【旅15日目】前半 岡山県後楽園と県立歴史博物館へ

日本一周

岡山駅のネットカフェで朝を迎えます。旅15日目は後楽園と岡山県立博物館に行き、四国の香川に移動して金刀比羅宮と栗林公園に行きます。この記事では、後楽園と岡山県立博物館を紹介します。

それでは本日の行程です。

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15日目の行程

8:00後楽園

9:00岡山県立博物館

10:50岡山駅出発
12:12琴平駅着

13:10金刀比羅宮

14:13琴電琴平駅発
15:05琴電栗林公園駅着

15:15栗林公園

高松駅
ネットカフェで1泊

6:30前にネットカフェを出て、岡山駅のコインロッカーに荷物を預けます。

マックでスマホの写真の整理をしたり今日の予定を確認したりして、7:30に後楽園に向かいます。

路面電車

岡山といえば、桃太郎伝説の地として知られています。桃太郎伝説と馴染みのある吉備津神社(岡山駅からJR吉備線で吉備津駅に行けば参拝できる神社)に行きたかったのですが、1日の予定に収まらず断念しました。吉備津神社は360mの長い回廊のある、趣のある神社です。紫陽花の名所としても知られていて、6月中旬から7月上旬までは紫陽花を観に行くのもお勧めの神社です。

今日の予定ですが、午前に後楽園を観た後は四国に行くので、1日で2県移動します。一昨日やその前のように1つの県に1日かけて観光することはもうなく、これからは以前のように1日で1県もしくは2県移動していきます。いろいろな観光地を見て回りたいのは山々ですが、現実的には1つの県でどこか1カ所観光地を回るのが限界です。

さて、岡山駅から歩いて25分くらいで、後楽園に到着です。

後楽園

後楽園
金沢の兼六園、水戸の偕楽園とならび日本三名園として親しまれています。約300年前に、岡山藩2代藩主池田綱政が作らせた庭園です(岡山県立博物館との共通券で540円)。

庭園に入ると、芝が広がります。

園内は広く、整備された芝や水の澄んだ池や小川を楽しみながら散歩できます。

広々としていて、歩くのが楽しくなる庭園です。

景観が素晴らしいです。奥に見えるのは岡山城です。ビルが無いのがいいですね。

昭和の水害と戦災で大きな被害を受けて復旧したのですが、当時より園路を単純化して造り直したようです。

江戸時代は藩主が参勤交代で岡山を留守にしている間は、一般公開をして領民が庭園に入ることができたそうです。

武士のための庭園が庶民に開放されていたのは驚きます。

逆光ですが、池に写る木や空や雲が、これまた綺麗でした。

木陰も気持ちがいいです。

いろいろと見所があります。

池が澄んでいてとても綺麗です。

蘇鉄

沖縄や鹿児島の奄美に自生する植物です。

八つ橋

小高い丘、唯心山(ゆいしんざん)から臨む景色からの眺め

奥に見えるのは水田。昔は水田が広がる庭園だったようで、その名残で一角田んぼがあります。現在では後楽園は芝を大量に使った庭園ですが、明治前は園内の大半は田畑でした。

竹の垣根がまた風情を感じさせます。

船小屋

竹柵

竹のしなる特性を活かした柵も、雰囲気があっていいですね。

井田

昔園内に田畑があった時の名残です。毎年6月には田植え祭りがあるようです。

当時は田畑が広がっていたようです。災害や飢饉の時のために、実用的なものを植えていたのでしょう。

茶畑

藩主が普段飲むお茶を育てていたそうです。毎年5月には茶つみ祭りがあるようです。

茶屋で一服

博物館が開くまで、お茶で休憩します。蝉の声を聞きながら、岡山城と青々とした庭を眺めます。

一服してから、また庭園を歩きます。

この大きな石も切って運んでから組みなおしたのでしょう。小さな門は山門で、その横の小屋には仁王像があったらしいです。仁王像は後楽園が保管しているそうで、現在山門にはありません。

ここからも岡山城が見えます。

歩いていて飽きない庭園です。

なかなか見る機会がなくなった水車。ちゃんと水の流れを受けて動いています。

さすが日本三名園と言われるだけあります。素晴らしいの一言に尽きます。

後楽園では、年に3回庭園がライトアップされる幻想庭園というものが開催されているようです。春(4月)、夏(8月)、秋(11月)は庭園全体がロウソクや照明器具で幻想的にライトアップされ、昼間とはまた違う趣のある空間が楽しめるようです。これだけ歩きやすく景観のいい庭園なので、夜のライトアップされた庭園も楽しめそうです。

岡山県立博物館

9時になり岡山県立博物館が開いたので、覗いてみます。

博物館には、日本刀鑑賞の手引きという日本刀について説明している用紙があり、無料で持って帰れました。

この日本刀の説明がとても詳しく、刃紋の種類や峰の形の説明、茎(なかご)という柄に収められる部分の形の説明や特徴など、細かく書かれています。個人的には刀剣にはそれほど興味はないのですが、詳しく知りたい人には嬉しい内容だと思います。

日本刀について、少し書いておきます。中世、日本刀の生産地は5つの場所が有名でした。相模国(現在の神奈川県)、美濃国(現在の岐阜県)、大和国・山城国(現在の奈良県と京都府)、そして備前国です。「五ケ伝」と言われ日本刀の産地として知られましたが、中でも備前国は最も長く歴史が続き、生産量も多い生産地です。「長船」を中心とした備前国で作られる刀には名品が多く、多くの戦国武将が好みました。

そんな、名刀を世に生み出し続け、日本刀の聖地ともいわれる長船ですが、刀造りの技術が大きく発展した理由は、南北を走る吉井川の水運と、東西に延びる山陽道という交通手段に恵まれていたからです。吉井川の水運では中国山地の良質な砂鉄と、強い火力を生み出すアカマツなどの燃料が運ばれてきました。

右が高瀬舟が活躍した3つの川で、吉野川が1番右手の川です。
左が吉備国の鍛刀地(たんとうち)で、吉野川の下流に長船があります。

博物館では水運についても触れており、高瀬舟の説明もありました。プリントされた用紙を持って帰ることができるのですが、簡単にまとめるとこんなことが書かれています。

高瀬舟は一般的に全長が12~15m、幅2mの船底が平らな木造船です。船底が平らなので、水深の浅い河川の上流地域まで移動することができ、鉄道やトラックが登場するまで内陸の物資輸送の主役でした。
吉井川・旭川・高梁川の三大河川で運行され、下りは水の流れを利用して櫓(ろ)や櫂(かい)で舟を進め、上りは帆を張り風を利用して進みました。下る時には県北部の特産品であるお米や薪炭、煙草、鉄、和紙、雑穀などを乗せ、登る時は県南部で作られた塩や海産物、日用雑貨などを積みました。人々の移動に欠かせないものでもあり、伊勢参りや金毘羅に参詣する人々も高瀬舟を利用したようです。

日本刀の説明から岡山県の歴史を知ることができました。岡山県立博物館は分かりやすくていい博物館でした。さらに日本刀について知りたい人は、備前長船刀剣博物館(JR赤穂線香登駅から徒歩17分もしくは、長船駅からタクシー)がおすすのようです。より詳しい展示が見られるそうです。

岡山県立博物館では備前焼のことも知ることができました。世界で最古の土器は日本のものといわれているくらい、日本の土器は歴史が長いですが、その長い歴史を受け継いで発展してきたのが、備前焼です。お碗やお皿、瓦など、古墳時代の須恵器(すえき)の製法で作られたのが始まりで、甕や壺、鉢が作られるようになったとされています。

岡山県ではご当地の物を何か食べたわけではなく、後楽園を観たかっただけですが、歴史や文化を調べてみると面白いものです。個人的にはい草やジーンズも、興味をそそるものです。こちらは別館の旅の拾いもので書く予定です。

さて、岡山県の後楽園と県立博物館を楽しんだ後は、四国に渡ります。

後半に続く

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