長野駅のネットカフェで朝を迎えます。旅36日目は戸隠神社と善光寺に行き、新潟県の長岡駅のネットカフェで一泊します。この記事では戸隠神社宝光社、中社、奥社、善光寺を紹介します。
それでは本日の行程です。
36日目の行程
6:50長野駅発(バス)
7:59戸隠宝光社着
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8:00戸隠神社宝光社
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8:40戸隠神社中社
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9:40戸隠神社奥社
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12:38戸隠神社宝光社発(バス)
13:25善光寺大門着
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13:35善光寺
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16:30長野駅発
19:55長岡駅着
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21:20長岡駅から離れたネットカフェで一泊
5時半に長野駅の近くにあるネットカフェ茶里茶里を出ます。入会手続きがなく入会料金のかからないお店でしたが、ナイトパックが7時間までしかなかったり、シャワー代が別だったりと高くつきました(3280円)。
ナイトパックの時間が短ったためさっさと店を出て、長野駅のコインロッカーに荷物を預けてから、本でも読みながら1時間ほど時間を潰します。
長野駅前にある如是姫(にょぜひめ)像。善光寺の所縁に欠かせない人物です。時間があるので、スマホで調べてみるとこんな話がありました。
釈迦と同じ時代にある大富豪がいました。彼は何でも意のままにできましたが、長年子宝に恵まれませんでした。高齢になってから念願の子供ができ、一女を得ることができました。「意の如く得た姫」ということで娘を如是姫と名づけます。しかし疫病が流行り最愛の娘は床に伏してしまいます。長者は最愛の一人娘を助けたい一心で藁にも縋る(すがる)思いで、お釈迦さまに何でもしますから娘を助けてくださいと懇願します。そして釈迦に言われたように一生懸命にお祈りを捧げると、姫の病気は直りました。娘が助かった長者は、釈迦の教えに従い金の阿弥陀如来像や観音菩薩像を造り、信心に勉めます。
如是姫を救おうとそうしたことをしていくうちに、その大富豪は娘だけでなく多くの人々と自分自身を救っていたことを悟りました。功徳を積み重ねたことにより、長者は数百年後に百済の聖明王に生れ代わり、日本に最初に仏教をもたらした人となります。仏像を日本に送った人として、日本の仏教の源といわれる存在になったのです。
こうして仏教が日本に伝わりましたが、仏を信じようとしない物部氏によりその仏像は堀江という場所に投げ棄てられました。棄てられている仏像を本田善光が拾ってお寺に奉納したのが、善光寺の起りとされていますが、本田善光はこの聖明王の生れ代わりともいわれています。そんな言い伝えがあるようです。
さて6:50にバスが来たので、戸隠神社に向かいます。昨日長野駅のバスセンターで買った、戸隠高原フリーきっぷ2100円を使います。バスには今日1日しか乗りませんが、このフリー切符は5日間使えます。
バスに乗ること1時間10分、戸隠神社宝光社のバス停に到着です。
ここから宝光社、中社、奥社へと歩いて行きます。予定では片道1時間20分かかります。バスもありますが、戸隠神社にはかねてから来たい場所だったので歩いて往復することにします。
宝光社
石段を登り宝光社へ。
戸隠神社
奥社・中社・宝光社の三社からなっている、平安時代から修験道が行われてきた日本有数の霊地です。細かくいうと、九頭龍社と火之御子社も含めた五社からなる神社の総称です。創建以来二千年余りに及ぶ歴史ある神社です。
階段を少し上がると、鳥居と休憩所があります。
誰もおらず、朝の神聖な空気が漂っています。
石段は274段あるようです。
手水舎
社殿
立派です。戸隠五社のなかでも一番古い社殿らしいです。
時刻は8時を過ぎた辺りですが、まだ御朱印の受付はしていません。帰りにお願いすることにします。
上から見下ろす石段
ここから中社へ続く道があります。神道というのですね。1.4kmの距離です。
神道
杉の木が並ぶ林道が続きます。
段々といい道になってきました。
朝の散歩には最高です。
宝光社から中社へ向かう神道の途中、右に曲がると火之御子社へ続く道があります。宝光社の入り口にあった看板には「戸隠神社は、奥社・中社・宝光社の三社からなっている」と書かれていたので気に留めなかったのですが、戸隠神社のホームページを見ると火之御子社と九頭龍社を含めた五社を戸隠神社というと書かれています。
この道の右手に道があり、そこから境内に入れるようです。火之御子社は天照大神が天岩戸に隠れた時にその前で踊りを舞ったとされる天鈿女命(あめのうずめのみこと)を主祭神とする神社で、舞楽芸能の神、縁結びの神、火防の神として尊崇されているようです。五社の中で唯一、神仏習合の時代も神社だったそうです。
下調べが足りず火之御子社には参拝せず通り過ぎてしまいました。
林道を10分ほど登りながら歩くと、バスの通れない狭い民家のある通りに出ます。
そこから更に数分歩き、8:40に中社に到着です。
中社
まず目につくが、大きな杉の木です。中社では鳥居を中心に3本の杉の木が植えられていて、戸隠の三本杉といわれています。
奥にも大きな杉の木が。
手水舎
戸隠の山から流れている水で飲むことができると書かれています。
石段を上ると社殿に着きます。
中社
戸隠五社の中で一番立派で、学業成就・商売繁盛・開運・厄除・家内安全に御利益があるようです。ここも御朱印の受付はまだやっていないので、帰りに寄ることにします。
社殿の右奥には滝があります。
水が豊かな場所です。貴重な水のある場所に寺社が建てられたことが分かります。
ここから1時間かけて、奥社に向かいます。
奥社道
アスファルトの道に出ますが、車が通らない静かな道です。
一人静かに歩きます。
歩いていて、とても心地いいです。
途中見晴らしのいい場所があります。
晴れていなくてもこれはこれでいい景色です。
歩くこと20分、奥社入り口に着きます。
ここから奥社には更に40分歩くことになります。
奥社への道は毎年11月の下旬頃から雪が降ります。雪の多い年では社殿が雪で埋まってしまうほどで、歩いて参拝するのは難しくなります。参拝者によって雪が踏み固められ、歩けないことはないようですが、階段ある所は上るのが困難になります。参拝するなら夏がベストの季節です。
鳥居をくぐって参道を歩きます。
小川の流れる自然豊かな道です。
奥社道の杉並木
杉の大木が現れてきました。
狛犬
随神門
かつては仁王像が祀られていたようです。
随神門から約500mにわたって200本以上の杉の巨樹が並びます。
圧巻です。樹齢400年以上といわれています。
石段を登ります
参道を歩くこと40分、奥社と九頭龍神社に到着です。
奥社と九頭龍神社九頭龍社
九頭龍社
奥社よりも更に創建が古いと言われている神社です。戸隠神社の中では一番古い神社になります。九頭龍大神は、9つの頭をもった竜で生命の源の水を司る神様です。雨乞いの神様として知られています。
奥社
創建は2000年以上も前といわれる神社で、御祭神は天照大神が天の岩屋に隠れてしまった時に無二の神力をもって岩戸をひらいた「天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)」です。天手力雄命は文字から想像できるように、手の力の強い男の神様で、力の神、スポーツの神として崇められています。開運や心願成就、五穀豊穣やスポーツ必勝などにご利益があるといわれています。
山の上の方は霧がかっていて神秘的です。
参拝の後は、来た道をひたすら歩いて戻ります。
旅を続けて自然には飽きてきましたが、ここは別格です。
奥社を出た後は中社に向かいます。
稚児の塔
賢い稚児を祀った塔です。養子をもらった夫婦にある時、妻宛に手紙が来ましたがそれを不審に思った字を読めない夫は養子に何と書かれているのかと聞きます。事情を察した養子は手紙の内容を変えて夫に伝え、夫婦の仲を丸く収めます。
養子は夭折してしまい、里の人々はこの子の賢さをしのび供養塔を建てたと書かれています。
奥社と中社の間にある蕎麦屋に立ち寄ります。
戸隠そばの店 極楽坊
極楽坊
店内にジャスが流れる落ち着いた雰囲気のお店です。陶器の花瓶もいい雰囲気を出しています。
注文を済ましてそばが来るまで、メニューに書いてある戸隠そばの説明を読みます。
古くは寺社でお祝いをする時は、米をはじめとした祝いの料理を食べるのが習わしでしたが、標高1000mの戸隠ではお米が育たないので、蕎麦を代用することにしました。蕎麦は獲れる量が限られいて貴重で、こねて茹でてと手間もかかるので、ハレの日のご馳走として受け継がれてきたのだそうです。現在でも戸隠ではお米が育たないのだそうです。
戸隠そばの歴史を読んでいると、おそばが運ばれてきました。
五ぼっちそば、980円。ぼっち盛りという、馬蹄形にそばを盛る戸隠そば特有の盛り方です。ぼっち盛りでは一口大にまとめたそばが五束盛られるのが一般的ですが、次のような由来があるといわれています。
ぼっち盛りの形は人魂をかたどっている
戸隠地区に五社ある神社になぞらえて五つに盛る
漢字では「法師盛り」と書く
山岳信仰や修験道との関りを感じさせるものでもあります。
薬味はわさびの代わりにおろした大根です。はじめは違和感を覚えましたが、食べてみると、これはこれでおいしいです。蕎麦湯で割るのも美味しいです。
そばを食べた後は、中社で御朱印をもらいます。近くにそばの有名なうずら屋がありますが、2、3列の行列ができていて時間がかかりそうで入るのはやめました。土曜日なので最低でも1時間は待ちそうでした。
二葉屋葉隠というお店はすぐに入れたので、はしごをします。
戸隠そばの店 二葉屋本店
わさびとネギはそばの香りを殺すから出さない、というお店です。生粉蕎麦(きこそば)という、つなぎを使わない十割蕎麦を頼みます。10食限定ですが、まだありました。
店員さんからおすすめの食べ方を教わります。まず蕎麦のみで食べ、次に塩をかけて食べ、そして辛子大根とつゆで食べるといいと教えてもらいます。
そばだけを口に入れると、確かに香りがよく美味しいです。塩や辛子大根とつゆはも美味しいのですが、そばの香りが感じられなくなってしまい、そのままが1番です。
ここにもメニューに蕎麦を説明したものが書かれています。薬味にわさびがない理由ですが、戸隠のそばはもともと辛味大根が薬味だったようです。江戸の後期にわさびが戸隠に入ってきて、次第に薬味に使われるようになったそうです。江戸時代の後期から辛味大根が取れなくなり、同時に粉わさびが流通したため、わさびが薬味に代用されたとのことです。
勉強になりました。戸隠に限らず、江戸時代以前のそばの薬味が大根だった所は多いのではないかと、気になりました。このお店もジャズか流れていて、雰囲気の良いお店です。お皿や蕎麦猪口が陶器なのが、またいいです。
二軒の戸隠そば屋を堪能した後は宝光社まで歩いて戻ります。
静かでいい道です。土曜なので混んでいるのを想定していましたが、静かに歩くことができました。
御朱印もいただき、バスに乗り善光寺に向かいます。
予定よりも一本早いバスに乗ることができ、12:38のバスで戸隠宝光社バス停を後にします。
長野駅行のバスに乗り、13:25に善光寺大門で降ります。バス停からちょっと歩けばすぐ善光寺に着きます。
やって来ました。
善光寺
善光寺
日本最古の仏像といわれる「一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)」を本尊とする寺院です。年間の参拝者数が700万人を超すという信州を代表する観光名所です。「遠くとも一度は参れ善光寺」と一度お参りすれば極楽往生が約束されると、江戸時代から語り継がれてきた寺院です。
仁王門
草鞋がかけてあります。脚の怪我や病気が治るようにと祈願したり、健脚を祈願しているようです。
参道にはお土産屋が並びます。
七味唐辛子や仏具店、お菓子や地酒のお土産屋があります。
善光寺周辺では八幡屋礒五郎の七味唐辛子や善光寺そば、善光寺おやきが有名です。
山門
後から知りましたが、山門の上には仏像が祀られいることが多いようです。参拝者は山門の上から神様に迎え入れられているとも考えられています。
善光寺山門では中を上って仏像を見ることができるのですが、この時は門の上から外が見れる場所くらいとしか考えていませんでした。こういう場所は見晴らしが良く、真っ直ぐに続く参道を見ることができるようです。
本堂
善光寺は無宗派の寺院としても、知られています。宗派関係なく誰でもお参りできる、珍しい寺院です。
本堂に入ると、金の装飾品に金の仏像、金の絵と、金色尽くしです。天井には金の菊の紋がびっしりと描かれています。
500円くらいだったから、お金を払うと「内陣」というご本尊の近くまで上がることができます。また、内陣券で暗闇の回廊を歩く「お戒壇巡り」もできるようです。
宝物館
200円。武田信玄や徳川家康の寄進状や仏具、漆器などが展示されています。土曜にしては誰もおらず、静かに見ることができました。
忠霊殿
英霊を祀るところで、資料館があります。7年に一度の前立本尊(まえだちほんぞん)像の御開帳の様子を写真で公開しています。仏教の始まりとされている、秘仏でご本尊の一光三尊阿弥陀如来の代理として、前立本尊がお披露目される行事です。今年の春に2ヶ月間公開されたようで、その時の写真を紹介していました。
地下に資料館がありますが勉強になります。懸仏(かけぼとけ)という、壁に仏様の像がかけてあるものがありますが、そもそもは鏡に仏像が描かれたのが始まりのようです。神仏習合により神道で使われていた鏡に仏様を描くようになり、鏡が縁になり壁にかけられるようになったと説明されています。
絵馬の説明もあります。そもそもは馬を作って奉納祈願していましたが、次第に額を作り、そこに言葉や絵を描くようになります。神社ではその額が馬の絵が描かれた板になり、それが今日の絵馬になったと。中世までは馬以外の絵が描かれていたようで、伊勢物語の東下りや義経と弁慶の橋での決闘の絵が描かれていたようです。
羅漢も説明もありました。石見銀山で見た五百羅漢の羅漢です。羅漢とは、菩薩と同様に悟りを得た人で人々から祈られてもいい人のことだと書かれていました。
いろいろなことを知ることができました。
忠霊殿を出た後は、長野駅に戻ります。善光寺からは歩いて20分の距離です。朝一で出発すれば、余裕をもって戸隠神社と善光寺の二ヶ所を周れます。
15時半にホームに着きますが電車は1時間後まで来ません。暇なので駅そばで一杯いただきます。
16:30にようやく越後川口行きの電車が来て、それに乗ります。長野駅から約3時間半かけて、新潟県の長岡駅に向かいます。着くのはの20時前です。
長野ー豊野間は私鉄なので切符を買います。250円。長岡駅に着いてからは、50分ほど歩いて自遊空間というネットカフェに向かいます。途中、信濃川に架かる橋を歩きますが、この橋がとにかく長いです。10分くらい延々と歩きます。大手大橋といい、長さは900m近くあるようです。写真を撮っておけばよかったです。
夏の花火大会の時には車両が入らないようにして、花火を見る人で混雑する場所としても、知られているようです。土手と川の間に畑があります。私有地と公有地が土手の中に並んでいるのです。堤外民地というものでしょうか。それとも、許可をもらい国有地を畑として利用しているのでしょうか。写真がないのが残念ですが、何とも変わった光景でした。
歩くこと50分、ようやくネットカフェに到着です。車が沢山停まっています。
21時にネットカフェに入り、今日の旅は終了です。
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