢(かや)の実や石榴(ざくろ)、棗(なつめ)や松の実が食べられたいた。肉は小鳥や雉(きじ)が食べられていた。
・当時は甘味料に甘葛煎(あまづらせん)というツタの樹液を煮詰めてシロップにしたものを使っていた。京都の貴族はかき氷に甘葛煎を入れて食べていた。砂糖は薬として輸入されていた。芥川龍之介の芋粥は、スライスした山芋と煮詰める前のツタを煮たもので、高級なデザートだった。
資料館を出てから10分ほど歩くと、中尊寺に到着です。
武蔵坊弁慶の墓とされる場所があります。
中尊寺
坂を上ります。
月見坂
立派な杉を横目に坂を上ります。
本堂
中尊寺は、嘉祥3年(850年)に円仁によって開山された、天台宗東北大本山です。12世紀の初めに奥州藤原氏の初代清衡が、前九年・後三年の合戦で亡くなった命を平等に供養し、仏国土を建設するために大伽藍を造営しました。全盛期には、40にも及ぶお堂や塔などがあったといわれています。
金色堂に入ってみます。
讃衝蔵という資料館とセットで800円。数ある国宝の中でも、国宝建造物第1号に認定されたのが、中尊寺です。それは金色堂があるからでしょう。
中に入ると、金色に輝く極楽浄土の世界が広がります。像が1辺5.5mの小型の仏堂に収められてていますが、仏像だけでなく仏堂のすべてが金ぴかです。屋根も柱も、壁も床も。1124年の創建当時のものというのですから、一見の価値はあります。
パンフレットの写真
金だけでなく、螺鈿細工や蒔絵も素晴らしく豪勢です。これほどの財力があってなぜ簡単に頼朝に負けたのかという疑問が出てきます。
資料館の讃衡蔵では、寺の装飾を丁寧に説明しています。香を置く台や柱に付ける装飾品などの名前や意味を解説していますが、写真に残せなかったので忘れてしまいました。
境内には所々、阿弥陀堂や大日堂などのお堂があり、全てみようとすると結構時間がかかります。
中尊寺を見物した後は、近くにある平泉文化史館に寄ります。
平泉文化史館
無料で撮影可能の資料館です。10円のパンフレットがあるのでそれを買って中を見ます。ここでは平泉の古代から現在までの歴史をざっと見ることができます。近くに夢の館という入場料1000円の資料館に行くはずでしたが、博物館の方に聞いてみたところ、2013年に潰れていました。
金山のおかげで栄えた平泉ですが、1町(約110m)ごとに金色の阿弥陀像を描いた笠塔婆が立てられていたようです。
磐井、気仙、角舘地方は、最大の金山だったようです。伊達政宗はこの陸奥で採れた金をスペインとの国交に使ったそうです。
博物館を出た後は、平泉駅に戻ります。
刈り取った稲を干しています。こういった風景を見れるのも、旅の醍醐味です。他人事ながら、台風や長雨に遭うことなく収穫できてよかったなと思ってしまいます。
刈り取った稲を逆さに干しているのは、干すことによってアミノ酸と糖の含量が高くなり、また稲を逆さまに吊るすことで藁の栄養分や甘みが米粒に行き渡り、栄養とうま味が増すからといわれています。近年では乾燥機により乾燥することが多く、収穫の季節になっても天日干しは手間がかかるため減少傾向にあります。
平泉駅に戻る途中、漆器店があるので覗いています。秀衡塗の専門店で、店員のおばぁちゃんに漆器のことをいろいろと教えてもらいます。話を聞いていると、漆が剥げることはことは10年くらいない、剥げるまで使って欲しいものだとおっしゃっていました。実際に使ってみることで、漆器がどういうものなのか分かるということで、欅で作られた軽いビアカップを買ってみました。熱の伝導率が低いので、氷を入れて焼酎やウイスキーのロックも楽しめるようです。
勝手から5年は経っていますが、健在です。日本酒を注ぐと欅の香りがほんのりして美味になります。
ついでに、季節の食べ物やご当地の食べ物を紹介しているサイトもやっているので、よければ見てみてください。こちらです。
平泉駅に戻ります。駅から毛越寺や中尊寺までの道は掃除がされていて綺麗な通りでした。町全体の美意識の高さを感じます。
平泉駅からは、猊鼻渓駅に向かいます。平泉駅で1時間ほど電車が来るのを待ち、乗り換えのある一ノ関駅でも更に1時間待ちます。電車の接続が悪く時間がもったいないですが、東北なので仕方がありません。
一ノ関駅から電車に乗り、猊鼻渓駅に近づいてくると、岩山が見えてきます。
15時半頃に猊鼻渓駅に到着です。
川下りのある船着場には、歩いて5分ほどで行けます。
着きました。
猊鼻渓の舟下り
船着場
ここから猊鼻渓を見に行くのですが、猊鼻渓とは、高さ50mを超える石灰岩の岸壁がおよそ2kmにわたって続く渓谷です。歩いて観ることができず、観るには船に乗って移動するしかありません。
透明な水に川魚が群れをなしていて、綺麗な所です。
せっかくなので舟下りを体験してみます。川を人力で上って折り返して下ってくる90分の行程です。1600円。荷物は無料で預けることができます。食事処やお土産もあります。
30分ほど待ち、16時の便で舟に乗ります。特に予約はしなかったのすが、すんなり乗船することができました。
船頭さんがいろいろと解説してくれます。全国に川下りや川上りをしている箇所は18あるそうですが、その中で手漕ぎで上っていくのはここだけのようです。
水深はあっても1メートルの深さで、昔は砂鉄をよく採ったそうです。金も一時期採れたのだとか。
片道30分で行き止まりの休憩地点まで行き、30分休憩して、また30分かけて川を下るという行程です。舟がゆっくり進むので、のんびりと渓谷を観ることができます。
休憩地点に到着です。
舟から降りて絶壁を観ます。
遅れた人を乗せたボートが来ました。途中からでも参加できるようです。
何やら話しているかと思えば
まさかの、カモシカです。
あっという間に30分経ってしまい、船着場に戻ります。
雨が降ってきました。
天気がよければ石の岸壁を観ることができるのですが、雨で水面しか見れないのが少し残念です。水面の魚の群れも雨が強まると見えなくなってしまいます。
でもこれはこれで、雰囲気があっていいです。
船着場に戻る帰りは、船頭さんが「げいび追分(おいわけ)」というものを歌ってくれます。雨の滴る中、声が渓谷に響き、なんとも雰囲気のいい舟下りです。毎年秋や冬には、船上で歌を歌ったり演奏したりするようです。岩壁による音響効果があり、綺麗な音色を楽しめるのだとか。
雰囲気がいいといえば木の舟もそうですが、舟下りに使う舟は雰囲気を出すために杉で作った木の舟を使っているそうです。寿命は10年で、10年ごとに新しいものと取り換えるのだそうです。木の舟にこだわっている点も、他の川下りとは違うとおっしゃっていました。
あまり期待していなかったのですが、乗ってよかったです。舟がゆっくり進むので、じっくりと岸壁や川を楽しむことができますし、船頭さんの丁寧な解説を聞くことができます。
18:44の電車で一ノ関駅に戻ります。
猊鼻渓駅の時刻表
こんな感じで電車がほとんどありません。17:11の電車が行ってしまったので、1時間ほど電車を待ちます。
一ノ関駅に着いてからも乗り継ぎに更に40分待ち、仙台駅に向かいます。仙台駅に到着するのは21時半の予定です。
当初の予定では、石巻駅に行きそこで泊まるつもりでしたが、朝から嫌な予感がずっとしたので、仙台に行くことにします。仙台なら大きな都市なので、寝床にしてもご飯を食べる所にしても困ることはないので。この時の嫌な予感は翌日当たるので仙台まで行っておいて正解でした。
電車が少し遅れて、21:40に仙台駅に着きます。ラストオーダーの時間かなと思いつつも、駅ビルの牛タン通りに行ってみます。
仙台駅で牛タン
たんや善治郎というお店に入ります。
東京に出店していないお店ということで、ここにしました。ラストオーダーが22時までということで、間に合いました。
牛タンとゆでタンとソーセージの三種焼きのある、善治郎定食を頼みます。宮城の地酒の乾坤一擲(けんこんいってき)も頼み、2500円です。
柔らかくて素材のいい牛タンを味わえました。味は、東北ならではなのでしょうか、濃い目です。
牛タンを食べてからは、22時過ぎに駅の近くにあるアイカフェというネットカフェに入り、本日の行程は終了です。今日は2回も急遽予定を変更しましたが、2カ所旅をすることができました。電車での乗り継ぎが悪く、効率の悪い旅程ですが、1日で2カ所回れたのは良かったです。これにて今日は終了です。
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