2019年7月、青春18きっぷを使って日帰りで鹿島神宮と香取神宮に参拝しました。どちらも創建が古く、「神宮」と名がつく社格が高い神社で、一度は訪れたい神社です。訪れたのは夏の暑い日でしたが、自然豊かな境内はパワースポットと呼ばれるだけあり、暑さや疲れを感じさせない素晴らしい場所でした。この記事では鹿島神宮を紹介します。香取神宮は別の記事となります。
旅の行程
5:41新宿駅発 ↓ 8:32鹿島神宮駅着 ↓ 8:50鹿島神宮着 ↓ 9:15ガイドさんの鹿島神宮案内 ↓ 10:30鹿島神宮発 ↓ 11:23鹿島神宮駅発 ↓ 11:40香取駅着 ↓ 11:55津宮鳥居海岸 ↓ 12:45香取神宮 ↓ 14:47香取駅発 ↓ 17:22新宿着
鹿島神宮までの道のり
5:42の電車で新宿駅を出発して、千葉方面に向かいます。13番乗場です。
結構旅や散策に出かけていますが、たまに新宿の駅構内で乗場が分からなくなることがあります。この日も乗り場が分からず無駄に歩きました。日本一の利用者数を誇るだけあり、各方面の電車が入りみだっていて複雑です。
新宿から20分ほど電車に乗り錦糸町で快速に乗り換え、そこから30分ほど乗って千葉駅で降りて、千葉駅からは成田線銚子行に乗って香取駅で降ります。
通勤ラッシュの時間帯でしたが、どこも座ることができました。成田線の車内は混んでいましたが、佐原駅で一気に乗客が降り静かになりました。
香取駅までの車窓はよく、佐倉辺りから田んぼが増え、成田から下総神崎・大戸に向かう間も田んぼが広がりいい景色を見ることができました。田んぼに水を張った季節に見るのも綺麗なんだろうなと、見入ってしまいました。
香取駅からは16分ほど電車に乗って鹿島神宮駅に向かいます。
利根川を渡って十二橋駅、潮来駅、延方駅を通り鹿島神宮駅に向かいますが、ここでも広大な田園風景を楽しめます。窓が汚れているのが残念ですが、いい景色です。
霞ヶ浦と利根川に挟まれたこの場所では茨城県産コシヒカリやあきたこまち、ミルキークイーンなどのお米が栽培されています。米どころ新潟・北海道には及びませんが、茨城県は東北に次ぐ生産量があり、関東の米の生産量が第一位です。
車窓からは霞ヶ浦も見えます。日本で琵琶湖の次に大きい、2番目に大きい湖です。湖で獲れる、はぜ、えび、わかさぎ、鮒などを使った佃煮・煮干・焼きもの等の水産加工品がご当地のものとして知られています。
湖なのに浦と付いているのは、昔は入り江だったからです。戦後に洪水対策で水門が造られ、海と切り離されて現在は湖となりました。ついでに、静岡の浜名湖は逆で、江戸時代までは湖だったのですが津波で壊され今では海水が入る入り江になっています。
香取駅から電車に乗ること16分、鹿島神宮駅に着きました。新宿から約3時間。通常運賃だと1,980円かかりますが、青春18きっぷならお得に移動できます。
駅から鹿島神宮に向かって歩きます。10分の道のりです。
改札を出て真っ直ぐ進み、坂を上っていきます。人通りが少なく、寂しい道です。
交差点を左に曲がれば、参道に入ります。
真っ直ぐ進むと神社の入口です。
鯰と鰻のお店
神社やお寺の参道では鰻のお店をよく見かけますが、昔は遠くからやってきた参詣者を栄養価の高い鰻でもてなしたのだそうです。鰻やドジョウ、鯰は栄養価の高い食べ物として、寺社参詣が広まる江戸時代中期以降は、多くの参詣者に好まれました。
茨城県は常陸秋そばも有名です。
茨城県北部の山間部で栽培されている希少価値の高い蕎麦で、独特の香りと風味があり、甘味に優れていると評判です。粒揃いがよく、味がしまり、タンパク質やデンプンを多く含んだ良質のそば品種なのだそうです。
さて、鹿島神宮にやってまいりました。
鹿島神宮
鹿島神宮駅から歩くこと10分、鹿島神宮にやってきました。
鹿島神宮
日本建国・武道の神様である武甕槌大神(タケミカヅチノオオミカミ)を御祭神とする、神武天皇元年創建の由緒ある神社。武甕槌大神は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神(フツヌシノオオミカミ)と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し日本の建国に挺身された神(鹿島神宮ホームページより)。
鹿島神宮は関東随一のパワースポットとして人気の場所ですが、その理由は、御祭神の甕槌大神(タケミカヅチノオオミカミ) にあやかろうというものです。甕槌大神は日本神話で最強の神といわれている武神で、日本を支配していた大国主から国を譲ってもらったという逸話があります。他の神々が失敗してできなかったことを見事成し遂げ、しかも武力ではなく対話をして国を譲ってもらったと伝えらえています。そんなことから、鹿島神宮に参拝すると勝負運や困難を乗り越える力が備わるといわれています。
甕槌大神が自らの剣を神武天皇に授けて窮地を救ったという伝説があり、「ふつのみたまの剣」といわれるその剣は鹿島神宮の境内にある宝物館に保管されているそうですが、平成30年(2018年)より休館していてこの時は見れませんでした。
鹿島神宮は「すべての始まりの地」として、古より旅立ちや人生のターニングポイントに訪れるとよいといわれてきました。詳しくは分かりませんが、これは白村江の戦いで敗れた日本が対馬・壱岐・筑紫国に防人を置いた際、召集されたこの地の人々が鹿島神宮で旅の安全と無事故郷に戻ることを祈願したことがはじまりとなり、今でも旅の安全を願い旅立つことを「鹿島立ち」といっていることからきているようです。
神宮とついていることから分かるように格式の高い神社ですが(初めて神社の格式が決まった延喜式の平安時代から、伊勢神宮のほかに神宮と呼ばれたのは鹿島神宮と香取神宮だけです)、なぜだか電車日本一周の時には旅のリストに入っていませんでした。知ったのも割と最近です。そんな訳で下調べが足りず後から知ったのですが、鹿島神宮は東国三社の一つとしても知られています。東国三社とは東国最古の神社のことで、鹿島神宮・香取神宮・息栖神社(いきすじんじゃ)の三社です。
息栖神社は電車からではアクセスできないので、参拝したい方は東京駅から出ている高速バスに乗る必要があります。所要時間は約2時間、運賃は2,000円です。東国三社巡りのバスツアーがあるので、それを利用した方がいいのかと思います。
楼門
日本三大楼門の一つに数えられる楼門で、高さ約13m、重要文化財に指定されています。寛永11年(1634年)に、水戸徳川初代藩主により奉納されたものです。浅草の水戸藩下屋敷で130余人の大工が切組みし、船筏で運んで組み立てたのだそうです。
この伝承から、江戸時代初期には浅草と鹿島付近まで利根川を移動する水路ができていたことが分かります。
楼門については記事の終わりの方にも少し書いています。
楼門をくぐると右手に拝殿があります。
向かいには御朱印所が。
中で御朱印をいただけるので、涼しい所で一休みできます。無料の水かお茶があったような気がします。拝殿の向かいに宝物館があるのですが、改修中でした。
境内をさらに奥に進むと、有名な要石があります。ですが、今回はスズメバチ発生のため見ることができません。
鹿島神宮の森
鹿島神宮の境内は自然が多いことで知られているので、少し歩いてみます。
敷地面積は約70ヘクタールの約21万坪、東京ドーム15個がすっぽり入る広さなのだそうです。
こんな看板もあります。
ここは奥参道といって、奥宮に向かって300m程伸びる巨木に覆われた、荘厳な雰囲気を醸し出している道です。5月1日には流鏑馬神事が執り行われます。鹿島神宮がパワースポットといわれる所以は、御祭神の甕槌大神だけでなく、この豊かな森林にもあります。
この森は茨城県指定の天然記念物で、広大な森には杉のみならずシイ・タブ・モミの巨樹が生い茂り、その種類は600種以上にも及びます。生育南限と北限の植物が混ざっているのも大きな特徴とされています。
9時から神社の境内を散歩し始めましたが、やはり朝は人がまだ少なく空気が綺麗です。
天気にも恵まれ、素晴らしい森林浴ができました。
写真を撮っていたらガイドさんから声をかけられ、せっかくの機会なので鹿島神宮について教えてもらうことにしました。
まずは要石のある方へ向かいます。上の写真の奥宮には後ほどお参りします。今回はスズメバチが発生しているため要石を見ることができませんが、どんな場所なのか説明を受けます。
地中深くまで埋まっている要石は地震を起こす鯰の頭を抑えていると、古くから伝えられきたのだそうです。水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたが、いつまで経っても辿り着くことができず、しかも怪我人が続出したため掘ることを諦めた、なんていう話もあるのだそうですが、これらの伝承はこの辺りの土地が地盤が強いことをあらわしています。
近くにあるトチの木の説明もしてくれました。しっかりとした真っ直ぐに伸びる木で、諏訪湖の御柱祭にはトチの木が使われるのだそうです。
坂を降りて御手洗に向かいます。
鹿島神宮は鹿が有名ですが、鹿は奥参道にある鹿園にいます。鹿島神宮の森は天然記念物なので、鹿が植物を食べないように鹿園で飼っています。奈良の春日大社は鹿が天然記念物なので、境内に放し飼いにしています。
ガイドの方によると、春日大社の鹿は鹿島から春日に渡ったものなのだそうです。奈良の都を造る時に東の鹿島のような強い土地を造る必要があり、鹿島神宮から神様を勧請したのだそうです。その時に鹿が連れられたらしいです。
御手洗
坂を下りて御手洗池に来ました。
古来は神職や参拝者がここで身を清めてから参拝したことが書かれています。また、この池は旱魃の時でも絶えることがなかったことも書かれています。
毎年1月に200人の人が大寒禊をすることでも知られている池です。
この大寒禊は一般人でも応募することができ、毎年何人かの一般人が参加しているそうです。
水の澄んだ綺麗な池です。
日照り・旱魃でも枯れることのない湧水は飲むことがます。
以前は酒蔵が仕込み水として使っていたようなのですが、水量が減ってきたため現在では使われていないのだとか。
こういう枯れない水のある所に昔の人は神社やお寺を建てたのですね。
奥の方には池や遊歩道が整備された公園があります。
ガイドさんがトイレに行っている間、藤棚で一休みします。
さて、来た道を戻り奥宮に向かいます。
鹿島や香取は古代は日本の軍事拠点だったため、それだけ武術に優れた人物が沢山いました。鹿島神宮のあるこの辺りからは剣豪の塚原卜伝が出ています。
奥社
摂社 奥宮です。御祭神・武甕槌大神の荒御魂を収めている場所です。現在の社殿は慶長10年(1605年)に徳川家康が関ヶ原の戦勝の御礼に本殿のある位置に本宮として奉納したものを、その後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷したものです。
荒御魂をお祀りしている場所では起こさないように静かに参拝するのがいいらしいです。柏手をしないのがいい参拝の仕方なのだとか。裏に奥社の御神木があり、触れることができます。
ここでは「お百度参り」といって、心底叶えてもらいたい願いがある時に、百回お願いする作法があります。裸足で奥社へ何度もお願いするものなのですが、回数を忘れないようにこの石の上に小銭を置くのだそうです。
帰ってから調べてみたら、お百度参りは毎日お願いして100日間続けるパターンの方がよく知られているようでしたが、鹿島では1度に100回お願いするのがスタンダードらしいです。早朝やるものらしいのですが、ガイドの方は昼間何度か見たことがあると言っていました。
拝殿
そして先ほどまず初めに参拝した拝殿に戻ってきました。
正面から見ると大きな建物ではありませんが、奥に向かって幣殿・石の間・本殿と繋がっていて、横から見ると壮大な建物であることが分かります。
ガイドさんいわく、参拝するだけでなく拝殿を横から見てこの荘厳な建物を鑑賞するのがいいとのことです。
先ほどの奥宮は当初こちらに祀られていましたが、元和5年(1619年)に徳川2代将軍の秀忠が新しく寄進し、移されました。
こちらの拝殿の向かいには御朱印の受付所がありますが、御朱印は神社に来たらすぐにお願いした方がいいとのことです。団体によるバスツアーがあると何十人も御朱印をお願いする人がいるので、1時間以上待つことがあるのだそうです。
以上、ガイドさんの説明が終わり、楼閣を出て来た道を戻ります。向かって楼門の右側にボランティアのガイドさんが待機している場所があるので、説明を聞きたい人はそちらの立ち寄るのがおすすめです。受け付けているのは午前中だけだったような…。
書き忘れていましたが、楼門の上にある「鹿島神宮」の文字は、東郷平八郎の筆とされています。当初は「鹿島神宮」の文字の横に本人の名前が書かれていたのですが、天皇のご参拝の際に消されたのだそうです。天皇の頭上に人の名前があるのはいかがなものかということで、名前が消されたのだそうです。香取神宮にも同様のことがあったらしいのですが、香取の場合は「では板を外しましょう」ということで名前は消さずに済んでいるのだとか。
さて、そんなこんなで、鹿島神宮を去ることにします。鹿島神宮駅に戻り香取神宮に向かいます。当初の予定では、鹿島神宮駅から25分ほど歩いた場所にある、北浦に浮かぶ西の一之鳥居を見ようと思っていたのですが、時間が無くなったので辞めることにします。
ついでに、茨城県の食べものについて少し書いておきます。茨城県といえば冬の鮟鱇(あんこう)料理が有名ですが、干し芋も名産品として知られています。さつま芋の生産量は全国二位で、干し芋は生産量が全国一です。干し芋造りが始まったのは明治時代後期で、さつま芋の生育に適した水はけのよい火山灰の土壌や、冬場に雨が少なく海風の吹く気候風土が乾燥の工程に向いていたことなどから、全国へ誇る特産品へと発展してそうです。
メロンも有名でクインシー、アンデス、イバラキングが有名銘柄として知られていて、霞ヶ浦でははまぐりが、水戸では納豆が有名です。地酒も有名で、茨城県には久慈川水系、那珂川水系、筑波山水系、鬼怒川水系、利根川水系と豊かな5つの水系があり、その恵まれた環境のおかげで関東地方では最も酒蔵が多く、森嶋、大観、渡舟、来福、結、郷乃誉などが有名なのだそうです。
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