秋の川越散策①紅葉の名所川越大師喜多院と川越歴史博物館

埼玉県

2018年11月下旬、埼玉県川越を散策しました。川越は「小江戸川越」と呼ばれ、蔵造りの町並みが残る江戸時代の雰囲気を楽しめる場所です。喜多院・川越城本丸・蔵造りの町並みの3つの観光エリアがあり、折角なので3つのエリアを歩いてみることにしました。記事は2つに分け、この記事では喜多院と川越歴史博物館を紹介します。

それでは本日の行程です。

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散策コース

9:50JR川越駅着
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10:10喜多院
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10:25家光公誕生の間
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10:50五百羅漢
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11:15川越歴史博物館
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12:00蔵造りの町並み
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12:25お菓子屋横丁
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12:50松本醤油で醤油蔵を見学
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13:35川越市立博物館
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14:10川越城本丸御殿
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14:45小江戸里蔵で日本酒の利き酒
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15:15JR川越駅着

川越には3つの観光エリアがあります。有名な時の鐘や蔵造りの町並みは北エリア、喜多院は東エリアとなり、その間の北東エリアには川越城本丸や川越氷川神社があります。

今回は駅から東→北→北東の順番で回ります。当初の予定では東→北東→北と歩く予定だったのですが、出だしの喜多院が思った以上に素晴らしい場所で時間をかけてしまい、予定を変更しました。

歩いても十分楽しめますが巡回バスも走っているので、そちらを使うのもいいのかと思います。小江戸名所めぐりバスという巡回バスが本川越駅から出ていて、1日乗車券が500円です。駅の観光案内所やバス車内で乗車券を購入できます。

JR川越駅周辺

10時前にJR川越駅に到着します。まずは歩いて喜多院に向かいます。

駅から20分ほど歩くことになりますが、道のりはそれほど楽しいものではありません。たまに瓦屋根の雰囲気ある建物がありますが、バスで移動した方が時間の節約になるのかなと思います。

車の通りが多い場所ですが、喜多院に近くまで来ると静かな道になります。

JR川越駅から歩いて20分、喜多院に到着です。

喜多院

喜多院
だるま市が有名で「川越大師」として親しまれている寺院。3代将軍家光が、江戸城から家光公誕生の間や春日局化粧の間などを移築。徳川家とゆかりも深く、建築の多くが重要文化財に指定されています。
(小江戸川越散策マップより)

社会科見学の学生やバスツアーでお馴染みの場所らしく、中学生や高年齢の多い場所です。

お堂の左の小高い場所には赤いカエデが綺麗に色づいています。

ここは歴代住職のお墓がある場所で、ぐるっと回ることができます。

カエデの数は多くありませんが、赤々と色づいていてとても綺麗です。

青空だと一層映えます。

家光公誕生の間

本堂の右にある、家光公誕生の間に行ってみます。

外から見るとこのような回廊のある庭園です。ちなみに、後ほど紹介しますが、この場所から見る庭園の景色は素晴らしいです。

有料で五百羅漢とセットで拝観料は400円です。家光公誕生の間と五百羅漢のどちらかだけ見たくても、セットの販売なので400円払う必要があります。

建物内は撮影禁止ですが、外の景色は撮影OKです。

縁側から見える紅葉は綺麗で、川越の紅葉の名所として知られています。

喜多院は江戸幕府と深いつながりがありますが、その始まりは1599年に天海が寺に入った時です。

徳川幕府で名の知れた天海が入寺することで復興が行われて、寺領が増え、関東の天台宗総本山となります。

しかし、寛永15年(1638年)に川越大火が起こり喜多院のほとんどが焼失してしまします。

山門が残るのみで、お堂は全て焼けてしまったらしいです。

その時、三代将軍家光が復興を命じ、江戸城の別殿を移築して客殿や書院などに当てたといわれています。

家光公誕生の間や春日局間が川越に喜多院にあるのはそのためです。

書院式の建造物は現在皇居にはないようで、一部が川越に移築されていることから、文化的に価値のある場所なのだそうです。

庭園は遠州流のものらしく、江戸時代初期の茶道家であり作庭師でもあった小堀遠州の庭をモデルにした造りのようです。

先ほど外から見た回廊です。

そしてこの回廊から見えるのが、喜多院で有名なこちらの庭です。

庭の説明に書かれていますが、この庭は「轉合(てんごう)の庭」というそうです。

「轉合(てんごう)」には「冗談」の意味があるようです。庭園の丸・三角・四角の縁石が見事に調和しているのは普通ならあり得ないことで、「ご冗談でしょう」という意味になるのだとか。

また、どれのことだか分かりませんが、左側には三つの石があり、信長・秀吉・家康を表していて、その三つはどこから見ても重なることがないそうです。

重ならないように石を組むことを化し(あだし)組と言い、京都の嵯峨野に化し野(あだしの)という場所がありそこからとった言葉なのだそうです。

そして、掘りの前に三つ角石は、極真組といって石組の中でも最も難しいとされる組み方なのだそうです。

と言っても、どれのことだか写真からは分からず、庭の敷地を歩きながら見るのがいいようです。

外から見るとこの辺りになります。

庭の造りはよく分かりませんが、紅葉が綺麗な庭園です。

紅葉シーズンの晴れた日はおすすめの場所です。

こちらの枯山水の庭も「曲水の庭」と言われている有名な庭らしいです。

白い小さな石が川を表していて、大きな岩が山や滝を表しているのだとか。

庭園の知識があったらより楽しめるのでしょう。自分には分かりませんでしたが、紅葉や初夏の時期に来るといい景色を楽しめると思います。

ただ、喜多院は戦時中に空襲を受けなかった地域なので、おかげで江戸時代の遺構が残っています。江戸城から移築したおかげで、当時の建造物を見ることができので、その意味では観に行く価値があります。

五百羅漢

紅葉の名所として知られている、家光公誕生の間を見た後は、五百羅漢を見てみます。場所は家光公誕生の間の道を挟んだ隣にあります。

入口は少し分かりづらいのですが、お土産屋の端に入口があります。

入って左

中に入ると、沢山の像が並びます。

入って右はこんな感じ

ぐるっと一周する形になっています。

ここには沢山の像がありますが、パンフレットによると天明2年(1782年)から文政8年(1825年)までの約50年間にわたり造られたものなのだそうです。

正面

中央の高座には釈迦如来、脇侍の菩薩二体、左右高座には阿弥陀如来と地蔵菩薩が鎮座しています。

釈迦の十大弟子や十六羅漢を含めた533体の尊者があり、合計538体が鎮座しているようです。

裏側

光の兼ね合いで仏像がちゃんと撮れませんが、一体一体それぞれ違った表情、姿勢をしているので見ていて飽きません。

頭の上やお経の上に小銭が置かれています。

よく五百羅漢の観光案内で載っている像

ひそひそ話をしている羅漢像です。

面白い場所でした。

境内は所々もみじが色づき、のんびり歩くにはいい境内です。

ただ、参拝客が多いので静かに散歩するような感じではありません。

特にバスが何台も停まり団体客が多いので、賑やになります。静かに参拝したいのなら早い時間がおすすめです。

川越歴史博物館

喜多院で紅葉と庭園を楽しんだ後は、近くにある川越歴史博物館に向かいます。

喜多院の北側の道を1、2本渡るとあり、徒歩数分の距離です。

外観はこんな感じ、1階から3階まで展示室があります。

入館料は500円です。写真撮影もOKです。

後から知りましたが、ネットで見てみると結構有名な博物館のようです。豊富な展示品を見たり写真を撮れるだけでなく、実物を触らせてくれることでも知られているそうです。火縄銃を持たせてくれましたが、日本刀や十手も触らせてもらえることがあるようです。

1階には奉行が使った道具や十手が展示されています。

展示品を見ていると、年配の方がいろいろと教えてくれました。こちらの博物館を紹介しているサイトで「名物館長」と紹介されているのを後になって知りましたが、博物館の館長でした。

館長が言うには、十手は刀と同じ剛鉄でできているため、ヤスリが入らないくらい強度があるのだとか。そのため、刀と渡り合えるのだそうです。

十手には鎖で繋がれた分銅がありますが、この鎖はよく見ると繋ぎ目がありません。切れ目がないのです。これは今では作れない、とても高度な技術らしいです。

刀や槍は鉄でできていて、日本は古来から鉄の技術が優れているのはよく知られていますが、そもそも世界で鉄が取れるのは日本とカナダとニュージーランドだけだとも言っていました。日本は火山が噴火してマントルの上だかにある鉄が噴射したから、採れたのだそうです。

鉄は中国や朝鮮から輸入していたと記憶していましたが、どうやら砂鉄のことを言っているようです。後日、家に帰ってから調べてみると、確かに砂鉄は日本・カナダ・ニュージーランドが世界三大産地でした。

朝鮮から伝わった鉄というのは鉄鉱石のことで砂鉄はまた別のようです。考えてみたこともありませんが、おかげで興味を持てました。

もっといろいろなことを知りたかったのですが、館長は来館者に対応しに行ったので、ゆっくり館内の展示を見てみます。

江戸時代のものでしょうか、照明器具の展示があります。

蝋燭(ろうそく)や油は高価で一般の家庭では使えないので、松の根を刻んで皿の上で燃やして灯りをとったことが書かれています。今では数少ない貴重な資料なのだとか。

個人的にびっくりしたのがこちらの灯台で、越後に産出する原油(石油)で火を灯す臭水(くそうづ)灯台というものです。

解説には越後では千年以上前から原油が産出され、灯火に利用されていたと書かれていますが、調べてみたら確かに668年(天智7年)に越の国から「燃ゆる水、燃ゆる土(石油と石炭)」が献上されたことが日本書記に書かれていました。

1300年以上も前から石油があり、灯りとして使われていたのですね、意外でした。

1階には飯能焼という焼き物の展示もあります。

今では途絶えてしまいましたが、武蔵の独特な粘土質の土が作り出す焼き物のようです。

和鏡

江戸時代の物で模様に草花・鳥・虫・樹木・人物・風景など、あらゆる題材が取り入れられています。

先ほど館長から説明のあった十手。

この繋ぎ目のない鎖が今では失われた技術なのだそうです。

キセルと煙草入れ

上の写真の右上は、熊の手のついた煙草入れです。

2階です。

古墳時代の遺物

輪っかを見ると、やはり先ほどの話の鉄の繋ぎ目が気になってしまいます。

川越藩ゆかりの武具

忍者が使った道具

手裏剣のバラエティーには驚きますが、他の道具も見ていて面白いものばかりです。

右下のはまきびしで敵からの追撃を逃れるために地面に撒くものです。小鎌は武器として懐中に忍ばせ、くないは武器としてだけでなく壁や土を掘るのにも使ったようです。その上の鉄毬(てつまり)は四方八方の棘が出ているので投げれば必ず刺さると書かれています。

解説では、これらの武器・道具が丹念に鍛え上げられていると書かれているので、強度や切れ味が優れていたのでしょう。

将校のサーベル

明治期になるとフランス式の軍服に合わせて帯刀も日本刀からサーベルに変わりましたが、刀身は日本刀を用いたようです。

ピストルや仕込み杖(スティック銃)

明治期のものでしょうか、銃とサーベルの展示

3階です。

戦国時代の兜や甲冑が展示されています。

いろいろな兜・鎧があり見ていて飽きません。

信長の兜とその左は黒田家で双璧をなした勇将で大阪の陣で死んだ後藤又兵衛の兜

レプリカかと思っていましたが、こちらの博物館ではレプリカは置かない主義らしく、本物なのかもしれません。だとしたら信長の兜はかなり貴重なものなのではないでしょうか。

馬の鎧も

川越合戦で使われたものらしいです。

気になった武器がこちらの棒

吹矢です。

こんな大きなものもあるのですね。携帯には不便でしょうから、城とか家屋などで使われたものなのではないでしょうか。

それと、下の写真左端の槍。これも気になります。

半月槍と書かれていますが何に使ったのでしょうか。全く用途が分かりません。

合戦で使われた太鼓

喜多院のついでに寄ってみましたが、いい博物館でした。きちんと解説を書いていてくれているのが、助かります。意外なものもいろいろとあり、見ていて飽きませんでした。歴史が好きな人や武具に興味ある人は楽しめると思います。

~次回に続く~

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