山形県鶴岡駅のネットカフェで朝を迎えます。旅38日目は出羽三山の一つ羽黒山に行き、酒田市を少し歩き、秋田駅のネットカフェで一泊します。この記事では出羽三山神社、酒田市立博物館、庄内米歴史博物館を紹介します。
それでは本日の行程です。
38日目の行程
7:50鶴岡駅前発(バス)
8:30隋神門着
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9:30出羽三山神社
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11:20隋神門発(バス)
12:00鶴岡駅前着
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12:15鶴岡駅発
12:48酒田駅着
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13:05酒田市立博物館
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13:50庄内米歴史博物館
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15:37酒田駅発
17:26秋田駅着
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秋田駅近くのネットカフェで一泊
5時にネットカフェを出て、鶴岡駅でバスを待ちます。今日はこれから出羽三山神社のある羽黒山に向かいます。
鶴岡市のマンホール
桜と鶴と大宝館が描かれています。桜は市の花で、鶴は地名にちなんだもので、大宝館はレトロな洋館です。鶴岡という地名は、関ヶ原の戦いで功のあった最上義光が、前身の大宝寺城に鶴が舞い降りた吉事から鶴ヶ岡城に改称したことから来ているといわれていますが(諸説あり)、同時にそれまでの大宝寺という名称も使われていたそうです。
大宝館は大正4年に大正天皇の即位を記念して建てられた洋風建築で、開館当初は物産陳列場でした。戦後は市立図書館として利用され、現在は明治の文豪・高山樗牛(たかやま ちょぎゅう)や日本のダ・ヴィンチといわれた博物学者・松森胤保(まつもりたねやす)など、鶴岡ゆかりの人物の資料を展示しています。
7時のバスを待ちますが、待てども来ません。時刻表を確認したら8時からでした。本来ならば昨日の日曜にここにいるはずだったので土日のダイヤで予定を立てていましたが、今日は月曜なので8時前までバスはありません。ただでさえ5時にお店を出て2時間バス停で待っているのですが、更に1時間待つことになります。昨日泊まった快活クラブにはシャワーが無く今日は朝から不快感があります。
それにしても鶴岡駅はハエが多くいました。バス停の椅子や駅のトイレにわんさかいます。トイレが汚いからでしょう。帰りに寄った時には、トイレが掃除されていてハエはいませんでした。早くも東北の洗礼を受けます。
朝から3時間も時間を持て余して、やっとのことで8時前のバスで羽黒山に向かいます。駅から40分、運賃は800円くらいだったかと。
8時半に隋神門というバス停に到着です。
出羽三山神社の参道
隋神門
ここから参道が始まります。隋神門とは神域に邪悪なものが侵入するのを防ぐ門です。明治時代までは仁王門と呼ばれていたようです。
開山は1400年以上昔と伝えられる出羽三山は、羽黒山(はぐろさん)、月山(がっさん)、湯殿山(ゆどのさん)の3つの山を総称したものです。全国有数の修験の山として知られています。羽黒山(標高414m)には、三山の神を合祭した社殿・三神合祭殿が山頂にあります。
門をくぐり参道を歩きます。山頂までは50分、全長約1.7kmで、2446段の石段が続き、両側には樹齢350~500年の杉並木が続きます。
先ずは下に降りていきます。
祓川神橋(はらいがわしんばし)という赤い橋を渡ると、そこから神域になります。
滝
爺杉
樹齢1000年以上と言われる山内随一の巨木です。
五重塔
東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられています。現在の塔は、約600年前に再建されたものらしく、高さ29.0mの杮葺(こけらぶき)の塔です。素木造り(しらきづくり)というもので、何も塗らず、釘を一本も使っていません。
五重塔を見た後は、石段をひたすら上ります。
一の坂から三の坂まで三つに分かれているようですが、一の坂と二の坂の区別が分かりませんでした。
旅の後半になり、自然には飽きてきましたが、こういう所はまた別です。
戸隠神社もそうでしたが、ここは歩いていても飽きることがありません。空気も良く、何とも素晴らしい道です。
いつの間にか二の坂になっていますが、二の坂は急な坂道が続きます。
二の坂を上ると茶屋があります。
わき道に芭蕉塚があります。
三の坂へ。二の坂よりも急ではありませんが、距離が長いです。
埴山姫神社(はにやまひめじんじゃ)
縁結びの神様が祀られています。山頂で埴山姫神社守を購入して、同封してある赤い紐を神社の格子に結ぶとご縁があるといわれています。
精進料理の店
昔から羽黒山に伝わる精進料理を出す場所で、奥の細道の行脚で出羽三山を訪れた松尾芭蕉をもてなした場所ともいわれているようです。
江戸時代には境内に30余の坊がありましたが、明治の神仏分離でここ以外の坊は取り壊されたようです。
手水舎
月山四合目・六合目から引いてきた清水なのだそうです。
歩くこと50分、出羽三山神社 三神合祭殿のある山頂に到着です。
出羽三山神社。三神合祭殿の手前には蜂子神社があります。
蘇我氏に暗殺された第32代崇峻天皇の御子である蜂子皇子がこの地に逃れ、出羽三山を開山したと伝わっているそうです。
出羽三山神社 三神合祭殿
月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿で、厚さ2.1mの茅葺屋根は日本一です。本殿は度重なる火災に遭い、現在の社殿は文政元年(1818)に再建したものです。
社殿の前には鏡池があります。
鏡池は神秘の御池として古来より多くの信仰を集め、羽黒信仰の中心でもあったようです。池に鏡を入れる信仰がかつてはあり、この池からは500枚もの銅鏡が発掘されています。コウホネという植物が水面を覆っていますが、夏に黄色の花をつけるようです。
鏡池は社殿の前にあり、池そのものがご神体とされています。
社殿の周り
参拝した時は社殿の茅葺を葺き替えていました。
出羽三山歴史博物館に寄ってみます。300円。
館内は撮影禁止です。出羽三山の修験道を説明していて内容は分かりやすいです。一時期冬の籠りが禁止された時があったようですが、現在でも基本的には四季を通して修行のために山に入っているそうです。天台宗は上座部から派生した信仰で、辛いことをすればするほど悟りに近づけると考えられています。古来からある山岳信仰と結びついた修験は、他人より辛いことに我慢できれば悪しきものを追い払う力が備わると考えられました。
山伏は背中に三山の地図が描かれた装束を羽織り、法螺貝を持ち、修験の際に各地で朱印を書いてもらっていたようです。朱印には魔物を払う力があると考えられ、法螺貝は山の獣や魔物を払うものとされていました。法螺貝の音は獅子の吠える声に似ているそうで、山の獣や魔物は獅子の声を聞くと恐怖で死ぬと考えられていました。
山伏のいわれには二つあり、一つは山で寝ることから山に伏すというもの、もう一つは山の武士という意味です。中世の山伏は武装しており、身なりが武士に似ていたともいわれています。奥州藤原氏の傘下だったこの地方の山伏は、その都度、時の勢力に抵抗したようです。吾妻鏡や太平記にもそれは書かれていて、本来は一人で修験をするのですが、時代によっては山伏も結束して集団で自衛していたことも分かりました。
博物館の横道には昔の建物に使われていたものが置かれていました。
歴史博物館を出た後は、来た道を戻ります。
11時過ぎに隋神門のバス停からバスに乗り、12時に鶴岡駅に到着します。
12:03の電車で秋田方面に向かいます。
長閑な田園風景を楽しみます。
12時半に酒田駅に到着です。
これから秋田駅に行きたいのですが、次の電車は3時間後の15:37です。時間があるので、酒田駅周辺を散策します。
まずは、酒田市立資料館に寄ってみます。入館料100円です。
特別展では戦時下の少年少女の生活を、常時展では古代から近現代までの酒田の歴史を展示していました。郷土博物館のような感じで、その土地で見つかった物が時代ごとに数点展示してありますが、特に印象がなく覚えていません。ここも撮影禁止でした。
土地の説明として、源頼朝の奥州征伐で滅ぼされた藤原秀衡の妹だったか後室を守るために、36人の秀衡の遺臣が酒田に落ち延びたことが解説されていました。平泉から落ち延びたこの36人の武士が、世襲で酒田を今日でも守っているようです。
酒田市のマンホール
日和山にある日本最古(明治28年)の木造六角灯台と、そこから見える酒田港と江戸時代に酒田から大阪まで米や紅花を運んだ千石船のカラーデザインです。 船の帆には旧酒田市章が描かれています。
昼過ぎになりお腹が空いたので満月というラーメン屋に入ります。
チャーシューワンタンの大盛り1000円を頼みます。チャーシューにしっかり味が染み込んでいていて、美味しいですが、ちょっと濃い味付けでした。
腹ごしらえの後は、駅から歩いて25分の場所にある庄内米歴史博物館を覗いてみます。
橋を渡ると蔵が見えてきます。
庄内米歴史資料館
山居倉庫という米を集積し保管していた蔵です。米を保管できるように、二重屋根と言って一階と二階の間に風が入る仕組みになっています。今でいう10億円相当の建設費を掛けた倉庫です。
入場料が300円と、ここも安いです。
資料館に入ると、まずは山居倉庫の説明がありあます。
江戸時代、最上川河口の酒田は西廻り航路の拠点となり、貿易港として大きく発展しました。1672年江戸で大飢饉が起き、その時に幕府が河村瑞賢に出羽の米を江戸に流通するように指示し、西廻り航路が整備されたと解説されています。
酒田や山形のことを知れるのかと思いきや、土地の説明はこれくらいで、あとはお米についてのパネルでした。庄内は冬は雪が深いが、夏は日照時間が長く平野で大量の米を作れることから米作りに適した土地だった、ことくらいしか説明がありません。
稲作の歴史、稲のルーツ、品種改良、米の種類や収穫までの流れ、収穫に使う道具、米の輸出や輸送、米の栄養など、米に関することを幅広く説明していますが、一般的なことで特に頭に残るものでありません。
中世くらいまでの米所は西日本で、新潟や東北は今よりも米が穫れない土地でした。品種改良によってお米が沢山穫れるようになったのですが、その辺の展示があってもいいのになと思いました。
5俵担ぎの展示。
小学校だったか、教科書でも見たことのある写真です。この写真は力試しの時に撮ったもので、当時は米俵の標準の重さは40kg~90kgで、大体女性は一俵担いでいたといわれています。
「撮影のため上からどんどん乗せられて一歩も動けなかった」「2俵は中に籾殻が入っていた」と後日、山形新聞のインタビューで紹介されたことは、それほど知られていないのかもしれません。山形新聞の昭和59年9月29日(土曜日)の朝刊10面庄内版にそのことが書かれているそうです。
二重屋根の説明
歴史資料館を見た後は、酒田駅に戻ります。
老朽化した地下道
千石船の描かれたマンホール。北前船は米を1千石(150tの米)積むことができる大きさという意味から千石船とも呼ばれたそうです。
酒田市立博物館と庄内歴史博物館はいまいちでした。旅の後に酒田駅の近くにいい観光地がないものか調べてみたら、酒田駅から徒歩5分の場所に本間美術館がありました。館内には本間氏別邸庭園という池泉回遊式庭園があり、日本庭園をのんびり散歩できます。清遠閣(せいえんかく)という建物もあり、大正時代の建築や調度品を楽しむこともできます。二つの博物館に行くよりも、本間美術館の方が楽しめるかと思います。
酒田駅に戻り、15:37の電車で秋田駅に向かいます。
秋田駅には17時半前に着き、駅構内でお土産やご当地の食材を見ます。
今回の旅では秋田県は素通りです。角舘や田沢湖に行ってみたいのですが、日本海側から離れていてアクセスが悪く、旅の行程に収まりませんでした。大曲の花火や竿燈まつりも有名ですが、9月は終わっています。安いビジホやネットカフェがあり、コインランドリーがある場所を考慮しながら旅をするとなると、うまく予定に埋め込めませんでした。
秋田駅を出てからは、45分ほど歩いてコインランドリーで洗濯を済ませます。大きな駅ですが、コインランドリーも結構歩かないとありません。18時過ぎに秋田駅の外に出ましたが、洗濯をしたら何だかんだで21時になってしまいました。
駅の近くにあるネットカフェのコミックバスターに入り、この日の行程は終了です。何とも残念なことに、ここもシャワーがありません(旅が終わってから、後から検索したらシャワーができていました)。店内は狭くトイレも男女共用で、これまで入った店の中で一番規模の小さい店です。歩いて銭湯に行けなくもないのですが、近くはないので行く気力がありません。
青春18きっぷや北海道&東日本パスを使って、JRで東北を旅するのはなかなか厳しいものがあります。駅での待ち時間が長く、アクセスの悪さがネックとなります。1日で一カ所しか回れず、これまでと比べて格段と移動の幅が狭くなりました。これまでの旅と比べて、要領が悪くなり少しずつ気持ちが落ち始めていきます。いいところは博物館などの入館料が安いといったところでしょうか。
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